夜が君を連れてきた

「おわっ!」

 突然俺と侑の間に降ってきたそれは、人だった。ふわりと揺れるスカートは、もう幾度と見た自分たちの通う高校の制服で。その体の持ち主を追うように、目の前で長い髪が揺れる。その長い髪は、驚く侑の顔をあっという間に隠してしまった。
 呆然とする俺と侑の間に降り立ったその女は、俺らの存在に気づくと「やば」と小さく呟いた。女子にしては少し低い声だ、と思うと同時に、んん?と首を傾げる。この声、どこかで聞いたような。けど、どこでやっけ。思い出せずに頭を捻っていると、すぐ後ろを歩いていた銀と角名が、俺らより数秒遅れて「わっ」と小さく声を上げた。その声に驚き肩を震わせていると、目の前に降ってきた女子生徒はあっという間に走り去ってしまう。
 え、足はや!あの子運動部か!?思わず駆け出した彼女を視線で追うと、彼女は少し先の街灯の下に止まっていた自転車に跨り、あっという間にその場を去っていった。

「な、んや今の…びっくりしたわぁ…」
「熊や、熊が降って来よった…」

 どうやら俺たちの後ろ、銀たちのすぐ前にも人が降ってきたらしい。「暗くて上に居るの全然気付かんかった」と、銀がフェンスを見上げながら胸に手を当て呼吸を整えている。
 熊。言われてみれば、確かにあの女子生徒の背中には大きな荷物が背負われていたような。それよりもふわりと揺れた髪がなんだか印象的で、他はぼんやりとしている。
 未だ熊だ熊だと騒いでいる侑に、「熊やなくて女子やったぞ」と一言言えば、侑は口を閉じてから「はあ?」と首を傾げた。「なんでここに女子がおんねん」と、理解できないと言わんばかりの顔だ。確かに、今自分たちが向かっていたのは、男子寮のはずで、そこから女子が出て来るなんて誰も思わないだろう。

「女子が男子寮いたってことか?まずいやろそれ」
「まあ、だからここから出てきたんじゃない?」

 角名が言うには、男子寮の裏手であるこの場所は、寮生が抜け出すのによく使われるらしい。つまり、今鉢合わせした男女もそれを知っていたと言うわけで。何を想像したのか知らないが「うわ…キッショ」と引き気味の侑に対し、角名は「まぁ、抜け出すこと自体はわりとよくあることだよ」と笑った。
 
「それに、男のほうは多分天文部の3年生でしょ。確か北さんと同じクラスの奴」
「天文部ぅ?あのお遊び部か?」
「多分ね。よく部屋を抜け出してるところ見るし。まさか鉢合わせるとは思わなかったけど」

 俺らちょっとやばいかもね、と角名が言う。それにぎくりと肩を震わせたのは銀だ。「俺絶対顔見られた自信あんねんけど…」と顔を手で覆っている。

 本来、稲荷崎高校の所有する寮には、寮生以外の立ち入りが禁止されている。ならばなぜそこに寮生でない俺らがいるのかというと、部活終わりに侑が「寮の中を見てみたい」と言い出したのがきっかけだった。「迷惑やろ」と困ったように笑う銀をなんとか言いくるめ、最後まで抵抗する角名に学食のAランチを二日間奢ることを条件に部屋に泊めてもらうことになった俺たちは、まさにその寮へと向かっている最中だったのだ。そこに、あの男女が現れ、お互い運悪く鉢合わせてしまった、というわけだ。
 北さん、のワードにサッと顔を青くした侑が「ならあの女子も3年か…!?」と震え、女子生徒の去った方向へと視線を向ける。不安になる侑の後ろで、角名が「いや、あの女子は多分違う」と首を横に振った。

「なんで言い切れんねん」
「だって天文部に3年の女子はいないはずだし」
「へえ、なら同じ学年の女子か?」
「さあ。暗くて女子の顔まで見えなかったや。治は見えた?」
「せや、あいつ、治のほう向いとったやろ。どんな顔やった?知ってる顔か!?」

 角名、侑、銀の視線が集まる。問われている俺といえば、思い出せるのはあの長いふんわりとした髪と、女子にしては少し低めのその声だけで。「逆光で顔までは分からんかった」と素直に言えば、3人はあからさまに肩を落としたのだった。

△▼△


 翌日。寮に泊まるというミッションを無事達成した俺たちは、4人で朝練に向かっていた。昨日のこともあってか、「もうバレてるんやないやろか…」と不安そうにする銀に対し、「そんな態度でいるからバレるんやろ!」と侑が胸を張る。どうでもいいが、ボロを出すとしたら侑やろな。そう言ったら、朝から侑と喧嘩になってしまい、すでに部室にいた北さんに朝一番の説教を食らう羽目になった。

「今日は4人一緒なんやな」
「あ、はい!偶然門前で会いまして!」

 正座の姿勢まま動揺して体を固めた俺らの目の前に、ピンと背中を伸ばした銀が立ちはははと笑う。後ろめたさがある俺らからしたら、全員が怪しい行動をしていたように見えた。やばい、これはさすがにバレるんじゃ。そう侑と目配せをしていると、意外にも北さんは疑うこともなく「そぉか」と背を向けて去っていく。どうやらバレずに済んだらしい。

「ナイスや銀!」
「お前はやればできる男や!」
「お、おお…なんや照れるわ!」

 その一部始終を録画していた角名が笑う。何はともあれバレなかったのならあとは普段通り練習するだけだ。「寮おもろかったからまた行きたいわぁ」とこぼす侑を無視して立ちあがる。すると、体育館の入り口から「北ー!」と男の声がした。入り口から入ってこないところを見るに、バレー部の部員ではないようだ。こんな朝早くに北さんに用事のあるやつなんておるんか、とそちらを見ていると、何かに気づいたらしい角名が、ハッとした表情で「ねえ」と手招きをした。

「あれ、昨日の人じゃない?」

 天文部の、と続けた角名に、緊張が走る。え、なんで昨日のやつがここに?まさか、告げ口しに…!?と、顔面蒼白の俺たちをよそに、二人は何やら話し込んでいるようだった。仲が良いのか時折男の笑い声が聞こえてくる。そうして、男は最後に北さんに何かのノートを手渡すと、手を振ってその場を去っていった。

「何してんねん。はよ準備せぇ」
「んウィッス!」

 くるりと振り返った北さんは、それ以上を言うことはなく部室へとその姿が消える。おそらく今もらったノートをしまいにいったのだろう。何も言われないということは、昨日の件ではなかったのだろうか。

「こっわぁ〜…」
「今回はほんまにあかんかと思った…」

 用具室に向かいながら、銀が二の腕を擦る。「俺今後北さんに隠し事できる自信ない…」と呟く銀に、「銀隠し事とか苦手そう」と角名が笑う。
 思い出すのは、女子にしてはやや低めなあの声。いつもなら他人の声など気にならないのに、昨日からその声がやけに頭から離れずにいる。正直、気になりすぎてあまり眠れなかったくらいだ。おかげで寝不足でしんどいけれど、こんなことを言ったら面白がった侑が絶対にバカにしてくるだろうし、そんな状態で今日の練習でミスでもしようものならキャンキャンとうるさいだろう。なのでこのことは誰にも絶対に言わないと決めている。ーーでも。
 
「…結局あの女子、誰やったんやろ」

 ぽつりと呟いた俺に、角名は「さあね」と興味がなさそうにあっさり用具室から出ていってしまう。おい、少しは会話に参加せえや。じとりと角名の背中を睨みつけてから、俺もお目当てのものを持って用具室を出た。今は練習や、気にしてもしゃあない。そう頭では分かっているのに、どうしてかあの声の主が気になって仕方がなかった。

20230829