ロコモコ、ポキ丼、パンケーキ

 6月中旬。無事インターハイへの出場を決めた俺たちは、銀の「お祝いやな!」との一声により中華屋へと足を運んでいた。「お祝いするほどのことでもないやろ」と呆れる侑も、中華屋に入った途端空腹が顔を出したのか意気揚々とメニューを見つめている。

「あれ、土曜日にくる子たちやんな?」

 声をかけられ振り返ると、いつも土曜日にホールに立っている女子大生がお盆片手にこちらを凝視していた。珍し〜と近寄ってきた彼女は「今日はラーメン替え玉無料やないで?」と心配そうにこちらを見る。それに笑って首を振ると、彼女はきょとんと目を瞬かせた。
 回鍋肉定食に、麻婆豆腐定食、餃子定食に炒飯。言わずもがな最後は角名の夕飯だ。相変わらず食の細いやつやな、と侑が頬杖をつく。

「せや。聞いたで〜!あんたらなまえの同級生なんやってなあ」

 女子大生が、ニコニコと笑って「これはうちらからのお祝いや」と、肉まんが4つ乗ったお皿を置いた。飛びつく侑に負けじと手を伸ばしていると、どうやら女子大生はみょうじさんから話を聞いていたらしく「世間は狭いなあ」と笑っている。

「ほんではらぺこくんはなまえと飯行くんやろ?」
「はらぺこくんて何すか」
「いや、なまえがここでのあだ名ついうっかり滑らしてもうたって言うてたからもう隠さんでもええかなって」

 たしかにそのあだ名を、みょうじさんは俺にだけ口を滑らせた。つまり、侑たちはそのあだ名で俺が呼ばれていることを知らないのだ。案の定それを聞いた侑は肉まんを吹き出しゲラゲラと笑っている。女子大生は気にする素振りもなく「ほんでも珍しいなあ」と穏やかに笑った。

「なまえと私、それからおっちゃんはな。なまえがランドセル背負ってる頃からあの子を知っとるけど、友達とご飯行くって聞いたの今回がはじめてなんやで」

 感動して涙ちょちょ切れるかと思ったわ。そう言って女子大生は厨房にいるおっちゃんに「なあ?」と声をかけている。そんな女子大生と感動を分かち合ったらしいおっちゃんはというと、ちょうど鍋から火が上がったところだったらしく「なんや?聞こえへん!」と厨房から叫んでいた。もともと返事を期待していなかったのか気に留めずカラカラと笑う女子大生は「これでもうちら親子やねん」と笑う。親子でお店やってるんか。すごいな。そんなことを思っていると、「そんなわけやから、なまえと仲良ぉしたってな」と女子大生は俺の肩を軽く叩き、返事を待たずに次の客の相手をするべく去っていく。みょうじさんは昔から知り合いが多いんやなあ。そう思いながら、俺はおっちゃんの作る料理を今か今かと待ち侘びた。

 
△▼△


 それから1週間後の土曜日。天気は曇りのち晴れ。侑が吹奏楽部員にメンチを切りに行く以外はいつも通りの練習を終えた。
 みょうじさんとは、クラスも離れていることもあってか普段学校で見かけることはない。けれど、本当にたまに。屋上に向かう彼女の後ろ姿を見かけては声をかけられずにいた。
 角名はそんな俺に気付き「根性なし」と笑うけれど、あんなにワクワクした顔で屋上に向かうみょうじさんを引き止めるのは少しばかり心が痛んだ。

「治!お待たせ!」

 みょうじさんに事前に指定された待ち合わせ場所は、稲荷崎高校の最寄駅だった。どうやら駅ビルにお目当てのお店が入っているらしく、みょうじさんは俺の顔を見るなり「早く行こう!」と俺の腕を引く。返事をしようと開いた口は、その横顔を見たことにより、思わずきゅっと閉じてしまった。
 ――目の前がちかちかする。
 みょうじさんの周りをキラキラと取り囲むそれは、まるでみょうじさんの周りに星を降らせているようだった。
 瞬きする俺に気が付かず、みょうじさんは俺の前を進む。しばらくしてみょうじさんが足を止めたのはハワイを連想させる内装の店だった。「まずはやっぱハワイかなと思って」と笑ったみょうじさんが、ぱっと俺の腕を離す。なんだか名残惜しいような寂しいような。離れていく手のひらをじっと眺めていると、みょうじさんは不思議そうに俺の名前を呼び首を傾げた。

△▼△


「さすがにさあ。一人で女子高生がパンケーキ食べるのは場違いかなあと思って」

 パンケーキを口に運びながら、みょうじさんは「うんま〜!」とにんまり笑う。テーブルには俺の注文したロコモコや、みょうじさんがこの後食べる予定のポケ丼が鎮座していた。
 確かに、辺りを見渡す限り二人組以上できている客の多い店内で、女子高校生が一人は目立つだろう。だからといって、俺と一緒なら目立たないかと言われれば正直何とも言えないところだ。現に、隣の席の女子大生二人組からはチラチラと視線を感じるし、少し離れた席にいるカップルからは生暖かい目を向けられている。そんなカップルの男の方と目が合うと、何故だかグッと親指を立てられたので見なかったふりを決め込んだ。正直、みょうじさんがあのカップルに背を向けていてくれてよかったと心から思う。

「なあ、みょうじさん」
「なに?」
「何で俺のこと連れてきたん?」
「え、迷惑だった?」
「いや、そうやなくて。こういうところ女子好きそうやん。クラスに友達やっておるんやろ?」

 ハンバーグにナイフを入れる。じゅわりと出てきた肉汁を見て、口の中に涎が溜まっていく。絶対に食べたら美味しいやつや。そう思いながら一口。期待した通りの味に、俺の舌がペロリと唇を舐めた。

「ほら、それ」
「んあ?」

 二口目を口に運ぼうとした時、ふいにみょうじさんがフォークをこちらに向けた。行儀悪いで、と眉を寄せていると、彼女は俺の視線など気にもせずに「それだよ」ともう一度言って笑った。

「治がラーメン食べにきた時も、そうやって目を輝かせて食べてたのが印象的だった。ご飯を一緒に食べるなら治と食べたいと思った」

 それだけでも十分理由になるんだけど、とみょうじさんは笑う。いつもとは違う、どこか大人っぽい笑み。思わず見惚れていると、みょうじさんはパンケーキの最後の一口を口に入れた。

「私さ、高校卒業までに世界の料理食べ尽くすのが夢なの」
「世界の料理?全部か?」

 驚いてフォークを止める俺に、みょうじさんは眉を下げて「まあ、無理だろうね。分かってるよ」と言った。みょうじさんは、フォークをそっと下ろすと、でもと口を開く。

「食べれるだけでいい。たくさんの世界の料理を食べたいと思ってる」

 だから協力してくれないかな。そう言ったみょうじさんは、真っ直ぐと俺の目を射抜く。そんな真剣な眼差しに、どうしてと聞こうとして口を閉じた。

「だから、協力してくれないかな」

 きっと理由を聞いても彼女は教えてくれないのだろう。真剣な眼差しの奥にあるきらりと光るものに見なかったふりをして、ゆっくりと頷いた。みょうじさんは、俺が頷いたのを見ると途端にゆるりと頬を緩めて笑った。

「よかったあ。断られるかと思った」
「なんでや。俺、飯食うの好きやし」
「はは、知ってる」

 次は何食べようかなあ。目の前でポケ丼を相手しながら笑うみょうじさんを見つめる。こんな贅沢な時間が来月も来るのなら、理由なんてなんでもええか。そうやって最後の一口を放り込む。「まだまだ足りひんなぁ」とメニューを開く俺を見て、彼女はおかしそうに笑った。

20230905