恋のダイヤル

 放課後、角名と廊下を歩いていると、後ろから「治先輩!」と、女子生徒から呼び止められた。見かけない顔と呼び方からして一年生だろうか。その女子生徒の表情から全てを察した角名は「先いくね〜」と手のひらを軽く振ってさっさと部室へ行ってしまった。薄情者、と心の中で悪態を付き、どうしたものかと考える。今はインターハイ直前なので、できれば長引かせたくはない。さっさと返事をして立ち去ればええやろ、と女子生徒の呼び出しに応じることにした俺は、なぜか再び屋上へと足を運んでいた。昼休みと違うのは、目の前にはみょうじさんではなく知らない女子生徒が立っていることだろう。
 昼休みからさほど時間が経っていないからか、ここに来るとどうしてもみょうじさんのあの笑顔を思い出してしまう。そのせいか、「好きです」と彼女の口から予想通りの言葉が出てきても気づくことができず、「治先輩…?」と呼ばれてようやく我に返った。慌てて「すまん」と返事を返す。とっくに俺の頭はみょうじさんのことばかりになっていて、目の前の彼女の言葉が全く頭に入ってこない。ハッと気づいた頃には目の前の彼女は屋上からとっくに姿を消していた。
 さすがに不誠実やったか、と頭を掻く。「宮治は宮侑に負けず劣らずの人でなし」なんて噂が立ったらどないしよう。それもこれも全部みょうじさんのせいや。なんて彼女に責任を擦りつけ、その場にしゃがみ込む。
 何が嬉しくて自分の恋を自覚したその日に別の子から告白受けなあかんの。そもそもなんで屋上開いてんねん。完全に締め忘れてるやん。私用で使うてるって天文部の顧問に言いつけるぞ。
 つらつらと思いつく限りの言葉で悪態をつく。すると突然、ギイと音をたてて屋上の扉がゆっくりと開かれた。まさか、と勢いよく扉へと顔を向ける。この時間に屋上に用事があるとしたら、天文部くらいだろう。せめて先輩の方であってくれ、と願った想いも虚しく、扉から想像していた通りの人間がひょっこりと顔を出し、俺は思わず顔を覆った。

「あー…、ごめん、聞くつもりはなかったんだけど」

 ドアの隙間から、上半身だけをのぞかせたみょうじさんが、両手をあげてバツの悪そうな顔をしている。どうやら告白の現場もばっちりと聞いていたらしく、中々屋上から出てこない俺に不思議に思いつつも、さすがに天文部の部員が来てしまうからと突撃することにしたらしい。そろりそろりと入ってきたみょうじさんは、後ろを向きゆっくりと屋上の扉を閉めると、顔だけをこちらに向けて気まずそうに視線を彷徨わせた。

「いやー、宮くん置いてってから鍵閉め忘れた事に気がついたんだけど、まあいいかって放置してたんだよね」

 まさかこの短時間で屋上が開いていることに気がつく生徒がいるとは。はははと乾いた笑みを浮かべるみょうじさんに反省の色はない。むしろ、どこか面白そうなものを見る目を向けるみょうじさんに、俺は少しだけムッとしてしまう。「おかげで俺がここで告白受けるハメになったんやけど?」と腕を組むと、彼女はきょとんとしてから「性格悪ぅ!」と腹を抱えて笑った。いや、分かってはいた。みょうじさんの昼休みの態度からして脈なしであるとは分かっていたつもりだが、こうも笑われると少しへこんでしまう。

「あ、ねえ。宮くんまだ時間ある?」
「あるけど、その宮ってのやめえや。キモい」
「ええ?何それ。なんて呼べばいいの?治?」
「治くん、でもええで」
「あはは。じゃあ治で」

 ちょっと好きな子からのくん付け夢やってんけど。そう思いつつも、みょうじさんからは、くんよりも呼び捨てで呼ばれる方がしっくり来たのもあり、大人しくそう呼ばれることにした。せめてもの仕返しに「それで、どうしたんなまえちゃん」と、彼女の名前を呼んでみるも、彼女は名前呼びに照れることもなく「早速なんだけど日程決めようと思って」と鞄から手帳を取り出した。

「そんなん、トーク送ってくれたら良かったんに」
「あー、ごめん、私携帯持ってないからさ」

 手帳片手に困った顔をしたみょうじさんに目を見開いた。スマホを持っていないやつはいるけど、携帯自体持っていない奴は高校では出会ったことがない。嘘やろ、この時代に携帯持たへんで生きてける奴ほんまにおるんか。俺の考えていたことはどうやら顔に出ていたらしく、みょうじさんはふはっと笑い、「治、顔に出過ぎ」と腕を組む。

「周りからは持てって言われるんだけど、必要性なくて断ってるんだよね」
「え…まさかみょうじさんって友達おらへんの?」
「ちょっと失礼すぎない?さすがに友達はいるよ」

 そう言って彼女は「治の部活休みっていつ?」と手帳を再び開く。休みの日を告げると、彼女は手帳を見たまま日付の候補を出していく。「第3土曜日か、月末か…いやでもなあ…」と頭を悩ませているみょうじさんの肩までの髪がふわりと揺れた。
 そういえば、どうしてみょうじさんは髪の毛を切ってしまったんやろ。風でゆらゆら揺れる髪の毛をじいっと見つめながら、彼女の伏せられた顔を盗み見る。例えば、失恋。そんなことを言えば、彼女は笑うだろうか。少なくとも、角名には「安直すぎ」と笑われるだろう。けれど、それ以外の理由が分かるほど、俺とみょうじさんは親しい関係ではない。
 それでも、この短期間で分かるほどにみょうじさんは掴みどころのない人だと思う。おちゃらけている時のみょうじさん、性格が悪い時のみょうじさん。そして、こうしてテキパキと計画を立てていくみょうじさん。一体どれが本当のみょうじさんなんやろか。

「うーん、第一回は治のインターハイ予選が終わってからの方がよさそうだね。ここの日曜日にしよう」
「別に、部活終わりでええなら土曜も空いてるで」
「あ、そう?私はいいけど、疲れてない?」
「ええよ」
「なら決まり。土曜の部活終わりね」

 手帳にスラスラと文字を書くみょうじさんの手元を覗き込む。そこには「治」とデカデカと書かれていて、俺は思わず笑って「なんやねんこれ」と指でつついた。みょうじさんは「分かりやすくていいでしょ」と人懐っこい笑みを浮かべている。

「てなわけで、治も忘れないようにね。忘れても連絡できないからね」
「なんで俺が忘れる前提やねん。忘れるならみょうじさんやろ」
「こんなにおっきくかいたのに?」
「おっきくかいたのに」

 何それ、とみょうじさんは笑う。好きな子と飯に行ける絶好の機会やのに、忘れるわけないやろ。そう言えたらどれほど良かったか。さすがに玉砕する勇気はないので、心の内で嬉しさを噛み締めた。
 もっとみょうじさんと話していたかったが、さすがにこれ以上は北さんに言い訳ができなくなる。「ほなまたな」と、屋上を去ろうとした俺を、「あ、待って待って」とみょうじさんが引き止める。彼女は片手をこちらに向けたままゴソゴソとスカートのポケットに手を突っ込むと、ずいっと拳をこちらに向けた。慌てて両手でお椀をつくり彼女へ差し出すと、手のひらに紙切れが置かれる。「何やこれ、紙切れ?」と首を傾げると、彼女は笑って「まあそんな感じ」と言った。

「それ、うちの家の電話番号。何かあったらそこに電話して」
「おお…って電話番号!?家の!?」

 紙切れとみょうじさんを交互に見る。困惑する俺に、みょうじさんはいつでもかけてきていいよ!と笑った。いやいや、さすがにこれはハードル高すぎやろ。そう言うと、みょうじさんは目を瞬かせて「そう?」と首を傾げた。やっぱりみょうじさんよお分からんわあ。

20230903