※死表現ありのため閲覧注意※

「北さん、今日店来れませんか」

 治からそう連絡が入ったのが早朝7時。おはようございますの挨拶もなしに突然要件を言い出した治に呆れながらも、昼時向かうわと言えば分かりましたとあっさりと電話は切られた。そんなに急ぎだったのだろうか。思わず真っ暗になったスマホの画面を見つめれば、胸元で小さくネックレスが揺れた。
 まあええか、と家のことや田んぼのことをやってから治の店に向かえば、店を一度閉じる時間だったのか、治が暖簾を片付けている最中だった。背後から小さな声で「治」と名を呼べば、治はどこか眠たげな声で「北さん」と呟いた。

「何や眠そうやな」
「朝までツムと銀と角名と飲んだくれてたんですわ。おかげで寝不足や」
「ほぉん。オールっちゅうやつやな」
「気軽にオールできる年でもないですけどね」
 
 肩をバギバギと鳴らしながら、治は暖簾片手に店へと入っていく。それを追うようにして店内へと入れば、人がいないからかどこか寂しげな店内が出迎えた。

「で、俺に用事って?」
「ああ、せやった。これ、角名からです」

 そう言って渡されたのは、一枚の手紙だった。思わず困惑する俺に、治はフッフと笑いながら「まあ開けてみてくださいよ」と言った。そうして開けた手紙には、懐かしい文字がずらりと並んでいる。

「これ、稲高の寮母さんから受け取ったんやって言ってました」

 治はそう言って、「俺は自分宛に書いたんですけどね。みょうじは違ったみたいですわ」と言う。治の言う通り、この手紙は正真正銘みょうじの字で綴られていた。

「なんやこれ。近況報告やん」
「ああ、そこやなくて…ああ、ここです、ここ。北さん、ここ読んでみて」

 治の指した指を追うように視線を動かせば、とある一文が目に入る。そこにはW皆にはまだ言ってないけど、北さんと付き合うことになったWという文章からはじまり、とある言葉で終わっている。

「みょうじ、北さんのために神社にお守り買いに行くって書いてますよね」
「…せやな」
「北さん、知ってました?」
「いや、知らん。受け取ってもないしな」

 そもそも、一体いつお守りを買いに行こうとしていたのか。その疑問は次の文章であっさりと返事が返ってくる。どうやらこの時のみょうじはセンター試験前に時間を見つけて買いにに行こうとしていたらしい。

 センター試験前、と言われて思い出すのは、みょうじと連絡が取れなくなったあの日だった。
 あの日、兵庫では大雪が降った次の日で、確かみょうじからはWチャロが足を引きずっているから病院に連れて行きますWと連絡が入っていた。それに対し、電子機器に疎かった俺は画面を睨みつけながら「雪大丈夫か?」とようやく一文を送ったのだったか。結局それに対し返事は返ってこなくて、休日明け学校に向かうと、みょうじはどうやら転校したのだと専らの噂になっていた。
 まるで、雪のように溶けて消えていった女だ、と思う。当時はそれはもう衝撃で、特に双子や銀、角名なんかは「何かがおかしい」と職員室に駆け込む始末。結局それを俺は追いかけ黒須監督から聞いた噂と一言一句違わぬ事実を、彼らにそのまま伝えたのだった。

「俺ら昨日、その日のこと思い出してたんです」
「ああ、せや。お前ら昨日飲んでたんやったな」
「角名がその日は大雪やった言うてスマホで調べてたら、急に気になる記事見つけた言うて」
「気になる記事?」

 これです、と治がスマホで見せたのは、なんてことないローカルニュースの記事だった。そこには、みょうじの連絡が取れなくなった日と同じ日に起きた殺人事件と加害者の情報が事細かに書かれている。けれど、その被害者である人物だけはW高校生Wという記載のみで、名前までは載っていなかった。

「確か、被害者が高校生の場合、実名が伏せられるやないですか」
「……」
「もし、もしですよ?仮に、みょうじが、し、死ん――」
「治」

 スマホを持つ治の手が震えている。この後輩は、こんな状態で半日接客をしていたというのか。思わず強めの口調で治の言葉を遮れば、治は大袈裟に肩を震わせサッとスマホをしまった。

「寝てないから悪い方へ考えが行ってまうねん。今日はもう店じまいしたらどや」
「…いえ、大丈夫です」
 
 治がふうと息を吐く。目を閉じた治は「変なこと言ってすんません」と頭を下げた。

「ええよ。治も疲れてるんやろ」
「いや、まあ…そら眠いですけど」
「…せやけど、みょうじが今どこで何してるのか知りたいのは、みんな同じやろな」
「え?」

 この5年で、日常には様々な変化が訪れた。同級生や後輩は、プロ入りを果たしさらなる高みで戦っている。バレーを選ばなかった同級生や後輩だって、もう社会人だ。治に至っては、自分で店まで開いている。
 けれど、そんな中で変わらない者がひとり。記憶の中の彼女はまだ幼いままで俺に笑いかけている。

「本当はな、知ってんねん。みょうじの居場所知ってそうな人」
「…え!?ならなんですぐに聞きに行かないんです!?」
「なんでやろな…忘れたかったんかな」

 突然自分に何も言わずに消えた少女。その理由を知るのが、少し怖かったのかもしれない。思い出なんかいらんのスローガンはあまり好きやなかったはずなのに、みょうじのことは昨日のこととして消化しようとしている自分が何より腹立たしく、その自分にすら目を逸らし続けてきた。

「…北さんが行かへん言うなら、俺らがその人んとこ行ったる」
「…は?」
「俺らかて、みょうじが今何してるか知りたいんですよ。何も言わんと急に転校なんてしおって。一言言ってやらんと気が済まへん」

 そう言って腕を回す治に、俺はパチリと目を瞬かせる。なんや、結局、みょうじのことを昨日のことだと消化しようとしているだけで、実際には全く消化できてなかったんやなあ。俺の気持ちも、あの日に囚われたままやったのか。

「すまんな、治。みっともないとこ見せたわ」
「いや、別にそんな…」
「やっぱり俺がきちんと話聞いてくるわ」
「…そぉですか」
「おん。富田さんも、知らん人来たらびっくりして腰やってしまうかもしれへん」

 あの年代の体の不調はあまくみてはいけないと学んだのは、つい先日ばあちゃんが腰をやってしまったからだ。治は少し考えるように黙り込んだけれど最終的には「せやな。北さんが適任ですわ」と頷いた。

 

△▼△


 それは、秋の夢だった。
 朝の光で目が覚めた。少し開いた襖越しに見える空は、すっきりと晴れ渡っている。夢でみた季節よりも寒くなった現在、足元が冷えるのを感じながら、ゆっくりと起き上がる。

 みょうじなまえは、もうこの世にはいないのだという。
 それは、あの夢の続きであり現実だった。当時高校生だった自分たちに、公言しないでほしいと学校側に頼み込んだみょうじの母親の言葉もあったことから、混乱を避けるためにみょうじの死は大人たちによって隠された。今更それを責める気にはならなかったし、みょうじは当時小学生だった少年を助けようとして包丁で刺されたというのだから、その死に賞賛はあれど、非難する者はいないだろう。
 ただ、死ぬ時に一緒にいてやれなかったことだけは、唯一の心残りだった。きっと、一人で心細かっただろう、怖かっただろう。みょうじは、メンタルが丈夫そうに見えて、実は人一倍臆病なのも知っている。
 そもそもあの時、猫の病院にだって一人で行くのは心細かったはずだ。そうして生まれるWどうして一緒に行ってやらなかったんだWという後悔。俯いた俺の首から、銀色のネックレスが飛び出して、ゆらゆらと揺れていた。
 
 時間を確認しようと開いたスマホにはWunknownWと書かれたトーク画面が表示されていた。どうやら画面を開いたまま眠ってしまったらしい。昨日、唐突に読み返したくなって開いたままだったその画面は、みょうじに送った最後のメッセージで止まっていた。みょうじから連絡が来ないのはこれが初めてで、当時はなかなかに動揺したことを思い出す。

「そもそも、みょうじが神社に向かわへんかったら…」

 ぽつりと呟いた言葉にハッとする。今、自分は何を言った?思わず口に手を当て唇をなぞった。ポタリ、と何かが膝へと落ち、ズボンを濡らす。自分が泣いていることよりも何よりも、自分のせいで死んでしまったのではないかという後悔だけが心を蝕んでいく。
 ぐ、と握り拳を作り、涙がおさまるのをただただ待っていると、ふと隣に暖かなぬくもりを感じ、俺はハッと隣を見つめた。そこには何もいなかったけれど、懐かしいあたたかさを感じたような気がした。
 ふと下を見れば、投げ出されたスマホには十一桁の番号が羅列されている。どうやらいつのまにか電話帳を開いてしまっていたらしい。今となっては使うこともなくなってしまった電話番号に懐かしさを覚え、スマホを持ち上げた。
 しいていうならば、ほんの出来心だった。この番号に電話をかけたら、みょうじの声が聞けるんじゃないか、なんてありえないことが頭をよぎって。気づけば通話ボタンに指を添わせていた。
 もし、奇跡が起こるなら。みょうじとの時間をやり直したいと思う。みょうじとは付き合わず、あの日のきっかけをなくしたい。そんな身勝手な男の願いなぞ、叶えられるわけもないだろう。

『――もしもし?』


20230614