『俺、未来から電話してんのやけど』
「…はい?」

 普段ならば無視しているであろう私の携帯にかかってきたひとつの電話。間違い電話だろうか?それとも何かの宗教勧誘?それにしてはこの声どこか聞いたことがあるような。困惑する私を見透かすように『戸惑うのも無理ないわ。俺もようわからんもん』と謎の男が言う。

「せや、名乗ってへんかったな。俺や、北信介や」

 見覚えのない11桁の番号が表示された電子機器越しに告げたこの男は、あろうことかこの状況に1番似つかわしくない先輩の名を名乗ったのだった。

△▼△


「北さん、何か悩み事でもあるんやろか…」
「急に何言うてんねん」

 翌日。スクイズボトル片手にぼやいていると、すぐ側を通りかかった治に怪訝そうな顔をされた。「独り言に口出すなや」と雑にボトルを差し出せば、「あんなでかい独り言あってたまるかい」と治はこれまた雑にボトルを受け取った。そんなに大きな声で言っているつもりはなかったけれど、どうやら治やその周りに固まっていた侑と角名にはバッチリと聞こえていたようだ。というか、相変わらず仲良しやなお前ら。
 チラリ、と視線を3年生の方へと移せば、そこには普段と変わらない北さんがいる。何やら尾白さんと話し込んでいるようだ。その表情は、昨日未来がどうのと饒舌に語っていた北さんとは程遠い。そんないつもの北さんに「いつもの北さんだ…」とほっとしていれば、角名に「なにそれ」と笑われた。

「…なあ、角名って未来人から電話かかってきたことある?」
「何言ってんの?あるわけないでしょ」

 せやろなあ。ぽつりと呟けば、角名がムッとした顔で視線をフイッと逸らす。ならなんで聞いたんだよ、とか思ってそうやな。いや、ほんまに。なんで聞いたんやろ。

「みょうじ、ちょっとええか」
「ヒャイッ!」

 トントン、と肩を叩かれて振り向けば、そこには今日の悩みの種である北さんが立っていた。どうやら尾白さんとの会話は終えたらしい。相変わらず気配のない人である。
 けれど、男どもの立っているところから北さんが歩いてくるのが見えていたはずだ。見えていたのだから誰か声かけてくれても、と辺りを見回すと、先ほどまで側にいたはずの同級生の姿がない。
 慌てて体育館全体を見渡せば、私たちから距離を取るように固まっている男が3人。瞬時に見捨てられたのだと悟った。嘘やろ、逃げ足の速い奴らやな!
 北さんは、ギリギリと奥歯を噛み締める私を見て「どうしたん?」と首を傾げるだけだ。それに慌てて首を振ると、北さんは不思議そうに視線を寄越しながらも要件を口にした。どうやら今日の練習メニューを変更するらしい。

「…てな感じなんやけど、何か質問あるか?」

 北さんの言葉に、私はありませんと答えようとしてふと昨日のことを思い出す。そうだ、本人に聞いてみよう。「あの…」とおずおずと手を挙げた私に、北さんは「なんや」と首を傾げた。

「北さん、昨日私に電話しました?」
「…? してへんけど」
 
 それがどうかしたんか、と覚えがないと首を振る北さんに、「なんでもありません!準備してきます!」と慌てて手を振ってから、背中を向けて走り出す。
 北さんは、冗談を言うらしいけど、嘘をつく人ではないはずだ。ということはつまり、本当に北さんは私に電話などしていないのだろう。けれど、その北さんの名前を名乗る男だからこそ、昨日告げられた事実が未だに信じられない。おかげで今日は寝不足だ。

 Wお前、もうすぐ死ぬねん。W
 
 昨日の夜、未来の北信介だと名乗った男は、長い長いため息ののち、確かに私にそう告げたのだった。

 
△▼△


『あ、繋がった』
「……」

 その日の帰り道、バレー部の面々と交差点で分かれたところで着信が鳴った。登録されていない11桁の番号にまさかと電話に出てみると、案の定男は『北やけど』と名乗った。

「あの、北さんですよね?そこに尾白さんか赤木さんもおるんでしょ?」

 さっきまで私たちの後ろを監視するかのように歩いていた北さんを思い出して、キョロキョロと辺りを見回した。
 
 今日一日、昨日の出来事に悩まされた私は、きっとドッキリに違いないという結論に行き着いていた。だってあの北さんだ。マジックをすればすぐさまタネを見破ってきそうなあの男が突然「未来人です〜」なんて名乗るわけがない。まさか人の死をドッキリの題材にするとは思わなかったけれど、どうせ尾白さんか赤木さんが発案者だろう。
 侑なんかは騙されたかもしれないけれど、この私は騙されませんよ。ふふん、と鼻を鳴らせば、電話越しに返ってきた反応は想像と違い「どうやったら信じてもらえるんかな…」と困ったような声だった。

『せや、今日の部活のメニューは何やった?』
「え、いつも通り外周行ってスパイク練して…あっ、でも紅白戦やる予定やったのが監督の気まぐれとか言うて変更になりましたね」
『ああ、成程な』

 なら今日は何日か、と未来の北さん(仮)が呟いたところで「せやから、北さんやって知っとりますよね?」と追い打ちをかける。だってその北さんが私に変更を伝えてきた張本人だ。そんな私の声に北さんは少し黙り込む。
 沈黙の先で、カランと何かがぶつかった音がした。なにか軽いものを机に落としたような、そんな音だ。何か手に持っていたのだろうか。不思議に思ったところで、北さんが「せや」と思い出したかのように声を出す。

『明日、みょうじは家の人から冨田さんちに用事を頼まれる』
「へ?冨田のおばあちゃん?」
『ようけ梨もろたからお裾分け言うて、重そうな袋ぶら下げて登校してくるはずや』

 突然出た親戚の名前に間抜けな声が出る。冨田のおばあちゃんのこと、北さんどころか同級生のあの四人ですら話題に出したことなんてないのに。私が驚いていると、北さんは「段々と思い出してきたわ」と何処か納得した声で言った。

『治が涎垂らして見るもんやから治にもって一個渡すねん。したら侑がうるさく騒ぎよってな…ってそこはええねん』

 こほん、とわざとらしく咳払いをした北さんに、私は「はぁ…?」と言葉を落とす。さっきから思っていたことだけど、未来の北さんと名乗る男、とんでもなく饒舌だ。なんだか電話越しの男がだんだんとつい先程まで一緒にいた一つ上の先輩である北さんと結びつかなくなってきたのやけど。この人ほんまに北さん?

『なんやその声。疑っとるやろ』
「いや、まあ…そうですね」

 厳しい声に電話の相手がW北さんWであることは間違いないようだと考えを改める。とはいえ、明日のことを赤裸々に語られても私にはよく分からないのだ。私の時間軸はまだ今日なので明日のことは経験していないわけだし。でも相手はあの北さん。先輩だからとやんわりと伝えれば、少し黙ってから『まあええわ』と呟いた。考え込むと黙るのは、北さんっぽいんやけどなあ。

『明日、梨を配り終えたみょうじは、残りの梨を持って俺と冨田さんちに向かうはずや』
「えっ?北さんと?」
『せやから明日、本当にこの電話の相手が未来の北信介やったんやって分かったら、俺の話を聞いてくれへんか』

 それは別にいいんやけども。そもそも本当に未来から電話しているのなら明日も繋がるとは限らないのでは?と聞けば未来の北さんは『今日も繋がったんやしいけるやろ』とどこか確信めいた声で言う。

『昨日はもうこれっきり繋がらへんって思たからあんな投げやりに伝えてしもたけど、ちゃんと伝えたいねん』

 お前にはまだ死んでほしくない。そう言った北さんの言葉はまるで本当に誰かを亡くしたことのあるような、そんな声だった。

20230514