03


 なんでみんなしてはよ来んねん。

 目の前を歩く人影に、私は一人ツッコんだ。目の前を歩くのは、つい先日入学式を終えたばかりである新入部員の角名だ。

 信介といい角名といい、早く来ることは褒めるが早すぎひん?

 スクールバックを持ち直して、扉に手をかけた角名に「おはよぉ」と声をかける。すると、角名の体が驚いたように跳ねる。どうやら後ろを歩く私に気づいていなかったらしい。

「おはよう、ございます…」
「角名、今日何でこんな早いん?」

 この数日の角名を見ていれば、彼がめんどくさがり屋だということはすぐに分かる。そんな角名がこんな早くに来るのだから、何か特別な理由があったんだろう。
 角名は、私の言葉に何故だかそろりと視線を横に逸らし、口元を隠すように俯いた。そんなに言いづらい内容なんやろか。

「…北さんが」
「信介?」

 突然出て来た新たな名前に、私は思わずおうむ返しをする。信介に用事があったってことなんやろか。中途半端に途切れた角名の言葉を待っていると、角名は言わなければ解放されないと思ったのか、重い口を開く。

「…北さんより早く来たくて」
「ん?ああ。成程」

 どうやら角名は、信介が早い時間に来ていることを知っていたらしい。「信介より早う来るにはもっと早起きせんとあかんよ」とアドバイスをすれば、角名は「えっ…」と呟いた。その表情は、驚きというより「北さん本当に人間かよ」と言いたげだ。

「あの、名字さんは知らないですよね?」
「ん?」
「北さんの、弱点…とか」

 角名の言葉を聞いて、私は彼の行動にようやく納得がいった。
 信介は、この短い期間でも分かるくらいに隙がない。数日前もさっそく双子に正論をぶちかまし、一年生を震え上がらせていた。きっと、角名もそうだったのだろう。
 それに、角名はちゃんとやる信介とは正反対の性格をしている。それが角名の興味に繋がったらしい。まあ、だから弱点を探すというのはいかがなものかとは思うけれど。
 それにしても、信介の弱点、なあ。
 
 「知らんなぁ」と首を振れば、角名は「こいつ使えねぇな」と言わんばかりの顔で「そうですか」と呟いた。おい、私3年やぞ。

「角名、そのためだけに早う来たん?」
「…まぁ、ハイ」

 その熱量を、もうちょい他のところに当てたほうがええと思うけどな。じっと角名を見つめていれば、角名は私の顔を見てからサッと目を逸らす。自分、そういうところやぞ。

 



「角名、こんなところにおったんか」
「げ」
「げ、とはなんやサボり魔」

 休憩中、角名が見当たらないと主将から声がかかり、探すこと5分。体育館に背を向けるようにして、入り口のドアにもたれかかる角名を見つけた。
 案外近くにいたんやな、灯台下暗しやん。よっこいせ、と角名の隣に座って、新しいタオルを渡してやれば、角名は素直にそれを受け取った。

 角名は、部内唯一の県外推薦だ。喋る言葉も東寄りが多く、標準語。クラスにはバレー部員はいないらしい。

 だからか、角名は1週間経った今でも、どこか同級生たちと馴染めていないように思う。
 宮侑なんかとはバレーの話をしているようだけれど、それも部活中のみ。帰る方向は銀島と同じようだけれど、角名は自分から話しかけるようなタイプではない。
 事あるごとにスマホをいじっているからか、いつだったか主将である藤が「スマホばっかりいじってんなや。コミュニケーションを取らんかい」と注意していた。今日ここにいたのはきっと、それも理由だろう。

「同級生とこおらんでええんか?」
「…別に、仲良しこよししに来た訳じゃないんで」
「そぉか」

 この一年、想像よりだいぶ尖ってるやん。これ以上かける言葉が見つからず、とりあえず隣に座ってノートを開く。

「そういや、信介の弱点見つかったんか?」
「…名字さん、分かってて言ってます?」
「はは。すまんな」

 角名の言葉に、私はノートにシャーペンを走らせたまま笑う。私が笑ったことに驚いたのか、角名はこちらをじっと見つめていた。

「藤のな、弱点は蝉の抜け殻やねん」
「は?」
「もとはひっつき虫が苦手やったんやって。あれ、ごっつ服につくやろ?昔遊んでて服いっぱいにつけられたことあんねんて」
「はぁ…」
「ま、つけたの私なんやけど」
「えっ、名字さんが?」
「せやねん。私と、路成…赤木の姉ちゃんな。中学一緒やねん。で、中一の時につけて遊んでたら泣かせてしもて先生に怒られてしもて」
「なんだそれ…想像つかねぇ…っ」

 角名は、おかしそうに腹を抱えて笑う。「名字さんがいじめっ子とか意外すぎ」と目に涙まで溜めている。失礼なやつやな、いじめてへんわ。

「それでな。ひっつき虫はダメや言うから、夏に赤木の姉ちゃんが言ったんよ。Wなら蝉の抜け殻はどうや?Wって」
「そういう問題じゃねぇ…っ」
「せやろ?私も止めたんやけど、赤木の姉ちゃんって止まらへんねん。どこまでも全力疾走やねん」

 今でもその時の光景は目に浮かぶ。ノートから視線をあげ、角名を見れば、角名は腹を捩るほど笑っていた。

「そんでな。二人で蝉の抜け殻つけて遊んだんやけど」
「二人でって…名字さんも遊んでるじゃん…」
「赤木の姉ちゃんがつけた抜け殻が、変やってん」
「まさか……」
「そう…まだそれ、抜け殻やなかったんよ」

 「で、藤は無事蝉の抜け殻にトラウマを植え付けられたって訳や」と締めくくれば、角名はとうとう笑い転げてしまった。
 なんや、角名も笑えば年相応の顔するんやな。いつも澄ました顔してるから、周りにも誤解されんねん。

「この話、オフレコちゃうから、バンバン一年に広めたってな」
「そこは秘密じゃないんですね」
「私、秘密って苦手やねん。すぐ顔に出てまう」
「その顔で?嘘ですよね?」
「お?喧嘩売っとんのか?安く買うで?」

 拳を握って見せれば、「イメージと違いすぎるんだって…!」と角名は笑う。
 話題の中心人物である藤の休憩の終わりを知らせる声がした。どうやらだいぶ話し込んでしまったらしい。
 よっこいせ、と重たい腰を上げて伸びをすれば、角名がじっとこちらを見つめていたので、私は「どしたん?」と首を傾げた。

「名字さんって、もっととっつきにくい人かと思ってました」
「素直やな」
「俺、素直が取り柄なんで」
「よく言うわ。今日の朝のこと、信介に言うてもええんやぞ」

 ふん、と鼻を鳴らせば、角名は慌てた様子で「それだけはやめてください」と首を振る。

「せや。角名、夏になったら藤が蝉の抜け殻にビビってるとこ動画撮ってくれへん?」
「え、俺ですか?」
「やって、いつもスマホいじっとるし。詳しいやろ?」

 私のスマホは、春休みに買い換えたばかりだ。しかも、前機種はスマホではなく、折りたたみだ。
 角名は「流石に夏になれば操作慣れますよ…」と呆れた顔をしていたけれど、どことなく楽しそうだ。
 角名のことは、杞憂だったかもしれへんな。そんなことを考えながら、「夏の思い出つくろうな」とキメ顔を向けたら、角名の笑いのツボに再び入ってしまったらしい。

「おい角名!名前!休憩終わっとるぞ!」
「アホ藤、今こっちに来たらあかん!」
「は?なんで?」

 角名の腹筋は、無事死亡した。

20230426