だって、夏ですから

 例えば、水曜日に並ぶ購買のパンを欠かさず買っていること。廊下を歩いている時、隣にいる友達の顔が毎回違うこと。他のクラスの女子とも仲良さげに話していること。同級生だけでなく、年上にも年下にも顔が広いこと。最近はよく自販機でレモン味の炭酸飲料を買っていること。
 みょうじなまえとはどんな人か、と聞いてきた角名にそう答えると、角名は自分から聞いてきたくせに「聞かなきゃよかった」とあっさりとスマホへ視線を落とした。おいコラ。責任持って最後まで聞かんかい、と思い切り角名の足を蹴ってやると、角名はめんどくさそうにゆっくりと視線をあげた。なんやねんその顔。「いつもより目ェ細ないか?」と言ったら、今度は俺が脛を思い切り蹴られた。

「イッタ!なんやねん!角名がみょうじさんのこと教えろ言うたんやろ」
「いやだってさあ。てっきり笑顔が可愛いとか、外見のこと言ってくるかと思ったから」

 まさかそんなストーカーじみた話が出てくるとは。引き気味にそう言った角名のスマホの画面にはW友達 犯罪者Wの文字が並んでいる。「バカなことはやめてこっちに戻ってきなよ」なんて言う角名は、表情こそめんどくさそうにしているものの完全に面白がっていた。

「しゃーないやん。みょうじさんが何してんのか気になんねんもん」
「だからといってストーカーになったらだめだろ」

 角名の言葉の裏には「話しかけられないヘタレ」という意味も込められていた。角名の渾身の一撃がクリティカルヒットした俺は、ぐっと言葉を詰まらせ上半身を机に突っ伏せた。そんな俺を見てケラケラと笑う角名の目は完全に俺を揶揄っている。
 あの日、みょうじさんと一緒に飯を食べたからといって俺とみょうじさんの距離は変わらない。そりゃ俺はふとした時にみょうじさんを好きやと思うし、今すぐ走って会いに行きたいとも思う。
 けど、みょうじさんは違う。俺のことをよくて利害が一致しただけの同級生くらいにしか思っていない。だから、インターハイが近いことを理由にして、俺がみょうじさんに直接会いに行くことはしなかった。
 それでもたまにふとみょうじさんの存在を思い出しては今頃何をしているだろうと彼女の影を追う。廊下、7組の前、屋上へと続く階段。そこらを通っては、彼女の揺れる後ろ髪を掴む想像をした。そうしているうちに、みょうじさんを見つけるという点ではプロと呼べるのではないかというくらい彼女を見つけるのが上手くなってしまったのだ。
 はああ、とため息を吐いた俺の心情を知ってか知らずか、角名は仏頂面と笑う。うっさいねん、これが悩まずにいられるかい。

「落ち込んでいる治には刺激が強い話題かもしれないんだけどさあ」
「…なんやねん」
「もうすぐ夏休みだよ。いいの?」

 いいの、とは。伏せていた頭を少しだけ上げると、どこか余裕の笑みで角名がこちらを見下ろしていた。「みょうじさん、携帯持ってないんでしょ?」とスマホを振る角名を見て、俺は大きなため息を吐くと「それなあ」と再び突っ伏せる。

「てかみょうじさんって本当に携帯持ってないの?そっちの方が驚きなんだけど」
「ほんまやで。ちゃんと確認した」
「確認したって誰に」
「中華屋のおっちゃんとねーちゃん」

 中華屋のおっちゃんとねーちゃんには、あの日以降も何度か会っている。話しかけることのできない俺からしたら、みょうじさんのバイト先であり彼女と付き合いの長い2人はとてもありがたい存在だった。ついでに彼女の小学生時代の失敗エピソードもいくつか教えてもらい、本人と話していないのに何故だか話した気になっていたりする。
 俺の言葉に、角名は「あの2人が言うなら本当か」と納得したように言うと、にんまりと笑った顔をこちらに向ける。なんやねんその顔。腹立つな。

「ま。7組に行くならついていってやってもいいよ」
「余計なお世話や」 

 完全に面白がっている角名の足を、机の下から容赦なく蹴り上げる。角名は蹴られたことに文句を言っていたけれど、気にせず机に突っ伏せたまま聞こえないふりをした。
 どこからか「なまえー!」とみょうじさんを呼ぶ声がして、反射的にがばりと体を起こし、声の主を探そうと視線を彷徨わせる。それを面白そうに見ていた角名が、「廊下だよ」と指差した。どうやら突っ伏していた俺とは違い、角名からはその瞬間が見えていたらしい。開け放たれた教室の窓から廊下を覗き込むと、ちょうど2組の廊下あたりで女子生徒とみょうじさんが何やら立ち話をしているのが見える。どちらかといえば一方的に女子生徒が話し、それをみょうじさんがうんうんと相槌を打ちながら時折返事を返しているのだろう。そうして話し終えた2人は手を振り互いに背を向け歩き出した。
 角名が女子生徒の足元を見て「あの人、3年生じゃん」と少し驚いたような声で言った。ほらな、みょうじさんは顔が広いねん。ふっふと笑うと、角名は呆れたように「なんで治が得意気なの」と笑った。

 
△▼△


「治、いる?」

 その日の放課後。準備が遅いと角名に急かされながら鞄に教科書を詰めていると、突然みょうじさんがクラスへとやってきた。え、まって、なんで。驚き口をあんぐりと開ける俺の隣で、角名が「噂をすればってヤツ?」と笑っている。みょうじさんはそんな俺らの姿を見つけるなりあっ!と嬉しそうに声をあげた。ちょお、せめてこころの準備させてや。ズカズカと教室へと入ってきたみょうじさんを見ながら、バクバクとうるさい心臓をどうにか落ち着かせる。みょうじさんは俺の机の前までやってくると、ドンと俺の机に両手をついた。

「えっと、久しぶりやな」
「カレー」

 俺の挨拶は無視か?思わずそう言いたくなるくらい華麗にスルーされた俺の挨拶よりも、みょうじさんが言った言葉の方が気になってしまう。なんて?ん?カレー?…なんでカレー?頭にクエスチョンマークをたくさん浮かべた俺を気にせず、みょうじさんは再び俺をまっすぐと見て「カレーが食べたい」と言った。

「カレー…?」
「そう、カレー」

 つまり、カレーを食べに行こうってお誘いか?ようやくみょうじさんの言葉を理解した俺はハッとした。暑い日。クーラーの効いた店内で食べるカレー。何それ絶対うまいやつやん。そんなん、頼まれんでもいくに決まってる。自然と目が絡み合い、俺とみょうじさんは言葉の代わりに無言で頷くとがしりと手を握り合う。角名の何か言いたげな視線は無視や。俺から返事を受け取ったみょうじさんは「じゃあ決まりね」と早速スケジュール帳を開く。

「バレー部のインターハイってこの日だよね?」
「おん」
「じゃあ候補としては7月末かなあ…どう?」

 みょうじさんが指を指した日付は、7月31日。角名に確認すると、生憎と練習が入っていた。8月1日なら休みだよとスケジュール帳をめくって1日の欄を指さした角名に、みょうじさんはふんふんと相槌を打つ。1日は予定がないことを伝えると、みょうじさんは笑って「ならその日にしようか」とスケジュール帳に俺の名前を大きく書いた。
 
「ていうか、みょうじさんインターハイの日程覚えてるんだ」
「そりゃもちろん」

 学校応援に参加する人のクラス出欠とったりするんだー、とみょうじさんは楽しそうに笑う。「なんか意外」「意外ってなに」と話している2人を見ながら、そわりと気分が浮わついた。これだけは聞いとかな、と口を開く。

「みょうじさんは、その。応援来てくれるん?」
「あー、その日はバイトで行けないんだよね」

 撃沈。ごめんね、とスケジュール帳から視線を逸らさずに言ったみょうじさんに気にせんでと言いつつ内心がっくりと肩を落とす。なんや、来てくれへんのか。それ以上を言えない俺を見て、角名はニヤニヤとこちらに視線を向けている。なんやその目腹立つな。

「みょうじさんはこれから部活?」
「ううん、今日は休み。治たちは部活だよね?」
「せやで」

 話題を逸らした俺に、角名はあーあと大げさに肩をすくめてみせた。チャンスなのに、と言いたげな視線をうるさいねんと跳ね除ける。
 
「インターハイ近いもんね。引き止めてごめん」
「気にせんといて。その、俺も話したかったし」
「ほんと?よかったあ」

 俺の渾身の言葉はみょうじさんにあっさりと躱されてしまう。おい角名、笑い堪えてんの見えてんねん。みょうじさんは「がんばれ、は違うか」と一度口を閉じ、うんうん考えてからあっと表情を明るくする。そしてふんわりと笑って口を開いた。
 
「いってらっしゃい」

 またね、とみょうじさんは軽く手を振り教室を去っていく。思わぬ不意打ちに、俺の体はぴしりと固まった。角名はそんな俺を見て、何かを察したのか勢いよく教室の外へと歩き出す。逃さへん。角名のバッグを反射的に掴み、角名の名前を呼んだ。

「なあ、聞いたか?」
「何も聞いてない。聞きたくない」
「いってらっしゃいやって」
「だから俺は聞いてないって!」
「なんや新婚さんみたいやない!?」

 廊下に出て叫び出したくなる気持ちを抑えこむ。可愛かったわあと興奮のおさまらない俺を、角名はげんなりとしながら睨みつけた。

20230911