「ねえ、もしかして北さんと何かあった?」

 突如頭上から降ってきた声に、机に伏せていた体をのそりと起こした。目の前では角名が興味のなさそうな顔でスマホを弄っている。質問してきておいてその顔はなんなん?と顔を歪めていると、「で、どうなの?」と角名から催促が入った。質問したくせに妙に確信めいているのは何なんだろう。その態度がなんだか腹立たしかったので、返事の代わりに「…前向けや」と顎を突き出した。

「まだ授業開始まであと2分あるからへーきへーき」
「…もしかして遠回しに2分で話せって言うてる?」
「へえ。2分じゃ話せない話があるってこと?」
「……」

 目の前の角名は手元のスマホから視線をあげるとにやりと笑った。こ、こいつ…!意図せず最初の質問に対する返事になってしまったことに悔しさを隠さず角名を睨みつければ、彼は「おーこわ」なんて微塵も思っていないような顔を見せた。

 北さんから告白されてから早二週間が経とうとしていた。「断ってほしい」と未来の北さんに頼まれたにも関わらず、私はその返事を出来ずにいる。とはいえ、あの北さんが告白をしたからといって部活に私情を持ち込むなんてことはないので、私もいつも通りの日常を過ごしている。私と北さんは、今も変わらず先輩と後輩であり主将とマネージャーだ。

「なんで北さんなん?別に何もないけれども」
「いや、さすがに無理があるでしょ。北さんがどう思ってるかは知らないけど、みょうじ、北さんのこと好きじゃん」

 と、思っていたのはどうやら私だけだったらしい。筆記用具を出そうとしていた手をピタリと止めた私に、角名は「あ、当たってた?」と満足そうに笑ってみせた。さっきから問いかけてくるくせに確信をついてくるのはなんなんだ。私の心の奥底にしまい込んでいた気持ちを簡単に剥き出しにした目の前の男を睨みつける。角名はそんな私の視線に怯むこともなく「で?どうなの?何かあったの?」とまるで新しいおもちゃを買い与えられた子供のような目を向けている。「なんでそんな楽しそうなの」とげんなりした顔を向ければ、角名は「北さんの弱点になりうる話かもしれないじゃん」と頬杖をつく。そんなわけあるかい。

「何かっていうか…告られたけど振られた…?」
「何それ詳しく」

 角名がスッとスマホを構えたところで、本鈴のチャイムが鳴る。まるでチャイムを待っていたかのように入ってきた担任の掛け声に、角名はチッと舌打ちをして前を向いた。この話をしようとすると、未来の北さんの存在がどうしても露見してしまうので、私は内心でほっと息を吐いた。ありがとう先生。この御恩は一生忘れません。多分。

 肝心の未来の北さんとは、あれから一切連絡が取れていない。試しに着信履歴に残った11桁の番号に電話をかけてみたが、使われていないとアナウンスが流れるだけで繋がることはなかった。まあ未来にそう易々と電話が繋がるわけがない。今までが異常だったのだ。それに、繋がらないという状況に少しだけ安堵してしまう自分もいる。告白を断ってくれだなんていわれて、断ったとしてどんな顔で話せばいいのか分からないのだ。いや、電話だから実際に顔は見えないけれど。気まずいものは気まずい。
 ただ、未来の北さんがああ言ってしまうのだから、私の気持ちはきちんと伝わっていなかったのかもしれないと思うと、その事実に少し安堵する反面うまく隠せていた自分を怨めしく思った。

担任の話を右から左に聞き流しながらぽけっと頬杖をついて窓の外を眺めていると、前からぬっと角名の大きな腕が伸びてきた。「ちょっと早く受け取ってくんない」と受け取らなかった私にムッとした角名がそのまま頭に腕を振り落とす。腕は脳天を直撃した。「イッダ!?」と衝撃を受けた頭を撫でながら、角名の手から受け取ったのは、一枚の便箋。何で便箋?と角名の背中をうまく避けながら黒板を見れば、そこには「5年後の自分(家族)へ」と書かれていた。

「今から手紙を書いてもらいます。書き終えた人は今から配る封筒に便箋入れて、住所書いてから先生に渡してな〜」

 「ちゃんと5年後に届く手紙やからな〜」と言った担任に、クラスでは「おもろそうやな!」やら「ええ…?」とやら様々な反応が飛び交っている。角名はどうやら後者だったらしく、めんどくさそうに便箋を見つめていた。少し席の離れている治に至っては、授業開始から起き上がっていないのか伏せられた頭を文鎮代わりに便箋が差し込まれていた。

「せんせ!家族でもええってことは、友達でもええの?」
「あー、せやな。住所分かればええよ〜」

 はい!と元気よく手をあげて質問した女子は、担任の返答に「やって!」と隣の女子生徒と顔を綻ばせていた。その声に、めんどくさがっていた生徒がちらほらとやる気を出し始めたらしく「じゃあ俺は彼女に書こ!」「え、ならウチ彼氏にしよ」なんて声も飛び交って、担任から「彼氏でもええけど、5年後に届くこと忘れんなよ〜」と声をかけられている。確かにこれで5年後別れてたら黒歴史やもんな、と他人事のように眺めていると、角名がくるりと上半身をこちらに向けた。

「みょうじも北さんに書けば?」
「はあ?何言うてんねん」
「よくわかんないけど、あの様子じゃ告白の返事できてないんでしょ?手紙で返事したらいいじゃん」
「それ5年後に届くんやぞ。5年後北さんが既婚者やったらどうしてくれんねん」
「そん時はそれ酒の肴にして双子と銀と呑んだくれればいいじゃん」

 いやそれどんな公開処刑やねん。「しょうがないから慰めてやるよ」と笑う角名は多分、5年後に本当に同じことが起こったとしても慰めてはくれないだろう。きっと双子も面白がって私の手紙の内容を音読までし始めるかもしれない。まあでも、5年後も会ってくれるのだと遠回しに言われている気がして、なんだか嬉しかった。

「…せや。なら角名に手紙書くわ」
「は?俺?」
「そ」

 とはいえ、北さんに手紙を書くのは恥ずかしい。「なんで」と怪訝そうな顔をした角名に「北さんちの住所分からへん」と理由を述べれば、角名はああと呟いた。

「いや、でも俺んちの住所も分からないよな?」
「え、そこは教えてくれへんの?」
「なんで。やだよ」
「ええ…あ、待って。角名って今寮生やんな?スマホで調べれば出てくるやん」
「え、マジ?……うわ、待って本当に出てきた」

 ウワー、と私の机に上半身を倒しながらスマホの画面を見つめる角名に「彼女いない角名くんの代わりに私が角名に書いたんねん」と鼻を鳴らす。どうや嬉しいやろ、と肩をポンポンと二回叩くと、私の脛に衝撃が走り、私は思わず机の下で足を暴れさせた。「痛いねんけど!?」と声を荒げれば、「うるさい短足」とポツリとつぶやかれたので、便箋に書く内容は北さんの惚気にしてやろうと決めた。

 

△▼△


「みょうじ、話ってなんや」
「…え?どうしたんです、北さん」

 部活終わり、自主練を始めるという侑たちに付き合わされるように残っていると、部室で日誌を書いていたはずの北さんがひょっこりと現れた。急に現れた北さんに心臓がドッと跳ねるのを必死に押さえ込んで返事を返せば、北さんは何言うてんねんお前と言いたげな表情で「俺に用事があるって聞いたんやけど」と言った。用事?用事とは?必死に頭を回転させていると、視界の端っこで少し開いた部室のドアから顔だけ覗かせている双子とともに角名がスマホを構えていることに気づいてハッとする。もしかしてあの男、授業での事まだ根に持ってるんか…!?ぐっと角名とスマホを睨みつけていると、北さんの視線がじっとこちらを見つめているのに気がづいて、私は慌てて口を開いた。

「いや、ええと…あるっちゃあるし、ないといえばない、と言いますか…」
「どっちやねん。ハッキリせえ」
「はい…すみません…」

 なんで私が怒られているんだろう。項垂れる私は角名のスマホにはさぞ滑稽に映っているに違いない。今すぐにでもあの3人を北さんの前に差し出したい衝動に駆られるが、北さんの圧が私の足を床に張り付かせる。これ、どうしたらええねん…と打ちひしがれていると、頭上から北さんがはあと息を小さく吐き出したのが聞こえ、私の体がビクリと跳ねる。
 
「…なんや、用事ないんか」
「えっ?」
「てっきりあの時の返事くれんのかと思たわ」

 てっきり正論の雨が降ると身構えていた私に降ったのは、あの日の出来事を思い出させる内容で。北さん!今その話題はあかん!やめてください!と叫びたい気持ちを抑えながら必死に手をブンブンと大きく振るが、北さんは不思議そうに首を傾げるだけだ。どうやら侑たちが今この場にいるのには気づいていないらしい。

「困らせたんなら謝る。けど、」
「ああー!待って、待ってください北さん!外、外行きましょ!?ね!?」

 今度こそ訳がわからないといった顔でこちらを見る北さんの腕を引っ張り体育館から出る。遠くから微かに「ヒュー」と口笛が聞こえた気がした。北さんは不思議そうに「…風か?」とボケなのか何なのか分からない言葉を呟いていたので、「そうですねー!風強いのかもしれませんねー!」と適当に相槌を打った。おいコラ双子。角名も含めてあとで覚えとけよ。

「あの、北さん」
「なんや」

 北さんと二人だけの空間。告白を断るなら今がベストだろうと自分が言う。未来の北さんとの約束だ。おそらくここで告白を断れば、私と北さんの間では何も始まらず、そして多分私は死なないのだろう。
 目の前の北さんの目をじっと見る。その表情は相変わらず何を考えているのか分からないけれど、その目尻がほんの少しだけ下がったことに気付き私はヒュッと息を呑んだ。その顔は先ほどとは変わって柔らかく見える。北さんって、そんな表情できたんや。

「…この前の返事、なんですけど」
「おん」
「卒業式まで待ってくれませんか」

 気づけば私は断るどころか「保留」の2文字を北さんに突きつけていた。北さんは目を瞬かせて「今すぐには言えんの?」と首を傾げる。「いや、その、春高、とか。あるやないですか」とバレー部が大事な時期だからと一見マネージャーらしい言葉で逃げた私に、北さんは何も言わない。それに焦った私が「それに…私の中でまだ答え、出てなくて」と苦し紛れの言い訳をこぼす。

「卒業式まで待ったら、返事くれんの?」
「は、はい…」

北さんはじっと私を見つめてから小さく息を吐き「まあ、いつでもええ言うたのは俺やしな」と呟いてから分かったと頷いた。

「急かしてすまんな。卒業式の日、楽しみにしとくわ」
「あ…はい」

 北さんは、先ほどの表情とは一転してどこか寂しそうに笑う。私がそんな表情をさせてしまっているのだと思うと胸が痛んだ。受けるでも断るでもなく逃げた私に、未来の北さんを責めるのはお門違いだと分かっている。けれど、今の私なら元凶を持ち込んだ彼を少しだけ恨んだっていいはずだ。

 ねえ、未来の北さん。あなたの判断は、本当に正しいんやろか。

20230524