突然襲った腹部への衝撃で目が覚める。寝ぼけ眼で時計を見て、その針が指す場所を確認してから慌てて飛び起きた。
 時計は朝練開始時間を指している。やらかした、完全に寝坊や。このまま向かったとしても、私がつく頃には朝練を終えて部室で着替えている頃だろう。
 一周回って冷静になってきた頃ようやくスマホを確認すれば、案の定メッセージが何件か入っていた。それのどれもがバレー部員からの連絡で、最新のメッセージは私の体調を心配する北さんのメッセージで終わっている。
 違います。体調が悪いんやなくて、未来の貴方を名乗る人からの電話についてあれこれ考えていたら寝付けんかっただけです。そう北さんに言えたらどれほど楽だろう。言い訳を考えるも正論パンチが飛んでくる未来しか思い浮かばずに、私はベッドで一人身を縮こませた。
 腹部への衝撃はどうやらお腹を空かせた我が家の飼い猫であるチャロの仕業だったようで、飛び起きた衝撃で宙を舞ったチャロが恨めしそうに鳴いている。普段ならば私が家を出るタイミングで朝ごはんを用意していくのだが、今日は寝坊をしてしまったために朝ごはんの催促に来たらしい。普段は構ってほしくとも寄ってこないくせに、勉強の邪魔と飯の催促だけは一丁前である。ちなみに、親は私よりも家を出るのが早いのであてにはしていない。どこか不貞腐れながらわざわざドアの前で毛繕いをしているチャロを何とか宥め、私は慌てて玄関へと向かった。

「…嘘でしょ」

 玄関のはじっこに、大きめの紙袋がひとつ。無駄なものを一切置かない我が家の玄関でその紙袋は存在をより主張していた。中を覗いてみれば、大きな梨が沢山入っており、「富田のおばあちゃんに持っていくこと」とご丁寧にメモ書きまで残っている。きっと、朝練前であれば持っていけると踏んだのだろう。とはいえそれは私が普段通りに起きていれば、の話だ。残念ながら今日の私は見事に寝坊してしまっている。つまり、この紙袋を持って学校に行かなければならないということだ。

「…昨日あの人が言ってた通りや」

 本格的に身震いをしたところで私は慌てて首を振る。いやいや、まさか。まぐれやろ。紙袋を片手に玄関の扉を開ければ「なあん」とチャロが一鳴きする。「呆けていないで早く行け」とこちらにお尻を向けた我が飼い猫様を睨みつけてから、こんな時しか日の目を見ない自転車に跨り、必死に学校へと漕ぎ出した。

 

△▼△


「なんやみょうじ。遅れて来た思たら。自分、八百屋にでも寄ってきたん?」
「違います」

 体育館の入り口で佇む黒須監督と目があった瞬間、両手で抱えられた紙袋を指差し笑われた。どうやら予想通り部員たちは朝練を終え、着替えに行っているようだ。
 寝坊したことを素直に告げ「すみません」と謝ると、黒須監督は「みょうじが寝坊なんて珍しいな。初めてとちゃうか?」と驚いた顔をする。「体調でも悪いんか?」とどこぞの主将と同じ言葉を向けるものだから、私は昨日の電話を思い出してしまい、慌てて「そんなんじゃ、ないですけど…」と言葉を濁してしまった。

「まあ、ええわ。一年が片付けやってくれとるから、行ってやってくれるか」

 あいつらお前に頼りきりで道具のしまい場所把握しきれてへんねん。呆れて一年生たちを指差す黒須監督に「分かりました」と返事を返し、私は体育館の入り口にスクールバッグと紙袋を放り投げる。
 片付けをしている一年に近づけば、彼らはわたわたとあれこれ確認し合いながら道具を片付けている最中だった。私が遅刻したばかりに申し訳ない。ペコ、と頭を軽く下げて「ここはええから自分ら着替えて来い」と部室を指差せば、彼らはぱああと顔を輝かせて「シャッス!」と腰を九十度曲げた。

「あ、みょうじや」
「ああ?なんや自分今更来おって。遅いんじゃボケ」

 メッセの返事くらい寄越さんかい!とキレる侑に「はいはいゴメンネ」とひらりと手を振る。そういえば慌てすぎて皆のメッセージに既読をつけたままだったかもしれない。
 床に落ちていたボールの最後の一つを拾い上げていると、「こんなん言うてるけど心配してたんやで」と後ろから銀がひょっこりと顔を出す。そのさらに後ろには眠そうな顔で制服のズボンのポケットに手を仕舞い込んだ角名もいた。
 体調悪いん?とこれまた何度も聞いた言葉を繰り返した銀に「ちゃうよ」と首を振り支柱を持ち上げると、銀が一緒になって持ち上げた。「これ、あっちなおせばええ?」とニカっと笑った銀に感謝しつつ倉庫へ向かうと、それを見ていた治が「侑もそっち持てや」と言いながらボール籠を押してきてくれる。
 なんやみんなして。今日はえらい優しいな。思わず出た言葉に、四人は目を見合わせて気まずそうな顔をした。ぽつりと朝練の様子を話し出したのは銀で、その内容に私はああと納得してしまう。
 曰く、私がいないために朝一人で準備を終えてしまった北さんに、部の空気はどこか気まず気だったらしい。特に一年生は「主将にやらせてもうた…!」と震え上がり、練習に身が入らなかったのだとか。それを北さんにさらに注意され、萎縮してしまった彼らは朝練終了と同時に片付けを買って出たということ。まあ、結果はこの有様なのだけれど。

「俺、初めてみょうじがマネージャーでいてくれてよかったって思たわ」
「俺も」
「何でや。そこは普段から思っといてくれ」

 あんな悪循環もう見たないわ、と銀が支柱を下ろす。その後ろではボール籠を戻し終えた双子と、さらに後ろをついてきていた角名が立っている。角名は余程眠いのか、ただ後ろをついてくるだけだったけれど。

 片付けを終えた私たちが揃って倉庫からでると、何やら入り口に集まる先輩方の姿が見えた。それにハッとした私たちは、慌てて入り口まで走る。鍵の管理を任されているのは北さんなので、私たちが出てくるのをまってくれていたのだろう。一年生がいないということは既に帰した後なのだろうと想像がつく。

「北さん、すみません」
「ん?おお、みょうじか。体調大丈夫なんか?」
「あ、イエ、その…今日は寝坊しただけなので…」

 大丈夫です、と続くはずだった言葉は治の「なんやこのえらいでっかい紙袋!」という言葉に遮られる。「治、静かにせえ」と北さんの意識が治に逸れたことで、私はほっと息を吐いた。どうやら正論パンチは免れたようだ。

「なあこれみょうじの?」
「え?…ああ、せやけど」

 うるさいと注意されたはずの治が意気揚々と指をさす先にあったのは、私が必死にここまで抱えて来た紙袋だった。私の返答にぱああと極上の飯を目の前にしたような顔をした治は「なあなあこれ一個くれへん?」と私の制服の裾を引っ張った。その期待する目は、まるで朝ごはんを目の前にした我が家の猫のようだ。クラスの女子が餌付けをしたがるのも分かる。「ええよ」と紙袋から一つ梨を取り出して渡せば、治は目をとろりと細めて「ありがとぉ」と笑った。
 やはりというか、それに待ったをかけたのは侑で「サムばっかずるい!俺も!」と地団駄を踏み始める。それに便乗するように赤木さんまでもが「俺も!」と手を挙げるものだから、これ以上はホームルームに遅れてしまうと北さんから一喝が入った。
 項垂れる彼らに「歩きながら渡しますんで」と声をかければ、表情を一転させて一斉に体育館から歩き出す。ちゃっかり銀や角名、尾白さんや大耳さんまでもが肩を並べて歩いているのがなんだか面白い。

「みょうじ、そないにあげてしもて大丈夫なんか?」
「あ、はい。元々は富田のおばあちゃんに持っていこうと思ってたんですけど、寝坊してしまったので…余った分は帰りに寄って帰ります」
「…富田さんって、田畑近くに夫婦で住んでるあの富田さんか?」
「確かに富田のおばあちゃんちの近くは田畑ですけど…北さん知ってはるんですか?」

 梨を配り終えて機嫌よく歩く部員たちの後ろで「多分、俺の家の近くや」と呟いた北さんと互いに顔を見合わせる。何度か富田のおばあちゃんちに行ったことがあるけれど、北さんと会ったことはなかった。近所でも意外と会わないもんなんやなあ、と驚いていると、北さんはそれから少し黙りこみ「せや」と口を開いた。

「ほな帰り、一緒に富田さんち行こか」
「えっ?」
「あそこら辺、街灯少ないで女ひとり危ないやろ」

 いえ大丈夫です、と続けようとした言葉は、職員室までの別れ道についたことで遮られてしまう。「ほなまた部活で」と手を振った北さんに、私は黙って手をふり返すことしかできなかった。

20230515