きっかけひとつ

 気づけば俺の足は部室へと向かい、染みついた動作で着替えや準備を終えると体育館に向かった。ノート片手に体育館へとやってきた俺を見て、北さんが不思議そうに「渡せなかったか?」と首を傾げる。それに「すんません」と頭を下げてノートを返すと、北さんは少ししてから「いや、俺も無理言ってすまんかったな」ノートを受け取った。別に、無理なんかじゃなかった。でも、それを否定するほどの気力もない。視線を下げたまま動かない俺を見て北さんはよほど渡せなくて落ち込んでいると思ったのか「気にせんと練習入り」と俺の肩を叩いた。
 みょうじさんのことが気になっているのは本当だ。けれど、コートに入ればたちまち頭はバレーに切り替わる。なんて単純な頭なんやろ、と思いながらも練習をこなし、一日を終えた。
 次の日は、大会の会場に前乗りする部活が多いことから午前授業のみで学校は終わった。みょうじさんと話すタイミングもないまま、俺たちは富山へと向かう。昨日、俺がみょうじさんに会いに行っていることを知っている角名が「何かあった?」と声をかけてきたが、それには「なんもない」と返事を返した。だって、本当に何かがあったわけやない。そもそもみょうじさんからしたら、昨日俺には会っていないのだから。俺が勝手に話を聞いて、勝手にへこんでいる。ただそれだけ。

「おいサム」
「…なんや、ツム」
「お前、コートの中でもそんな辛気臭い顔しよったらぶちのめすぞ」

 試合開始直前。そう言った侑は威圧的な態度でこちらを見下ろしていた。うっさいねん。分かってる。そう言って侑を睨みつければ、侑は返事の代わりにハッと鼻を鳴らした。

 
△▼△


「えっ!すごい、準優勝やったん?」

 毎度お馴染みの中華屋で、女子大生のねーちゃんが目を見開いた。「おめでとぉ」と軽く拍手をするねーちゃんに、銀と角名が「ありがとう」と返事を返す。

「ほんでも、そっちの2人は嬉しそうやないね」

 そっち、と雑にひとまとめにされた俺と侑は、中華屋につくなり一言も発さずテーブルに上半身を突っ伏している。侑は準優勝という結果が気に食わないらしく「テッペン取れなくて何がおめでとうやねん…」と不貞腐れている。その横で同じポーズをとる俺は、大会を終えてじわじわとみょうじさんのことを思い出してへこんでいた。目の前で一向に起き上がらない俺たちに痺れを切らしたのか、銀がこそっと角名に耳うちをした。

「なあ。治なんでへこんでんの?」
「さあ?侑と同じ理由じゃないの?」
「…ちゃうし」
「え?何?」
「富山…」
「富山?」
「みょうじさん、富山居ったって…」
「え、なんやて?なまえ?」

 なんでなまえの名前呼んで落ち込んでんの?と、ねーちゃんが角名に問いかける声がする。理由を知らない角名は「さあ。なんなんですかね」と首を傾げた。みょうじさん、結局富山に誰の応援行ったんやろ。思い出して気になってしまえば、そわそわと落ち着かない。はああ〜〜と長いため息を吐いた。

「ねーちゃあん…みょうじさんがここ3日何してたか教えてやあ」
「おい治、その発言はさすがに危ないで」

 本当に何も知らない銀が不思議そうに「ほんまこいつどうしたん」と俺を指さしている。もういっそ、ここにいるこいつらにだけでも全て話してしまおうか。いやでも、隣には侑もいる。話を聞いたら侑は笑うだろう。侑に笑われるのは流石に腹が立つ。最悪手を出してしまうかも。二つを天秤にかけた結果、俺は黙りを決めこんだ。
 その様子をじっと見ていたねーちゃんは「なまえならインハイの応援行ってたで」と、ひとまず俺の質問に答えることにしたらしい。ただ、なぜその質問をされたか全く分からないようで、同じ高校なんやからお前らも知っとるやろ?と言わんばかりの顔で不思議そうに首を傾げている。それを視線だけ見上げて確認すると、俺は力無くふるふると首を振った。それに驚いたねーちゃんは「えっ」と短く声を上げ、「ならなまえ富山まで何しにいったん」と目を瞬かせた。なんやのそれ。俺が聞きたいんやけど。力なく項垂れていると、会話を黙って聞いていた角名が、チラリと俺とねーちゃんを見た。

「みょうじさんがインハイの応援に富山に行くって言ったんですか?」
「え…おん。あの子の知り合いが毎年インハイ出てんねん。今年も応援しに行ったはずやで」

 会場で会わんかった?と首を傾げたねーちゃんに「何部の応援ですか?」と、今度は角名が質問を返す。それに「バスケ部」と答えたねーちゃんに、角名は納得した様子で「じゃあ会場が違いますね」と言った。ねーちゃんはあまりインハイのことに詳しくないのか「あ、なんや。全部同じ会場でやるんやと思ってたわ」と笑う。いや、会場が違うとか、そこはどうでもええねん。問題はそこやないねん。俺はがばりと起き上がると、勢いよく視線をねーちゃんに向けた。

「ねーちゃん!」
「うおっ、びっくりした!何やねん?」
「その知り合い、女子?男子!?」
「はあ?じょ、女子や!女子バスケ部!」

 上半身を乗り出し詰め寄った俺に、ねーちゃんは体の重心を後ろに傾け距離を取って答える。その手に握られたお盆が壁を作るようにして立てられ、顔は思いっきり引きつっていたが、そんなことを気にしている余裕はない。
 ねーちゃんから言われた言葉を脳内で咀嚼する。女子。女子バスケ部。男子やない、のか。はあ〜〜!と長い溜め息を吐いた俺は、再び顔を突っ伏せる。驚いたように「どうしたん!?」とこちらを見る銀の隣から、数秒遅れて「よかったね、治」と全てを理解したかのようにやけに冷静に言う角名の声がした。

「なになに?どういうこと?」
「つまり治がヘタレってこと」

 ヘタレってなんやねん。キッと角名を睨みつけると、興味なさげに寝ていた侑が「サムがヘタレと聞いて」と、がばりと起き上がる。おい、お前どうせちゃんと会話聞いてへんやろが。こういう時ばかり聞き耳たてよって。侑の頭をがしりと掴み思い切り机へと叩きつけるように勢いよく下へと向けると、侑は「ホギャッ」と変な声をあげて沈んだ。
 角名の言葉を聞いてもなお状況を理解できていない銀が、沈んだまま動かない侑の首を心配している。「大丈夫か!侑の首!」「首だけかよ」ゲラゲラ笑う角名を見ていると、そっと近寄ってきたねーちゃんがこそりと呟いた。

「なあはらぺこくん」
「なん?」
「うちがとっておきの場所教えたろか」

 クスクスと笑ったねーちゃんに、どういう意味?と首を傾げる。ねーちゃんは呆れたように「こういう時は鈍いねんなあ」と苦笑いを浮かべた。はてなを飛ばす俺に、ねーちゃんは理由を言うでもなくただ「岬第二公園」とだけ言った。知らない名前だ。そう思ったのが顔に出ていたのか、ねーちゃんは笑って「スマホで調べて行ってみ」と俺のスマホを指差した。

「そこ、なまえがよく行く場所やねん」
「エッ?」
「あ、でも行くなら一人で行ってな。余計になまえに怒られたないから」
 
 驚き固まる俺に、ねーちゃんは「あんた見てるとやきもきすんねん」と腰に手を当てる。その近くでは、会話が聞こえていたのか角名がうんうんと頷いていた。「ま、夜道は気いつけや」と肩を叩いたねーちゃんは、おっちゃんに呼ばれて厨房へと去っていく。

「…サム、お前あのねーちゃんに刺されるん?」

 なわけあるか。

20230912