07-2


 合宿初日に、名字さんから「一年生はここ」と押し込まれた大部屋は、合宿一日目の夜にして早々空気が重い。その大半は風呂もまだだというのに敷かれた布団の上にうつ伏せになっていてまるで死体のようだった。とはいえ、俺も疲れていないのかと言われればそんなこともなく自分の布団の上で胡座をかきながらただじっと宙を見つめていた。アランくんが「一日目の夜は地獄やで」と言っていた意味がなんとなく分かった気がする。疲れすぎて今の俺の心は無。今なら俺、僧侶になれるかもしれん。ぼけっとしていた俺を見て、角名はぎょっとした顔を向けてから「真顔コワ」と呟いた。ついでに引かれた。うるさい、今から俺は一休さんになるんや。

「おーい、1年。ちゃっちゃと風呂入れ〜」

 まるでお通夜のような大部屋に赤木さんが勢いよくやってきた。どうやら2年生の風呂の時間が終わったらしい。まるで大太鼓を鳴らすかのように叫んだ赤木さんは、俺らの部屋の状況をぐるりと見渡して「1年魂抜けとるやん。この空気懐かしいなぁ〜!」と笑いながら去っていった。
 
 いやいやと抵抗をする体に鞭を打ちながら風呂場に向かうと、そこにはすでに銀と侑の姿があった。「銀も侑も部屋にいなかったよね?」と首を傾げた角名に、銀は飲み物を買っていたらたまたま通りかかったアランくんたちが自分たちの番になったことを教えてくれたらしく、侑の案で直接風呂場に来たのだと言った。

「部屋に行ったら寝てしまいそうだったんや、侑が」
「でも銀、着替え持って来てないよね?」
「…そんなんタオル腰に巻いて走ればええやろ」

 角名の問いかけを一蹴りし「それよりはよ風呂入るで」と侑が先導して風呂場のドアを引く。いや、なんでお前が仕切ってんねん。というか、裸で廊下ふらついたら北さんにどやされるんちゃう?と思ったけれど、こうなった侑はめんどくさいので黙っておくことにした。角名も同じことを思ったようだが、「まあ男所帯やし行けるやろ」と銀が乗り気だったので放っておくことに決めたらしい。男所帯って、名字さんおるの忘れてるやろこいつら。そしてそれを教えてやらない角名は、やはりドライな性格なのだなと思った。
 
 



 こういう時、侑は本当にW持ってるW奴だと思う。
 非常口のドアのようなポーズで固まる二人の視線の先には、名字さんと北さん。幸い名字さんはこちらに背を向けていて、今侑たちと目が合っているのは北さんのみだ。「ちょお名字さんすみません。失礼します」ペコリと頭を下げた北さんは、その足を迷いなく侑たちの方向へと向けている。あ、これは侑も銀も終わったな。名字さんが「おやすみ」とこちらを振り返ることなく去っていったところを見ると、あのふたりもただ偶然廊下で出くわしただけだったのかもしれない。とはいえ、振り返らず去っていったのは侑にとっても銀にとっても良かったのではないだろうか。なんせこいつらは今、腰にタオルを巻いているだけの状態だ。それを見られたとなれば黒歴史間違いなし。特に名字さんを毛嫌いしている侑にとっては大ダメージだろう。

「銀…に、侑」
「は、はい」
「ひとまず服を着て来い」
「ンウィッス!」
「風邪引いたらどうすんねん。あまり合宿を舐めんな」
 
 はよ行け、と一年部屋を指差した北さんに「ハイ!」と侑と銀が大声で返事をして走り出す。どうやらこの場で説教をするわけではないらしい。それに間髪をいれず「騒ぐな」と北さんが注意をするが、すでに侑と銀の背中は小さくなっていた。
 角名と俺が笑いを堪えられずに震えていると、北さんがくるりとこちらに振り返る。それから俺の顔をじっと見つめてから「うん、自分治やんな?」と首を傾げた。

「さっきは当てずっぽうやったんやけど、侑で合っててよかったわ」
「え、北さん俺らの見分けついてなかったんですか?」
「俺がというより、アラン以外はっきり見分けついてる奴おらんとちゃう?」

 なあ角名、と北さんの視線は角名にむく。突然同意を求められた角名はびくりとしながらも「あ、まあ…そうっすね」と頷いた。嘘やろ。まじか。

「髪色同じだし、風呂上がりだと余計分かりにくい、かも」
「!?」

 角名の言葉に衝撃を受けていると、北さんがそばで頭を縦に動かした。「まああんな奇想天外なことするんは侑のほうやろなって思ったから声かけれたんやけど」と北さんは笑う。

「さっきもな、名字さんとその話になってん」
「名字さんと?」
「せやで」

 名字さんもどうやらすぐには見分けがついていないのだという。あの態度わる男と一緒にされていると思うと、なんだか一気にやる気を無くしてしまった。もう早く帰って寝よ。ズン、とテンションの下がった俺に気づいた北さんが「すまんな、悪気はない」とフォローが入る。それに大丈夫ですと答えていると、侑と銀が去っていた方向から「ぎゃあ!名字さん!」と銀の叫ぶ声がした。

「しもた。マネージャーの部屋、1年部屋のすぐそばやったわ」

 角名と俺が驚いてえっと北さんに視線を向けていると、「何でおんねん!」と侑の叫び声と共にドアの閉まる音がした。ということは、あと一歩部屋まで間に合わず名字さんと会ってしまったのだろう。これは、部屋に戻ったら侑がまたうるさいやろなあ。

 

 合宿二日目。1年では早々に脱落者が出て、走り込みを始める頃には昨日いた同級生は半分まで減っていた。寝込む奴、もう無理ですと名字さんのマネージャー業務を手伝う奴。午後にもなれば、その数はさらに増えていく。
 なんとなくつるむようになった俺らの中でも、角名は特にしんどそうにしていた。こいつ、バレーはうまいんねんけど、ひょろっこいし体力ないねんな。膝に手をつき息を整える角名に、銀が「大丈夫か?」と心配そうに声をかけている。

「なあツム。俺ら見分けつかへんらしいぞ」
「はあ?そんなん散々言われて来たやろ。何を今更」
「てことは、やで。ツムが俺のふりして名字さんに話しかけたら、ツムも会話してもらえるんとちゃうか」

 タオルでガシガシと顔を拭きながらそう言えば、侑は何を言われたのか理解できないという顔をして固まってから、はああ!?と声を荒げた。すぐさまギロリと北さんの視線が飛び、慌てて口を抑えた侑は「な、は、意味が分からん!」と珍しく狼狽えている。

「やってツム、話したがってたやん。名字さんと」
「お前の目は節穴か!?」

 そんなんちゃうし!と小声で言った侑に、角名と銀の視線が集まる。わかるで、二人とも。その目は「まじか」と思とる目やんな。ちなみに今俺も思てる。今までの態度といい、昨日の態度といい、侑は名字さんが嫌いや!と言っているが、おそらくその本心は「今は認めているが引っ込みがつかなくなっている」のだと思う。

「ま、ツムが話したくないなら別にええけど」
「…なんやねんその言い草。気持ち悪いやつやな」
「だって俺、合宿終わったら髪の毛染めるし」

 そしたら侑と間違えられることもない。そう言った俺に、侑は再びはあ!?と声を荒げ、慌てて口を抑えた。どうやら今は北さんの目はないらしい。俺の発言には角名も銀も驚いたようで「へえ」やら「何色に染めるん?」と興味津々に聞いてくる。

「俺は名字さんに名前で呼んで貰えるし、髪染めて俺が治やってすぐ分かるようになれば名字さんが侑に話しかける機会は減るかもしれへんなあ?」
「んぐ…っ!」
「まあ、名字さんの事、W宮Wクンは嫌いやもんなあ〜?」

 俺は嫌いちゃうけど。侑は俺の言葉にぐぬぬぬ…!と悔しそうに顔を歪める。まあ、そもそも名字さんが一年に用事があって話しかけることはあまりないし、話しかける頻度は大して今と変わらないだろうとは言わないでおこう。侑が口を開こうとしたところで、ホイッスルが鳴る。「交代や!」と声を張り上げた名字さんの声を聞いた侑が、今度はキッ!と名字さんを睨みつけた。

「おいマネージャー!笛の音小さいんじゃ!もっと腹から鳴らせ!」
「すまんな、だからはよ入り」
「なんやねん!ちゃんと分かってんのか!」
「分かっとる分かっとる」
「んぐぐ…!」

 侑はともかく、名字さんの侑のあしらい方適当になっとるやん。とりあえず返事しとこ感半端ない。角名も感じとったらしく「まあ合宿中ただでさえ疲れるのにあれの相手はしたくないよね」と名字さんに同情の目を向けている。ギャンギャンと騒ぐ侑の声を受ける名字さんの表情は、それでも変わっていなかった。

20230522