親猫見つけました
 誰だ、マネージャーは選手と関わることはないなんて大嘘言ったやつ。
 そんな悪態を心の中で何度も呟きながら、私はビブスの入ったカゴを握りしめ、体育館の中を走り回っている。
 「次、試合形式の練習するからビブス出しといて」と黒尾に言われたのはつい30分前のこと。いや、ビブスって何。先日声をかけてくれた一年生が何やら言っていた気がするけれど、人見知りを発揮していた私がきちんと話を聞いているわけがなかった。ええ…と困惑しているうちに、黒尾はさっさと練習に戻ってしまった。
 誰かに聞こうにも、声をかけられるような顔見知りなんて数人程度。特に三年生である彼らは下級生の指導に忙しそうだ。
 さすがに困ったな、と周りを見渡していると、見かねた孤爪が「あっち」と指をさす。孤爪…持つべき者は同志だね。じんと感動していると、孤爪にはどうやら視線から考えていることがお見通しだったようですごく嫌な顔をされた。
 そうしてようやく手に入れたビブスが入ったカゴを手にしてあれ、と思い至る。これ、どうしたらいいんだろう。そのままカゴを置いておけばいいんだろうか。いや、でも配った方が効率はいい。え、いや待って、配るの?これを?部員に?私が?
 と、ぐるぐると考えること数十分。今行っているメニューにも終わりが見えてきて、そろそろ次のメニューに入るかという雰囲気を感じる。タイムリミットは着々と迫っていた。

「みょうじさん、どうしたの?」
「…!?」

 うんうん唸る私の背後から現れたのは、同級生である海だった。突然声をかけられ、身体が硬直した私を見て、海は困ったように眉を八の字にした。彼とは、一年生の頃同じクラスであったが、実際は夜久と黒尾から話を聞くばかりで本人とは話したことはない。
 緊張と困惑で視線をウロウロと彷徨わせる私を見て、海はうーん?と考えていたようだったが、私がビブスのカゴを持っているのを見てああと納得したような表情を見せた。

「ビブス、持ってきてくれたんだね。ありがとう」
「…あ、ハイ」
「それ、カゴごともらうよ」

 他にも困ったことがあったら遠慮なく言ってね、と笑った海に、私は彷徨わせていた視線を海へと向ける。「…ドモ」と首だけを動かしてぺこりとお辞儀をして、私はカゴを海へと差し出した。少し態度悪かったかな。不安になりつつも見上げると、海は気にする様子もなく「いえいえ」と笑い、部員の元へと戻っていった。
 例えるなら、わたしの頭上に雷が落ちたような衝撃。そのまま海をじいと見つめた視線は、偶然通りかかった黒尾に「海が困惑してるからやめてやれ」と言われるまで逸らすことはなかった。

 海、めっちゃいいやつ!
 

 
△▼△


「いや、何でだよ!」

 突然叫び出した夜久に、私の顔が歪む。隣では海も「急にどうした夜久」なんて首を傾げていた。

「いやそれだよそれ!その距離感どうした!?」
「…はあ?」
「いつものこっち近寄るなオーラはどこにしまったんだみょうじ!」
「いや、それなら今まさに夜久に放ってるけど。何、うるさいよ」

 思い切り夜久を睨みつければ、夜久は気にしていないのか「いやこれは成長を喜ぶべきなのか…?」と腕を組んで何やら唸っている。
 なんだかんだ、一日を終える頃には私も海に頼ることが増え、気づけば夜久と話すように海と話すことができるようになっていた。海も、最初は不思議そうな顔をしていたが、もともとの性格なのか拒むこともなく受け答えをしてくれた。
 それに、なんといってもその距離感が心地良い。なんだか、海とは同級生というよりお母さんと話している気分になるんだよなあ。そんなことを言ったら一生話してくれなくなりそうだから絶対に言わないけれど。

「みょうじさん!俺とももっと普通に話しましょうよ!」
「…あ、ウン…」
「え!なんで目ぇ逸らすんですか?」
「……」
「今度は無視!?」

 突然ぬ!と現れた灰羽に視線を斜め下に固定しながら返事を返せば、灰羽からはブーイングが飛んできた。この巨人兵、パーソナルスペースがバグってるんじゃないのか?嫌な顔をしていたら、どこからか現れた黒尾が「本当研磨とそっくりだな」と笑った。孤爪も私もエッと黒尾に振り返る。それすら黒尾にはおかしく映ったようで、ゲラゲラと笑っている。

「そうそう。もうすぐインターハイ予選だから。6月の土日は全部あけとけよー」
「……インター、ハイ?」
「うっそだろお前、そこからかよ」
 
 そう言ってネットを持って体育館に向かった黒尾を不思議そうに見ていたら、夜久が驚いたようにこちらを見る。何で知らないんだって顔をするな、こちとら運動部初心者ですが。じっとりと夜久を睨みつけていたら、見かねた海が「インターハイっていうのは、簡単にいえば運動部の全国大会だよ」と加えて説明をしてくれた。別名「高校総体」。なるほど、総体っていうのは何となく聞いたことがある。その予選。それが6月にあるのか。

「いや、聞いてませんけど」
「は?運動部なんだから大会あって当たり前だろ」

 あっけらかんという夜久に、私はイラッとしてつい先ほど畳んだばかりのビブスの1つを投げつける。「何すんだよ!」と夜久がキレていたけれど、キレたいのはこっちも同じである。予選、ということは各校が1箇所に集まるということ。全国大会ではないにしろ、予選でもかなりの人数が集まるだろうことを想像して、眉が寄る。

「…インターハイって、マネージャーは不参加でもいける?」 
「は?なんで」
「…人がたくさんいるところに行くのは、ちょっと」

 すっと目を逸らすと、「お前なあ…」と夜久の呆れた声が聞こえる。いや、分かってるよ。マネージャー見習いとはいえ、大会だってサポート業務の一つ。今更足掻いてもどうにもならないことだけれど、言うだけは言わせてほしい。

「みょうじ普段あまり出歩かないの?」
「…必要な時は出かけるけど、視線が気になるからいかない。それに基本通販で済むから…」

 海の問いかけにそう答えれば、海は「視線か…」と考える仕草をした。やっぱり、海、いいやつでは?思わずキラキラとした視線を海に向けていると、夜久からは呆れた視線をいただいた。それに睨みつけた視線で返事をしていると、海がひらめいたとばかりに声をあげる。

「キャップ帽を被るのはどうだろう。視野が狭くなって視線も気にならなくなるかも」
「……海………。 天才か…?」

 それなら行ける気がする、と頷けば、海は「それはよかった」と笑った。「いや、ジャージにキャップ帽は目立ちますよね」と言った灰羽の口は、夜久の手によって塞がれ、私の耳に届くことはなかった。

 
 20230405
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