ここまでくれば、昨日の電話の相手が未来の北信介だというトンデモ話を受け入れる他ないだろう。
 そんなことを考えながら、部活終わりの帰路を北さんと二人で歩いている。北さんは普段バス通学らしく、つい先ほどまで仲良くバスに揺られていたからかいまだに臓器が揺れている感覚がする。私は乗り物酔いをしやすいタイプだった。ちなみに朝に大活躍した自転車は、バスに乗ると告げられた時点で学校に1日だけ置いておくことにした。自転車には申し訳ないが、学校で夜を明かしてもらおう。

 北さんと部活について話していれば、あっという間に富田のおばあちゃんの家が見えた。インターホンはないので、控えめにトントンと戸を叩く。少ししてから「はあい」と可愛らしい声がして、富田のおばあちゃんがひょっこりと顔をだした。私の姿を確認すると、目元を緩めて「なまえちゃんいらっしゃい」と引き戸を開けて出迎えてくれた。
 元々長居する予定はないので、早速お目当てである紙袋を渡せば、おばあちゃんは中身を見て「あらあ」と目をまあるくする。おばあちゃんは「ええ色の梨がようけ入っとるわぁ」と紙袋の中身を覗きながらニコニコと笑っていた。喜んでくれているのが分かり、遠回りになるけど来てよかったと思う。

「なまえちゃん、今日はうちに泊まっていくんか?」
「明日は土曜やけど部活やねん。せやから泊まらへんよ」
「そう?残念やわあ」

 頬に手を当てて心底残念そうに眉を下げたおばあちゃんに「気遣わせてごめんなあ」と頭を下げる。「ええのよぉ」と手を振ったおばあちゃんは、それまで黙って立っていた北さんに目を向けて「あらあらあ」と口に手を当てた。

「北さんとこの信ちゃんやないの!」
「すみません、挨拶するタイミング逃してしもうて…」

 ペコリと会釈する北さんに、おばあちゃんは「私たちがぺちゃくちゃ喋っとったからやね」と申し訳なさそうに眉を下げた。そうだった、北さん居たんだった。気配を感じなかったからすっかり忘れていた。というより、もしかしたら水入らずの場だからと北さんが配慮してくれていたからなのかもしれないと顔を青くする。「ごめんねえ」「北さんすみません」と揃って謝る私たちに北さんは「いえ」と首を振った。

「せやけど、泊まらへんのならそろそろ帰らないかんのとちゃうか?」
「あ、そうですね」

 慌てて踵を返そうとした私に「みょうじ、挨拶」と北さんから叱責が入り、思わず「ハイ!」と背筋を伸ばす。「さようなら!」と言葉を続けると、富田のおばあちゃんはクスクスと笑って「今度は明るい時に二人でおいで」と手を振った。


 富田のおばあちゃんちから北さんちは本当にすぐの距離だったようで、北さんは私をバス停に送りながら「ここを曲がると俺んちやねん」と教えてくれた。
 どうやらバスはまだ本数が残っているようだったが、さすが田舎というべきか、次来るバスが最終だったようだ。それにホッと肩を撫で下ろし、北さんをチラリと見る。

「付き合うてもろてすみません」
「ええよ、こんくらい」

 家帰るついでや、と北さんは肩にかけたエナメルバックを抱え直す。北さんの左手には、先ほどまでなかった小さなビニール袋がぶら下がっていた。「奥さんと食べ」と、戸を閉めようとした瞬間に富田のおばあちゃんから押し付けられた梨たちだ。
 そこからは話が続かなくて、気づけば互いに口を閉ざしていた。北さんに振るべき話題が分からん。普段バレー以外何してんのやろ。ううん、と考え込んだものの、答えは見つからずに沈黙は続く。けれど、田舎道だからか私たちの代わりに秋の虫たちが鳴く音がするおかげで、沈黙に耐えきれないほどの気まずさは感じなかった。
 虫の合唱の合間にブロロロ、と遠くから重低音が聞こえ、私はハッと音の方角へと顔を向ける。最終のバスが来たらしい。
 
「あんな、みょうじ」
「あ、はい。何でしょ?」
「俺、みょうじのこと、好きやねん」

 目の前にバスが止まる。え、北さん、今なんて?固まった私に、北さんは首を傾げて「乗らへんのか?」と言った。その言葉にハッと我に返り、慌てて飛び乗る。

「返事はいつでもええから。まあ、考えといてや」

 北さんの言葉が合図のように、バスのドアが音を立てて閉じる。遠ざかっていく北さんは、いつもと同じ表情でひらひらと手を振っていた。
 
 

△▼△


『今日、どうやった?』

 どうやったもこうやったもないわ。枕に顔を押し付けて返事をすれば、電話越しの男は『荒れてんなあ』と言った。誰のせいだと思ってんねん。

『俺のこと、北信介やってちゃんと分かってくれたか?』
「そりゃ、まあ…」
 
 昨日彼が言ったことをこの身で体験したのだから、この電話越しの男が未来の北信介であると信じるには十分すぎた。とはいえ、朝寝坊するなんて言っていなかったから少し恨めしく思ってしまう。

「寝坊するならそう言うてほしかった」
『寝坊?今日寝坊したんか?』

 俺の記憶では今日寝坊しとらんかったけど、と不思議そうに言った未来の北さんにえっ!と顔を上げる。どうやら未来の北さんが過ごした今日では、私はきちんと起き朝練に間に合っていたらしい。なら、未来の北さんの知る私は、一度も寝坊しなかったのだろうかと思えばそうでもないらしく『まあ、連絡つかへんかった事はあるな』と言った。結局いつかはやらかす運命らしい。
 なんだあ、と落胆していると、未来の北さんは『俺が話したからやろか…?』と何やら考え込んでしまった。あー、こういうの、なんていうんやろ。タイムパラドックス?パラレルワールド?どっちにしてもそんな映画みたいな出来事に自分が片足突っ込むことになるとは。飲みかけのペットボトルに口をつけていると、北さんが『せや』と思い出したように言った。

『みょうじ、今日俺に告られたやろ』
「ンッ!?」

 ゴホゴホと咽せた私に、未来の北さんが『大丈夫か?』と心配そうに言う。それになんとか大丈夫ですと返事を返した私は、おずおずと口を開いた。

「あの、寝坊せんかったそちらの私も、北さんに告られたんでしょうか…」
『おん、告ったな』

 富田さんちの帰りにバス停で。そう言った未来の北さんの言葉に、私はがっくりと項垂れる。どうやらその未来だけは同じだったようだ。「なんで…なんでや…!」と枕を叩く私に呆れたように『なんやいけないこと聞いとるみたいやな』と未来の北さんはどこか気まず気に言った。そりゃそうだろう。告った相手が帰った先でこんなに枕を叩いているなんて、現在の北さんは微塵も思っていないはずだ。

『荒ぶってるところすまんが、そろそろ本題に入ってええやろか』
「…本題?」
『俺が初めて電話した時に言うたやつ』
「それも確かに気になりますけど、私的には今のこの状況の打開策の方が聞きたいです」
『それも含めた話だから安心せえ』

 食い下がった私に、北さんは電話越しにピシャリと言い放つ。この圧、やはり何年経っても北さんは北さん…!佇まいを直し、正座でスマホと向き合う。なんやシュールな絵面やな、と思ったが最後、スマホ(北さん)に正座する私という図が面白く感じてしまい、私はニヤニヤと口元を緩めた。
 あ、未来のお方やし高座の方がええんかな?とそっとスマホを枕の上に乗せてみる。当たり前だが、「みょうじ」と枕の上から北さんの声がして、枕の上に真顔で北さんが座っているのを想像してしまって肩が震えた。

『おい、聞いてんのか』
「はい、スミマセン」

 スマホ越しにも私が集中していないことが伝わってしまったらしい。未来と電話が繋がっているというのに、電波は正常。音声もびっくりなくらいクリアだ。全くいらんことまで拾うなや、と不貞腐れていると、北さんは私に向かって『大事な話なんやからちゃんとせえ』と一喝する。それに「はい、すみません」と条件反射に身についた謝罪をすれば、北さんは長いため息を吐いた。沈黙が広がる。突然ピリッとした空気に変わった気がして、私は後ろにやった両足を擦り合わせた。

『一昨日も言うた通り、みょうじはもうすぐ死ぬねん。それがいつかは多分、言ってはいけないんやと思う。今日のがいい例やわ』
「はあ…」
『ほんでな。これも昨日言うたけど、俺はお前に死んで欲しくない』

 スマホ越しに聞こえる北さんの声は、どこか泣くのを我慢しているような、そんな声に聞こえた。大袈裟な、と口にしそうになって慌てて口を噤む。

 そうだ、この北さんが未来の北さんだということは、今話している北さんは私が死んだ先を生きる北さんという事になる。それに、先ほど言っていた「俺も告った」という言葉。つまり、この北さんも私のことを好きでいてくれて、なんらかの理由でその好きな人が死んでしまったということだ。
 そんな北さんが、私に「死んでほしくない」と思うのは当然のことなのではないだろうか。申し訳なさと同時に、こんなに愛されているのに死んでしまった私を殴りたくなった。
 そして今、非科学的現象とはいえ過去の私に電話が繋がっている。北さんはきっと、未来を変えたいのだろう。未来の北さんとはいえ、あの北さんが非科学的現象を信じ、過去の私と会話しているのがその証拠だ。そこまでして私の生を望んでくれている。そう思うと、胸がぎゅうと締め付けられるようだった。

「…北さん。私、何したらええですか?」
『……』
「私も、死にたくないですし。私に出来ることならいくらでも言うてください」

 未来で私が北さんになんて返事を返したのかは分からない。けれど、未来の北さんのためなら今この場で北さんに電話して告白を受ける返事をしたっていい。そういう思いで告げると、北さんにはお見通しだったようで『今、告白の返事してもええかなって思っとるやろ』と笑われた。さすが未来の北さん。何でもお見通しらしい。

『俺からのお願いは一つだけや。俺からの告白を、断ってほしい』

 北さんのためならええですよ、と言おうとしたところで私の口はぴたりと止まる。北さんがお願いだと懇願したのは、私の考えとは真逆をいくものだった。「え、ええのですか?」と困惑した声で尋ねれば、北さんは『本人にそう言われるとなんや傷つくな』と寂しそうに笑った。

『でも、ええ。絶対に断ってくれ。頼む』

 そんな北さんの言葉を最後に、通話がブツリと切れた。どうやら今日はこれでタイムリミットらしい。静寂の戻った部屋に残ったのは北さんの不思議なお願いだけ。思わず「ええー…?」と呟く横で「なおん」と鳴いたチャロの声が、やけに耳に残った。

20230517