きっかけなんて些細なことさ

「てな訳で、みょうじに口止めをするべきやと思う」
「バカじゃないの」

 昼休み。2年1組に入ってくるなり珍しく真面目な顔をして話だした侑に、角名がぴしゃりと言い放つ。「これ以上つつくなって俺言ったよね?」とげんなりする角名の隣で、銀は腕を組んで考え込んでいた。

「まあ確かに、バレたら俺ら罰則どころかインターハイ出られへんかもしれんしなあ」
「それはそうだけど。あっちはバレたら罰則どころか退学だと思うよ」
「え、そうなん?」
「昔、女子寮入った男子生徒が退学になったって聞いたことある」
「いやでもそれ女子寮の話やん。男子寮ならセーフとかあったりせえへん?」
「いや、さすがにそれはないでしょ」

 バレたらまずいのはお互い様。お互いつつかず忘れた方がいいって。角名が呆れたように頬杖をついて言う。冷静になって考えてみれば、確かに角名の言う通りかもしれない。けど、インターハイに出られないのはもっと困る。どうしたもんか、と頭を悩ませていると、クラスの入り口から「宮治くんいる?」と声が聞こえた。

「誰やこんな大事な時にサム呼び出すクソ豚は」
「あー、治。行ってきた方がいいかも」

 怒る侑の隣で、ドアの方を見ていた角名が呟いた。なんでやねん。今大事な話しとるやろが。角名は、「その大事な話でしょ」とドアの方へと顎を向ける。はあ?訳わからんこというなや。内心めんどいなと思いつつ視線をドアへと向け、ドアの前に立っている人物を見て目を見開いた。そこに立っていたのは、今まさに自分たちの話の中心となっている人物で、中華屋で会ったみょうじなまえだった。

 
△▼△


 ここじゃなんだから、とみょうじに言われるがまま案内されたのは、屋上だった。嘘やん、立ち入り禁止のはずやろ。みょうじさんは俺の考えていることが分かったのか、「天文部の活動って言えば貸してくれるんだよね」と鍵をちらつかせた。なんやそれずるない?そんなことを思いながらみょうじさんの行動を見つめていると、みょうじさんがドアノブを捻る。
 突然眩しくなった視界に目を瞑っていると、みょうじさんは「今日いい天気だなー」と指で器用に鍵を回しながらさっさと外へと出ていった。これから話す内容の割に呑気すぎやしないか。みょうじさんは、そのまま数歩進んだところで足を止め、くるりとこちらに体を向けた。
 今頃、侑たちは俺の後ろのドア越しに聞き耳を立てているのだろう。こそこそついてきたようだったが、俺にも、もちろんみょうじさんにもあの長身集団は丸見えだった。

「で、こんなところに呼び出したんはこの間の件やんな」
「さすが。話が早くて助かる」

 そうだよ、と肯定した彼女は、わざとらしく大声で「やっぱり宮治の方に声かけて正解だったわあ」と笑う。尾けられてるのになんで何も言わないんやろと思っていたが、この女、相当いい性格をしているらしい。きっと扉を挟んだ向こうでは、怒り狂う侑を銀が取り押さえている頃だろう。

「そもそもなんで今更呼び出したん?みょうじさんからしたら、この前の件はお互い知らんぷりしたいんとちゃうの?」
「え?なんで?そんなこともないけど」
「はあ?ならなんでこの間、俺に散々言うたん?」
「いや、普通に困るからだよ。おっちゃんの前では真面目な高校生で通してるからさ」

 夜中に外出てると思われたくないわけ。そう言ってみょうじさんはやれやれと肩を落とす。どうやら中華屋のおっちゃんは、みょうじさんの素行不良ぶりを知らないらしい。そして、みょうじさんの口ぶりから、あれがはじめてでないことは明確だった。なんとなくおっちゃんとみょうじさんの仲良しぶりが気になるものの、話し合いとしてはこちらが有利だろうと口を開く。

「なら、お互いこの件はなかったことにするべきやと思うけど?」
「え?なんで」
「なんでって。みょうじさん、この前のことバレたら退学やろ?それはさすがにまずいんちゃう?」
「まあ、そうだね。でも退学になってもなんも困ることないよ?」
「はあ!?」

 退学をなんともないと言い切るみょうじさんに、俺は目を見開いた。どうやら有利だと思ったこの話し合いは、一筋縄ではいかないらしい。てか、ここまで言い切られたらもう無理やん。お手上げや。これ以上は俺一人の手には終えん。そう思って侑たちを呼ぼうとくるりと背を向けると、「あ、まって、ストップストップ!」と慌てたみょうじさんに呼び止められる。

「今日は宮治くんにお願いがあって来たんだ」
「…俺?付き合うてとかは無理やぞ」
「は?まさか。アンタに毛ほども興味ありませんけど?」

 自分で言ったのに傷ついた。しゅんと眉を下げると、みょうじさんは言いすぎたと思ったのか「ま、まあその顔ならいつか誰かがもらってくれるって!」とまるで失恋した女子相手に言うようなセリフをこちらに向ける。なんでや。なんで俺が慰められてんねん。

「私、ここら辺の海外料理店巡りしたいと思っててさ」
「ほー、ええなあ」

 みょうじさん、飯屋巡りが趣味なんかなあ。そう思いながら聞いていると、俺からいい反応が返って来たことに気をよくしたみょうじさんが「でしょ!?」と身を乗り出した。
 
「でも一人じゃ入れない店とかあって」
「ほぉん」
「だから、あんたに着いて来てほしい!」
「…へ?」

 みょうじさんは、どうやら俺に一緒に飯屋巡りをしてほしいらしい。俺の目の前で「それしてくれたらあんたらがあの日あそこにいたこと、誰にも言わないから!」と必死に両手を合わせている。え、そんなんでええの?と、思わずポカンと口を開けたままフリーズする。そんなん、俺に特しかないやん。いやまあ、侑やったら断ってたんやろうけど。ちょびっとばかし気になってる女子が飯誘ってきてるんやで?俺に断る理由ないやん。みょうじさんは、俺から返事が返ってこないことに不安になったのか、「なんなら私のおごりでいいし、私が行きたい店回り切ったらおわりでいいから!」と続ける。

「…そ、そんなんでええん」
「勿論!あ、でも期限とかつけた方がいいよね」

 うーん、と悩み出したみょうじさんが告げた条件は、月に1回、期限は2年生が終わるまでの間だった。それも部活と体調優先で、俺が暇な時に。え、さらなる好条件がついてしもたんやけど。この子、絶対交渉とかむいてへんわ。
 なんだか警戒してた自分が馬鹿らしくなってきて、はあと息を吐く。まあ、ここで断ったらあの中華屋も行きづらくなるやろし。不安そうにこちらを見るみょうじさんに、「ええよ」と返事を返すと、彼女はぱああ!と笑って「じゃあそういうことで!」と屋上を去っていく。
 残された俺はといえば、放心状態でその場に立っていた。いつまでたっても戻ってこない俺に痺れを切らした侑が、「なんやあの女!」とキレながら屋上の中へと入ってくる。どうやらすれ違いざまに鼻で笑われたらしい。なるほど、この時間だけで彼女のことがなんとなく分かったような気がする。

「どうやった治」
「うわ、顔真っ赤じゃん。熱中症?」

 入ってくるなり俺の元へと駆け寄ってきた銀が、俺の顔を見てぎょっとする。続いてやってきた角名が笑ってスマホを構えた。うっさい、撮んなや。そう言って手を伸ばし、角名のスマホのカメラ部分を隠すと、角名は目を瞬かせて「まじか」と腹を抱えて笑った。梅雨が始まる少し前、俺はまんまとみょうじなまえに心臓を撃ち抜かれてしまったのだった。

20230831