09


 5月も中ばをすぎれば、一年生たちも部に大分馴染んできたようだった。彼らもそれなりに時間の作り方がわかってきたようで、ちらほらと自主練に励む姿を見かける。
 あれだけ信介より早く来たがっていた角名も、ようやく引き際というものを覚えたようで、今は早く起きれた時にだけ早く来るようにしたようだ。それでも完全に諦めていないところを見るに、倫太郎は案外負けず嫌いな節があるのかもしれない。そんな彼も、今ではすっかり銀や双子と行動するのが定着したようで、基本この四人がセットでいることが多い気がする。同級生同士、仲がいいのが1番である。

「おい、双子があっちで乱闘はじめよった!」
「嘘やろ、また!?」
 
 一年生たちが仲を深めていくのと同じくらい、双子が体育館で堂々と喧嘩をする回数も増えた。アラン曰く「中学では日常茶飯事でした」というその喧嘩は、お互いが本気でぶつかりあっているせいで周りが止めに入れないくらい凄まじい。その乱闘も信介を前にすれば勢いをなくすのだが、今週は二年生が個人面談期間ということもあり、信介はこの場にいない。

 「名字さん助けてください!」と駆けてきた一年生に引きずられるような形で体育館へと向かうと、治が侑の上に乗り掛かり胸ぐらを掴んでいるところだった。どうやら侑は口が出やすく、治は手が出やすいらしい。事の発端は大体侑にあるようだが、乱闘へと発展させるのが治だというのもこの1ヶ月で学んだことだった。
 喧嘩してもいいと思えるくらいに部に馴染んできたことを喜ぶべきか、この年になってもどこでも構わず兄弟喧嘩をする双子に呆れるべきか。思わず現実逃避をしてしまう私をよそに、喧嘩はどんどんヒートアップしていく。双子の同級生たちが震え上がっているのを見る限り、彼らもよかれと思って見守っているわけではないようだ。それくらい、双子の乱闘に他者が介入するのは難しい。

「お、やってるやってる」
「双子乱闘や!」

 私の後ろでできあがりつつあるギャラリーの声を聞きながら、どうしたものかと考える。最近ではこうして見せ物のように人が集まってきてしまい練習を中断せざるを得ない状況になってしまうこともあるため、できれば今回も早々に何とかしたい。
 どうしてこういう時に限ってほかの三年生はいないのか。いや、監督と話があるっていってたから仕方のない事なのだけれど、監督も双子も今じゃなくてもいいだろうと思う。

「倫太郎、止めてきて」
「え、無理です」

 私のすぐそばで避難するかのように気配を消している倫太郎に声をかければ、彼は即答し胸の辺りで片手を振った。「戦力になりませんって」と笑う彼は、我関せずといったところらしい。そのくせちゃっかりスマホの録画ボタンは押しているのだから困った後輩である。倫太郎はもう少し双子の近くで喧嘩を止めようと試行錯誤している結を見習うべきやと思うで。
 そうこうしているうちにも喧嘩はヒートアップしていく。バレーボールを投げながらとうとう相手を蹴りはじめた双子に呆れつつも、私は一歩を踏み出した。さすがにこれ以上は怪我人が出かねない。「え、名字さん正気ですか」と、隣で倫太郎の驚く声がする。喧しい。倫太郎が行かないから私がいくんやろが。

「…!名字さん、危ない!」
「…ッ!?」

 双子の元へ向かうために一歩踏み出した足は、結の切羽詰まった叫び声でぴたりと止まる。目を見開いた時にはすでに大きな影が私の目の前に迫っており、次の瞬間、私の体は何かに潰されるように倒れこんでおり、視界は体育館の天井を捉えていた。
 頭がジンジンと痛みを訴える。突然の出来事に混乱していると、私の上でモゾモゾと何かが動いて顔への圧迫感とともに私の視界が完全に真っ暗になった。どうやら誰かの大きな手が私の顔を覆っているらしい。
「ふざけんなやクソサム!」と叫んでいる声からして、私の顔を支えにして起き上がったのは侑のようだ。起き上がるのはいいのだが、私の顔に侑の全体重が乗っているこの状況は正直しんどい。というか、圧迫された鼻が痛いねんけど。

「大体お前…ッ!」
「おい」
「ああ!?なんや、ね…ん」
「邪魔やねんけど」
「え、あ…名字、さん?」

 侑の手のひらの中でモゴモゴと口を動かし手探りで片手を胸ぐらまで伸ばす。侑はようやく己の下に人がいることに気づいたらしく、小さく私の名前を呼んだ。おん、そうやで。お前が下敷きにしてるのは先輩やぞ。胸ぐらを掴む手に力をこめれば、侑は中途半端な姿勢のまま「す、すんません」と私の顔から手を離す。再び明るさを取り戻した私の目の前には、顔を真っ青にした侑がいた。

「…お前ら、そんなに喧嘩がしたいんか?」

 思ったより低く出た声に、侑は逃げようと体を後退させた。しかし、私が胸ぐらを掴んでいたこともあり、逃げられずに体がピンと張る。侑のさらに後ろにいる治は、顔にしまったとでかでかと書き、思い切り目を逸らした。

「はい!あ、いいえ!」
「クソツム一旦黙れや」

 慌てて出たらしい侑の言葉に治がぴしゃりと言い放つ。それに対し噛みつこうとした侑は、私の顔を見るなりハッと口を噤んだ。

「あんたたち二人、今日自主練してくんやろ」
「え!?あ、はい!」
「分かった。なら、自主練場所変更や」
「え」
「部活終わったら、私のところ来い。存分に喧嘩できる場所連れてったる」

 治もや、と続けた私に、双子はコクコクと壊れた人形のように頷く。ところでなんでそないに双子震えてんの?私怖い顔してる?思わず隣にいた角名に問い掛ければ、角名は数歩引いた状態で「はあ…まあ…」と目を逸らした。
 
 



 その日の部活終わり、言いつけ通りに私の元へとやってきた双子は、私の隣にいる路成を見て、驚いた顔をした。「え、赤木さんも喧嘩しに行くんですか」と、驚く双子に路成は「お前らと一緒にすんなや!」と笑い否定する。ついでに倫太郎と結にも声をかけてこいと言った私に、双子は不思議そうにしていたけれど、数分後には二人を連れて戻ってきた。

「あの…これからどこ行くんすか」

 双子のせいで完全に巻き込まれました、と言いたげな倫太郎が嫌そうに聞くので、私は「双子が喧嘩できるところ」と返事を返す。まあ、強いていうなら存分に暴れられる場所や、と向かった先は、私の父親がインストラクターを務めるスポーツジムだった。

「え!?ジム!?」
「せやで。ここなら存分に競って貰ってええよ」

 慣れた手つきでオートロックの鍵をかざせば、ドアは簡単に開き、私たちを迎え入れる。それをじっと眺めていた一年生たちは「おお…」と言葉を漏らした。
 ジムに入ってすぐ、受付にいた父親が「今日は人数多いなあ」と私たちを出迎えた。誰だ、と顔を見合わせている一年生たちを置いて路成は「名前さんの親父さんチャーッス!」と父親とハイタッチを交わす。相変わらず距離感が近い男である。父親も路成のこのテンションには慣れているのか、「ウィーッス」と楽しそうにそれに応えていた。「お、やじさん…?」とポツリと呟いたのは結で、父親と私を交互に見た4人は、驚きに口を開けていた。

「え、名字さんちって、ジムなん!?」
「せやで。個人経営やから小さいけどな」

 私もよくマシン使うて走ってんねん、とランニングマシンを指させば、4人は納得したように「ああ…」と頷いた。え、今ので一体何に納得したん?

「路成は常連やな。たまにバレー部も何人か来るで」

 練とか、アランとか。指を折って名前を言っていくと、倫太郎の瞳が僅かに輝いた。倫太郎、練に懐いとるもんな。仲がええのはいいことだと思うで。

「で、なんで俺らここに連れてこられたんですか」
「え?いやだから、喧嘩するならここでどうぞ」
「え?」
「いつも競ってんのやから、今日はここのマシン存分に使うて決着つけたらええ」

 そう言ってマシンを指差した私に、ようやく状況が理解できたらしい一年生たちははああと肩を脱力させる。「俺、まじで殴り合いしろってことかと思た」「俺も」ヒソヒソと話す結と倫太郎にムッと顔を顰める。彼らは私のことをヤクザか何かと勘違いしているのだろうか。

「まあええわ。双子はここのマシン使て好きに勝負してくれて構わへんよ」
「へ?」
「喧嘩するんやったら、実のある喧嘩しいやって事」

 一時間後に様子見に来るわ、と私は毎日恒例になっているランニングマシンへと足を進めた。さて、私も日課を始めますか。

 


 ランニングマシンのタイマーが止まり、流れていた洋楽を止める。さてそろそろ双子も落ちついた頃だろうか。
 スポーツバッグからタオルを取り出し双子の様子を見てみると、彼らはマシンの前でゼエゼエと息を切らしていた。「このマシンめっちゃ太ももにくる…ッ!」「それな」なんて話している双子を見るに、どうやら双子の意識は喧嘩からマシンへと移ったようだ。

「路成ー、プロテインいるか?」
「ください!」

 路成は路成で、筋トレを終えたらしく、父親がいつものように声をかける。それに目敏く反応した結が「えっ、羨まし…!」と呟いていたので、私は結に手招きをして父親の元へと連れていった。ちなみに角名はいつから休んでいたのか分からないが、ジムの端っこで体育座りをしてスマホを見つめている。

「本当は短時間にこうやって詰め込むのはあんまりよくないんやけどな。マシン使うて筋トレするのもおもろいやろ」
「めっちゃおもろいです!」

 ワクワクとした表情で、侑が笑う。こいつは興味が出たものには素直な反応するんやな。隣では治も満更でもない顔で頷いている。まあ、喧嘩が収まったならよかった。

「体動かしたくなったら、いつでも来ぃや」

 ほれアイス、と父親は双子と角名に向かってアイスを差し出した。いや、角名はそこまで動いてないからいらないのでは。じとりと視線を向けると、「15分くらいはウォーキング頑張りましたし」と角名はぷいっとそっぽを向く。いつの間にか結と路成もアイスを貰っていたらしく、しゃりしゃりと音を立ててこちらに近寄ってくる。

「ええなあ。俺、名字家の子供なるわ」
「ええやん。そのまま宮家に戻って来なくてええぞ。その分多く飯食えるし」
「いや、ならんでええわ」

 アイスを幸せそうに頬張る侑にピシャリと言い放つ。なんでやねん!と叫ぶ侑を無視して、私はアイスに齧りついた。

20230610