07−4


 名字さんのことを侑に話そうかとモヤモヤした気持ちを抱えたまま迎えた合宿最終日。考えることがめんどくさくなった俺は、結局話さないでおこうと決めた。そもそも侑に話たところで「で?」と返されるのが目に見えているし、そもそもあのポンコツが忘れているような話をわざわざ蒸し返す必要もない。
 それを朝食を終えた時角名に言ったら「侑も大概だと思ったけどやっぱりお前も同じDNAだわ」と呆れられた。まあ、DNAは一緒やろ。双子やし。けれど褒め言葉ではないことは分かったので、「うっさいわ」と俺はスマホばかりに目を向けている角名を睨みつけた。

「まあ、治が侑に言わなくても、藤さんがフォローしてくれてると思うけどね」
「せやろか」
「あの人物腰柔らかそうに見えるけど、一応主将だし。前例があるなら対処法も知ってるでしょ」
 
 角名はスマホから目を離さずにそう言った。体育館に入ってすぐ、例の部員を探すと、そいつは昨日までの表情とはどこか違った顔で名字さんの手伝いをしているようだった。それを見た角名は「ほらね」とスマホ片手にニヤリと笑う。まるで昨日とは別人のようなその表情に驚いていると、先に体育館に来ていた銀が、俺たちを見るなり「角名」と声をかけた。

「昨日、あのあと藤さんに会えたん?」
「藤さん?」

 俺と角名が帰ってきてから、疲れ果てていた俺は風呂に入ってすぐに寝てしまっていた。角名があの後も藤さんに会っていたことに驚いていると、角名は銀の問いかけに対し「うん、会えたよ」とにっこりと笑った。「結局何の用事だったん?」と首を傾げる銀は、会いに行った理由までは知らないらしい。
 
「別に。治と侑が喧嘩しかけた所を撮った動画を見返してたら、たまたま気になるものが写ってたから藤さんに見せにいっただけだよ」

 そう言って、角名はスマホを顎に近づけて妖しく笑う。その瞬間全てを悟った俺は、思わず唇をぎゅっと結んだ。なるほど、侑も大概だが、角名もなかなかめんどくさい性格をしているらしい。そうとは知らず、角名の言葉を素直に受け取ったらしい銀は「角名はよう見てるんやなあ」なんて感心したように言った。見てるというか、見過ぎやけどな。妖しく笑う角名に、俺はスッと目を逸らした。

 



 合宿最終日は、疲れた体をさらに追い込むかのように組まれた大阪の高校との練習試合で終えた。レギュラーである三年と二年に加え、俺や侑、角名に銀を控えにいれた状態での練習試合は、監督の「やってみるか」の一言で容赦なくコートに立たされる。「とりあえず自由に暴れてこい」と声をかけられた俺たちは、その名の通り自由に暴れた。
 特に、侑の自由さは凄まじく、使い慣れている俺だけでなく、合宿中できる限り合わせていたアランくんや出会って数ヶ月の角名を容赦なく使い点を決めていく。「鬼畜すぎる」と肩で息をする角名に、「今お前使わんでいつ使うねん」と気遣いもなにもない言葉をかける侑に、相手チームはかなり引いていた。試合を終えた時、向こうチームの主将が藤さんに「自分のとこえらい怪物入って来よったな」と言っていたのを俺は知っている。

 試合を終えて撤収の準備をはじめた相手チームの近くで、俺や銀はネットを緩める。三年は相手チームと和気藹々と話し込んでいて、一年である俺たちは片付けをしながらその様子を眺めていた。

「名前ー!ほなまたな!」
「ああ、うん」

 じゃあ撤収、と向こうのチームで声がかかったところで、相手チームのWSが名字さんに大きく手を振った。それだけでも衝撃だったというのに、あろうことか名字さんは口元を緩ませて手を振りかえしていたのだ。それを目撃していた銀と侑は開いた口が塞がらないといった様子であったし、角名もほっそい目を珍しく開いて驚いているようだった。かくいう俺も驚いて、思わずネットを緩めていた手を止めた。

「またやっとるで、あの人」
「ほんまや」
「あの人、絶対名前さん狙いよな」
 
 二年のレギュラーメンバーがその光景を眺めながらハハハと笑う声に、俺らは一斉に顔をぐりんと向けた。まさか一年四人からそんな視線を向けられるとは思っていなかったらしい赤木さんが驚いた顔をして「な、何やねん!?」と後ずさる。
 聞けば、あのWSと名字さんは幼馴染らしい。もとは兵庫の人間で、大阪に引っ越して高校で運命の再会を果たしたのだと語る赤木さんの話は、正直どこまでが本当か分からない。けれど、少なくとも自分たちよりも仲が良さそうであることは確かだった。

「…ツム、お前顔やばいで」
「なんやと!?」

 まるで拗ねた子供のようにむすっと口を尖らせている侑は、己の表情に気づいていないらしい。お気に入りの玩具を取られたような表情をしておきながら無自覚かい。

「…向こうのWS、名字さんのこと名前で呼んでたな」
「…だからなんやねん」
「なんでツムは名字すら呼ばへんの?」

 名字さんとお前の関係性、あのWS以下やん。そう呟いた俺に、侑は「そんなん、アイツが俺んこと名前で呼ばへんからやろ」とプイ、とそっぽをむく。悔しいくせにいきがるのなんやねん。大きなため息を吐きそうになったところを寸前で噛み殺す。

「まあええわ。お前、名字さん手伝って来いや」
「はあ?なんで」
「俺らはまだ片付け途中やねん。手が空いてんの、お前しかおらんやん」

 俺が視線で指し示した先には、大量のスクイズボトルを抱えた名字さんの姿。俺は、いつまでもうじうじされるとこっちがめんどいわ、と侑にきっかけを与えてやることにした。侑の性格上、自分から関係を変えることはしないが、誰かに言われれば動く可能性が高い。とはいえ、普段なら俺が言って動くことは滅多にないのだが、今回ばかりは先ほどのWSとの会話が効いているのか、侑はギリギリと歯を鳴らしながらも渋々名字さんのそばへと寄っていった。

「これ、運べばええの?」
「ああ、うん」

 くるりと振り返った名字さんの口が「治ありがとぉ」と動いたのがはっきりと見えた。そのまま侑の顔を見ること数秒。ようやく目の前の男が俺ではないと気づいた名字さんが目を見開いた。そういえば、北さんが一日目の夜に「名字さんも見分けがついていないらしい」と言っていたな、と頭の片隅で考える。名字さんはきっと、侑に話しかけられることがないから、双子の話しかけてくる方=俺、という風に覚えていたのかもしれない。
 やらかした、と珍しく顔に書いた名字さんに、侑はようやく状況を理解したのかワナワナと震えている。飛び跳ねるような勢いで「あんなデブと一緒にすんなや!」と怒鳴った侑の声に、俺の中の何かがプツリと切れる。その勢いのまま侑へと走り出そうとした俺を、銀が慌てて抑え込んだ。

「おい銀、離せや!」
「これでお前が行ったら余計ややこしなるわ!」

 いいから大人しくせえ!と言った銀の横では、角名が口元を押さえながらスマホを構えている。おい角名、その口の端がピクピク動いてんの見えてるからな。

「ご、ごめん。えっと…宮やったか。ありがとぉ」
「……」

 あんなに表情筋が動いている名字さんを見るのは入部してから初かもしれない。そう思ったのは俺だけではなかったようで、動画を撮っていた角名も「名字さんの表情筋ってちゃんと動くんだ…」と驚いている。それに対して銀は「お前ら失礼やろ」と呆れていたけれど、思うことは同じらしい。

「…名字さんだけで運んでたら夜になるわ」
「は?」

 侑はそれだけ言うと、名字さんが持っていた空になったボトルが入っている籠をひょいっと持ち上げた。「どこ運べばええの」とぶっきらぼうに言う侑に、名字さんは困惑したままだ。いや、大量の汗を吸ったタオルの籠の方が重いと思うねんけどな。微妙に決まらないあたりがなんとも侑らしい。名字さんは籠と侑を交互に見てから、ようやく状況が理解できたらしい。

「侑。ありがとぉ」

 いつもよりも柔らかい眼差しで口元を緩めた名字さんに、侑がピシリと固まった。そんな侑に気づかない名字さんは、タオルの入った籠を持ち上げて体育館を後にする。

「…まさか、一年の中で一番最初に笑った顔を向けられるのが侑とはなあ」

 感激したかのように呟いたアランくんに、赤木さんは「せやなあ」と頷いた。慌てて後を追うように出て行った侑を撮り終えた角名はスッと静かにスマホをおろす。俺と銀はスンッと表情をなくし、ただただ体育館の入り口を眺めた。

20230602