だから君に会いに行く

 家に帰ってくるなり、じゃんけん勝負に勝った侑が上機嫌に鼻歌を歌いながら風呂に直行した。時刻は二十時三十分。じゃんけんに負けた俺は、玄関で押し付けられた侑の荷物と自分の荷物を持って自室へ向かい、早々にベッドに寝転んでいる。
 侑は長風呂なので、睡魔と戦っているこの時間は正直辛い。寝ないように、とスマホの電源をつければ、開いたままの地図アプリが表示されていた。地図アプリがピンを立てているその位置をじっと眺め、どうしたものかと考える。
 中華屋のねーちゃんが俺に教えてくれた公園は、自宅から二駅先の場所にあるらしい。ただ、歩いていけば四十分ほどの距離にあるようで、ロードワークと理由をつけて行くにはちょうどいい距離だと思った。
 みょうじさんをただ見ているだけで満足していたはずなのに、先日の教室での件があってからはもっと近づきたいと思った。クラスメイトのように、用事がなくとも普通に話せる距離でいたい。そう、せめて彼女が嘘ではなく本当の理由で応援に来れないことを話してくれるくらいには。
 今日が終わってしまえば、明日から学校は夏休み期間に入る。ということは、みょうじさんの姿を見ることすらできなくなるわけで。つまり、チャンスは8月1日と、それから今。ベッドから起き上がり、頬を叩く。決心はついた。部屋を出ていく俺に、丁度風呂から上がった侑が「どこいくん」と不思議そうに声をかけてきたが、「ちょっと走ってくる」とだけ告げて家を出た。

△▼△


「いや暗っ!」

 走りながら思わず呟いた声は、静かな住宅街に落ちていく。ナビに案内されながら道を走り、少しばかり上り坂になっている住宅街を駆け抜けること数十分。目の前には街灯のない階段が佇んでいた。住宅と住宅の間に挟まれているその階段の先は、何があるのか全く見えず気味の悪さを感じる。本当にこの道であってるんやろか、とスマホの画面を確認すると、目的地のピンは階段を登った先すぐの場所を指していた。
 階段をゆっくりと登る。階段の先を見るようにして登っていたからか、上を見上げていた目にキラキラと光る星が映り込んだ。もしかして、みょうじさんはこの星を見るために公園に行ってるんやろか。何となくその考えは合っているような気がして、また一人勝手にみょうじさんを知った気になった。

 その公園は、階段を登り切ってすぐの場所にあった。やはりここ周辺は街灯がないようで、公園の街灯も入り口に2つ並んでいただけだ。その光も公園の中へと進んでしまえばあっという間に見えなくなって、周りには暗闇が広がった。
 みょうじさん、本当にこないなとこ居るんやろか。突然不安が押し寄せ、スマホの懐中電灯機能で辺りを照らしてみる。よくよく見ると、この公園にはあまり遊具は設置されていないようで、公園にあるのはブランコと用途がよくわからない横に長い棒のようなものだけだ。ぐるりと辺りを見回しても、みょうじさんの姿は見当たらない。もしかして、いない?そう思った時、ハッとした。あの時、中華屋のねーちゃんはいつもいるなんて言っていなかった。つまり、今日来たところで必ずいるとは限らないということだ。
 「嘘やん…」と、思わず落胆の声が漏れる。無駄足だったと分かった瞬間、今日1日の疲労が一気に体にやってきて、俺は近くのブランコに座り込んだ。古びたブランコがギイと音を立てる。それが余計に俺の心に冷たい風を吹かせた。

「わっ!」
「ングォッ!」

 突然背後から聞こえた声に、変な声が出た。それにまた動揺したせいで、今度は思い切りブランコから転げ落ちる。ブランコの音に気を取られて背後に人がいることに全く気が付かなかった。てかそもそも誰や。驚き混乱したまま勢いよくスマホのライトを声の主に向けると、ライトを向けられた張本人は「うわっ、眩しいんだけど!やめて!」と顔の前で手をクロスさせた。

「あ…す、すんませ…って、え、みょうじさん…?」

 慌ててスマホを持っている腕を少し下げると、スマホのライトが人物の顔をはっきりと浮かべる。そこにはここまで来た目的であるみょうじさんが立っていた。え、なんでここに。じっとみょうじさんを見つめていると、みょうじさんは「治、口閉じれてないよ」と笑った。

「え、待って、なんで居るん…?」
「いやそれはこっちのセリフね」

 困惑する俺に、みょうじさんは「誰か来ると思って物陰隠れてたら治だったからびっくりした」とある一点を指差した。指差した先は真っ暗で見えなかったが、俺が見落としただけで隠れられる場所があったのだろう。つまり、みょうじさんは最初からこの公園にいて、俺が入ってきた瞬間もバッチリとその目で見ていたらしい。

「治、なんかびっくりしてるところ悪いんだけどさ」
「エッ、あ、はい」
「スマホのライト、消して欲しいなぁ〜なんて」

 みょうじさんはそう言って、両手で人差し指を立ててスマホを指差した。慌ててライトを消すと、今度は「ありがと〜」と間延びした返事が聞こえホッとする。みょうじさんの顔は真っ暗で見えなかったが、どうやら怒ってはいないみたいだ。
 みょうじさんは、俺がみょうじさんに会いに来たということは何となく察しているようだった。未だ地面に尻をつけている俺の両手を取ると、引っ張り上げるように重心を後ろに傾ける。そうして持ち上がった俺の体を、今度はブランコの座面めがけて軽く押す。呆気にとられていた俺は、されるがままブランコに再び座り込んだ。

「どうしてこの場所が分かったの?もしかして、中華屋で聞いた?」
「あー、まあ…」

 中華屋で教えてもらったと言っていいんやろか。悩みながら言葉を発したせいで、随分と曖昧な返事を返してしまった。それに一人焦っていると、みょうじさんは「いーよいーよ気にしないで」となんてことないように笑った。その表情が見えていることに気づいてはじめて、自分の目が暗闇に慣れたことを知る。そうして見えたみょうじさんの表情に目を瞬かせる。

「でもそっか。あの人、治に話したんだね」

 そう言ったみょうじさんは、よく分からない表情をしている。怒っているわけではないが、喜んでいるわけでもない。どちらかといえば困惑と安堵が混ざったような、そんな表情。けれど何でかその表情を見て、少しだけみょうじさんが一歩こちらに歩み寄ってくれた気がした。みょうじさんが、俺の隣で空席だったブランコに座り込む。そのままチラリとこちらを見て、今度は申し訳なさそうにこちらを見た。

「怒ってる?」
「は?なんで俺がみょうじさんに怒んの?」
「だって私、嘘ついたじゃん。バイトだって」

 みょうじさんなんで俺が嘘やって知ってること知ってんの?と、疑問に思っていると、みょうじさんが言いづらそうに「実は7組に来てたの気づいてた」と言った。どうやら、みょうじさんは教室を出た時に前のドアで不自然に固まる俺を視界の端に捉えていたらしい。なるほど。それならみょうじさんの言葉にも納得がいく。

「ごめんね。他校の応援って言ったら気分悪くするかなと思って」
「ええよ。友達の応援行っとったんやろ?」
「え、知ってるの?」
「中華屋のねーちゃんが言うてた」

 俺がそう言うと、みょうじさんは少しだけ目を見開いて「あの人本当になんでも喋るな…」と眉間にしわを寄せた。あ、なんか中華屋のねーちゃんが1人で行けって言った理由が何となく分かった気がするわ。すまんねーちゃん、と心の中で合掌をしておく。みょうじさんははあと小さく息を吐いてから、再び俺に向き合うと「とにかく、結局気分悪くさせる形になってごめん」と手を合わせた。確かにちょっと落ち込んだしへこみもした。でも。

「俺、ほんまに怒ってないねん。これっぽっちも」

 そう、怒ってはいない。怒っているんじゃなくて。そう心で唱えてから、一度瞼を閉じる。そして、ゆっくりと瞼を開いてみょうじさんと目を合わせた。
 
「それよりも、みょうじさんが気を遣わないけないこの関係が嫌やった」

 いつだったか、小作や角名とみょうじさんはまるでつかみどころのない人だと話したことを思い出す。態度の悪いみょうじさん、輪の中心で明るく振る舞うみょうじさん、北さんのノートを借りるほど真面目なみょうじさん、友人の話をただ聞いているだけのみょうじさん。でもそれは全て、他人とどこか一線を引いているようで。まるでみょうじさんの分厚い仮面のようだと思った。
 みょうじさんの目が驚きで開かれる。「気を遣うとか、そんなことは、」中途半端に言葉を止めたみょうじさんが身動き、その足が地面を蹴った。その音を合図に立ち上がると、みょうじさんの顔がぐっと上を向く。

「みょうじさんにとったら俺は利害が一致しただけの他人なのかもしれへんけど。俺は、みょうじさんともっと仲良うなりたいねん。やから、ここまで走ってきた」

 なにそれ、とみょうじさんは笑った。その笑みは、飯屋巡りを承諾したあの日の笑顔にそっくりで。ああ、また一歩みょうじさんに近づいたなあ。そう思った瞬間、なぜだか俺の腹はほんの少しだけ空腹感を感じていた。
 
20230914