あの日から、なんだか北さんと顔を合わせるのが気まずくて、私はひたすら部活に打ち込んだ。双子や角名は最初こそ様子のおかしい私を気にしていた様子だったけれど、春高直前ということもあり放っておくことにしたらしい。北さんは気にしているのかしていないのか、相変わらずいつも通り淡々としている。彼らが心の内で何を思っているのかは分からないけれど、何も触れてこないことが今はただ嬉しかった。

 そんな春高を終えたのがつい先日。春高を終え兵庫に帰ると、3年生の北さんたちはあっという間に引退した。部活は新体制となり、役職を発表された私たちはどこか違和感を感じながらもそれを受け入れ部活に勤しんだ。とはいっても、北さんたちはまだあと3ヶ月の学生生活が残っているのだから、会えなくなるわけではない。部員たちは、相変わらず双子の喧嘩に顔を出す北さんたちを見つけては、嬉しそうに彼らを囲った。かくいう私もその1人で、気まずさなどすっかり忘れて北さんとの会話を楽しんだ。そうしてふと思い出す。私はあとどのくらい生きていられる予定なのだろう?未来の北さんはもうすぐ、としか言ってくれなかったから分からなかったけれど、あの電話から1ヶ月はとうに過ぎていた。

「なあ、もうすぐっていつのことやと思う?」

 部活終わりに用具を片付けながら呟いた私に、反応を返してくれたのは銀だった。とはいえ、脈絡もない話に「もうすぐ…?」とくびをかしげて何事かと私を見つめている。

「もうすぐっていうくらいやから、すぐなんちゃうの?明日とか、明後日とか」
「確かになあ」
「でも、数ヶ月先でももうすぐって言うよね。4月になればWもうすぐインターハイだWって思うし」

 角名の言葉に、なるほどなと思う。角名は私の質問の意図を尋ねるように「それが何?」とネットを丸めながらこちらに視線を向けた。それに少し間を置いてから「いや、特に面白みもない話」と何でもないように首を振ると、角名ははあ?と体を丸めて怪訝そうな顔で私を睨みつけてから歩き出した。その背中からは「話題に乗っかるんじゃなかった」と角名の心境がひしひしと伝わってくる。顔も正直やけど背中も正直やな。そう呟けば、一連の話を黙って聞いていた治に「しょーもな」と鼻で笑われた。

「あー、もうすぐといえばやけど。北さんたちもうすぐセンター試験やん」
「ああ、確かに」

 私のどうでもいい話題を広げた銀は「北さんたちやから大丈夫やと思うけど、お守りとかあげた方がええんかな」と腕を組んだ。確かに、受験生にお守りはよく聞く話だ。あまり北さんがそういった神頼みをするイメージはないけれど、一つくらいあってもいいのかもしれない。「俺もアランくんにあげよかな。滑って事故りませんようにって」と言った侑に、すかさず銀が「いやそれ交通安全やん」と突っ込んだ。もしかして銀、引退間際に尾白さんに「もう双子にツッコめるのはお前しかおらん…!」って言われたの気にしてたりする?双子にツッコむだけ無駄だというのにどこまでも優しい奴やなあ。私の中で話が脱線しかけたところで、治が銀に待ったをかけた。「いや、受験生ならもう持ってるんとちゃう?」と、珍しく侑のボケに乗っからずに真面目に返した治に、銀が「まあ確かになあ」と呟いた。

「お守りやしいくつあってもええやろ。ご利益いっぱいのが合格しやすいて」
「それはちょっと違うと思う」

 多すぎても神さん喧嘩する言うやん、と侑に言えば、侑はショックを受けたような顔でそうなん?と叫んだ。そんな驚くことか?とびっくりしていると、「お前、高校受験の時ようけ持っとったよな」と治がどこか小馬鹿にしたように笑った。なるほど。
 
「それにいっぱいって何やねん。誰が買いに行くん?ツム行けや」
「は!?何でやお前行け」
「こういう時は言い出しっぺが行くもんやぞ。常識やん」

 ああん?と互いを睨み始めた双子に、銀が「練習終わりやぞ勘弁せえ」と頭を抱える。いや、言い出しっぺで言うなら銀やと思うけどな。それを言ったら本当に銀が行きかねないので、私は口を閉ざしてせかせかと用具をしまう手を動かした。まるでミスディレクションしているかのような気分で片付けていたというのにあっさりと治に見つかり、「間を取ってみょうじ行け」とじろりと視線をこちらに向けて来たので、私もすかさず両手でバツを作る。

「というか、部活暫く休みないし部活終わる頃には神社しまってるやろ」
「…それもそうか」

 どうやら買いに行く時間がそもそもないことに双子は気づいていなかったらしい。「北さんたちには当日メッセージ入れとけばええやろ」と続けた私に、双子の言い合いも終止符を打ったようだった。
 じゃあお守りの件はなしで、と全員が納得して頷いたところで、ネットを戻し終えた角名が戻ってくる。「まだ片付けてないの?俺帰るよ」と部室に向かって歩き出した角名に、慌てて双子と銀が手に持っていた用具をしまいに倉庫へ駆け出した。その背を笑って見送りながら、ふと北さんがいつしかいっていた言葉を思い出す。「神さんは、ちゃんと見てるからな」そう言った彼の顔を思い出し、私はスマホで近くの神社を検索にかけた。

「何ぽけっとしてんの、みょうじ。置いてくよ」
「あ、ごめん」
「ただでさえここ最近変質者情報でてんだから、もっとシャキッとしてよね」
「せやな。ありが…ってそれ、犯人小学生男児狙ったやつやん」

 私の扱いは小学生男児と同じなんか?と角名を睨みつけると、「まあ背ェ小さいし、髪短いから遠目では間違えられるかもね」なんて笑う。高校生を小学生男児に見間違える訳ないやろが。「誰がチビじゃい」と角名の足を蹴り上げ、最後の用具を片付けるべく体育館倉庫へと走った。

 

△▼△


 その日の夜、風呂に入り終えた私を待っていたかのようにスマホが震えた。未だに登録していない11桁の番号に、私は拭いていた髪の毛もそこそこに慌てて通話ボタンを押す。「もしもし!」と話し始めた声は、緊張からか上擦ってしまい、電話越しにくすりと未来の北さんが笑う声がした。

『そないに焦ってどないしたん』
「いや、だってびっくりして。何ヶ月ぶりの電話だと思ってるんです?」
『何ヶ月…?』

 不思議そうに言った北さんは少し黙り込んでから『こっちではまだ一日しか経ってへんけど』と言った。それに驚いたのは私で、「え、だってもうこっちは一月ですよ!?」と叫ぶようにして伝えれば、北さんはどこか納得したようにそうかと呟いた。

『俺からの告白、ちゃんと断ったか?』
「あ、それは、まあ…えと…」

 小さくはい、と呟いた私に、北さんはそうかとだけ呟いた。北さんに嘘をついたことに少しだけ後ろめたさを感じながらも、私は話を変えようと「それよりも聞きたいこといっぱいあるんです」と北さんに捲し立てる。私が死ぬのはいつなんですか、未来の北さんは何してるんですか、稲荷崎のみんなは将来何してるんですか。そのどれもに口を閉ざした北さんは、暫しの沈黙の後、まるで幼子に言い聞かせるかのように『未来のことは話されへんねんなあ』と言った。

「あー、北さんこの前もそないなこと言ってましたね。未来の話ってやっぱダメなんですか?」
『まあ、多分な』
「じゃあ北さんが今どこで何してるかも教えてくれへんのや」
『ははは、そう拗ねんな』

 なんとなく、この電話以降、未来の北さんとは関係が終わる気がしていた。それは北さんも同じだったようで、『また繋がったのは嬉しいけど、なんや寂しいなあ』と呟いた。

『未来の話はあかんけど、過去の話ならしてもええかもな』
「え、ほんまですか!」
『みょうじがすでに経験したことなら、運命とやらももう変えようがないやろ』

 何か聞きたいことあるか?と電話越しに言った北さんに、ううんと考える。何で北さんは告白してくれたんですか、と聞こうとして自滅やんと気づいた私は、慌てて口を閉じた。他に聞きたいことかあ。

「…あ!手紙」
『手紙?』
「そうです、手紙です。私、この前角名宛に北さんへの気持ちこめた手紙書いたんです」
『…角名宛に書いたなら角名のこと書いたれよ』
「いや、それはまあそうなんですけど…」

 その手紙って北さん見ましたか、とたずねたところでハッとする。これは未来の話になってしまうのでは。気づいた時にはすでに口から言葉が出てしまっていて、今更訂正はできない。おそらく北さんもこの質問は「答えられへん」とばっさり切り捨てるだろう。やってもうた、と口を押さえていると、北さんが小さく息を呑む声がした。

『……おん。届いたで』

 とても小さい、蚊のような声だった。あれちゃんと届いたんや、と思う反面なんだか恥ずかしくなり私は慌てながらも「それはよかった、です?」と疑問符とともに首を傾げた。『なんで疑問形やねん』と笑った北さんに、私の奇行が見えていないことに安堵しながらもソワソワと気持ちは落ち着かない。

『まあ、俺が見た内容に俺の話はちょびっとしか入っとらんかったけどな』
「え?あんなに書いたのに!?」

 どうやらここでも少し未来が変わっているらしい。「北さんの告白を保留にしたからやろうか…」と呟けば、北さんから『やっぱり断ってへんのか』と指摘が入る。アッ!と顔を歪めていると、北さんは呆れたように『まあ、付き合うてへんなら別にええけど』と言った。どうやらまだ北さんの危惧する事態にはなっていないようだ。
 
『なあ、みょうじ』
「はい」
『生きろよ』

 北さんの言葉は固く、真っ直ぐだった。黙った私に、北さんは言葉を続ける。

『これから先の選択に俺は何も口出さへん。出されへん。お前がこの先どんな選択をしても、俺はその選択が間違いだとは思わへん』
「…はい」
『けどな、死んだらもう会われへんねん』

 それだけは覚えといて、と北さんは言った。『約束してや』と懇願するように言った北さんに、私の口は「はい」と呟くだけで精一杯だった。それでも北さんは満足だったのか『…それならよかったわ』と笑う。

『大丈夫や、神さんはちゃんと見とるで』
「…はい」

 ザザザ、とノイズが激しくなる。通話ももうすぐ切れてしまうのだろう。最後に何か言おうと口を開くが、言葉が出ずに寸でのところで止まってしまう。互いの沈黙のなか、先に言葉を発したのは北さんのほうだった。

『じゃあな、みょうじ。今でもお前のこと、好きやで』

 北さんの声を最後にブツリと着信が切れる。ああ、もうほんと。あれだけ告白を断るよう言っておいて最後にそんな事を言うなんて。

「…未来の北さんは、ほんまにずるい人や」

20230526