もっとそばで聴いていたい、なんて
※若干黒尾→夢主描写あり。
――高校二年、四月。
高校二年生になると、選択科目が始まった。示し合わせたわけでもなく夜久と同じ科目を選択していた俺は、少し遅れて指定された教室に入る。
教室内は、クラス混合なこともあり見慣れない顔もちらほら見かけた。席は自由席のようで、前の席はがらりと空いている。
教室を見回すようにして夜久を探しているとどこからか「黒尾」と名前を呼ばれた。声のした方へ視線を向けると、教室の後ろ寄りの席から夜久がひらりと手を上げているのが見えたのでそちらに向かって歩み寄る。よっと軽く片手を上げると、夜久も答えるように片手を上げた。
「遅かったなー」
「俺のクラス、前の時間体育なんだよ」
「ああ、それで」
「やっくんこそ、こんな後ろの席で黒板見えるの?」
「ああ!?」
夜久の前に座る人物が、去年同じクラスだったバスケ部女子なことに気付き、揶揄うようにぷくくと笑う。おそらく彼女が背筋を伸ばせば夜久など隠れてしまうだろう。
夜久は俺の反応が癇に障ったらしく「うるせーよ、見えるわ!」と背筋を伸ばした。必死かよ。それすら面白くて笑っていると、夜久の左隣の席からこちらを伺うような視線を感じ、顔を向ける。
その席に座っていたのは見慣れない女子生徒だった。彼女はこちらなど興味もないようにイヤホンを耳に挿し顔を突っ伏せている。おかしいな、視線を感じたと思ったんだけど。疑問に思いつつ、夜久の後ろの席に腰掛けた。
「やっくん。隣の女子、知り合い?」
「みょうじだよ。話した事あったろ?」
夜久にこそりと尋ねると、夜久はその女子の名前を口にする。みょうじ。そういえば、一年の頃夜久が海のクラスに同中の奴がいるって言ってたっけ。当時は夜久ともこんなに仲良くなかったし、あまり興味はなかったが、なるほどこの子が。へえ、と彼女に視線を向けつつ、当時の記憶を頭の隅の隅から掘り起こす。あの時、夜久と海はみょうじのことをなんと言ってたっけ。
「あー、あれだ。人見知りの」
「そうだけど、お前目の前に本人いてそれ言うか?」
「いや、イヤホン挿してるしセーフっしょ」
現に、みょうじは微動だにせず机に伏せたままだ。こちらの話し声など聞こえていないだろう。そう思っての発言だったのだが、夜久は呆れたようにこちらに視線を向ける。「まあマジで聞こえてないだろうけど」と呟いた夜久の声に被さるように本鈴が鳴った。
みょうじがむくりと起き上がる。はらりと肩に当たった髪が落ち、その顔が露わになった。お、意外と好みの顔かも。そんなことを思いながら、耳に挿していたイヤホンを外すみょうじを後ろから眺める。周りがバタバタと忙しない中、なんだかみょうじの周りの空間だけがゆっくりと流れているようだった。
つまらなそうに瞬きを繰り返すみょうじは、授業が始まっても下ばかりを向いている。まるでこの空間をその目に映す必要がないとでもいうように、手元の教科書をただじっと見つめていた。
「ここは大事なところだから、そうだな、誰かに音読してもらおう」
そう言って教室全体を見渡す先生の視線から逃れるように、教室中の生徒が視線を下に向ける。かくいう俺もその一人で、興味もない教科書の羅列をじっと見つめた。
先生はそんな俺たちを見て「お前ら分かりやすいなー」とからからと笑い、教卓に置かれた名簿をチラリと見る。
「じゃあ、みょうじ」
「えっ…」
名簿の名前が印字された箇所を指差しながら、先生は生徒の名前を呼ぶ。まさか自分の名前を呼ばれるとは思っていなかったのだろう。みょうじは小さく驚きの声をあげて、ようやくその顔を上に上げた。固まるみょうじに夜久がここ、と指をさす。
狼狽えるその仕草はどこか研磨を思い出す。研磨と同じで、彼女も人の目が気になるのだろうか。頬杖を突きながらその様子を眺めていると、渋々教科書を立てたみょうじが小さく口を開き、最初の一文を読み始めた。
――あ、なんか、好きかも。
みょうじの声が耳に入ってきた瞬間、そんなことを思った。大して特徴があるわけでもない、女子らしい声。けれど、疲れた体を労るような、優しく包み込むような、そんな声。
自分の体からふっと無駄な力が抜けていく感覚を感じ、その微睡に抗うことなく瞼を閉じた。気づけば俺の上半身はだんだんと机に向かって倒れていき、そして――
「黒尾、授業終わったけど」
「ハッ……!」
授業終わりのチャイムが鳴った。
△▼△
「てことがあったんですよ」
ウォーミングアップもそこそこに、今日の不思議な出来事を海に聞かせる。海は、へえと驚いたように小さく目を見開いたものの「ちゃんと授業は受けた方がいいんじゃない?」と笑った。
「黒尾、爆睡だったよなー」
「いやいや、あれは俺のせいじゃないって。みょうじが音読してる声聞いてたらいつの間にか寝てたの!」
「なんだ、寝不足か?」
「夜はちゃんと眠ったほうがいいよ」
「いつも安眠ですケド。昨日もちゃんと8時間は寝ましたぁ」
おかげで数学の課題をやり忘れていたのだが、別のクラスである夜久と海がその事を知ることはない。「それは逆に寝すぎだろ」と笑う夜久の隣で、海が眉を下げて笑った。
「帰り際にみょうじと話した時は普通だったよな?」
「あー。そういや、眠気を感じたのはみょうじが音読してる時だけだったな」
帰り際、自分のクラスに帰るみょうじと数言言葉を交わしたことを思い出す。あの時は特に眠気も感じず、普通に話すことができていたはずだ。
だからこそ、授業終わりに声をかけてきた夜久と時計を交互に見た時の衝撃と恐怖は忘れもしない。まじでタイムリープする感覚ってこういう感じなのかもしれないと思った。二の腕をさすりながら感じたままの恐怖を二人に伝えると、夜久が「なんだそれ。怖すぎたろ」と笑う。
「やっくんはみょうじと同中だろ?あいつの声で寝落ちした経験あるんじゃない?」
「いいや、ない!」
「海は?去年同じクラスだったよな?」
「うーん、ないかな」
二人が首を横に振る。がっくりと項垂れた俺に、夜久が「やっぱ気づいてないだけで寝不足なんじゃね?」と言った。うーん、寝不足ねえ。
「あ、でも、みょうじの声聞くと疲れが吹っ飛ぶってのは少し分かる気がする」
「だろー!?」
「まあ俺は黒尾みたいに眠くなったりしないけどな」
ふっと小馬鹿にされたような気配を感じ、俺は夜久を睨みつける。夜久はまるで珍獣を見るかのような視線を俺にむけていた。いや珍獣はどちらかといえばみょうじだろ。そんなことを考えていると、ちょうどウォーミングアップを終えたばかりの研磨がちらりと視界に入った。
「そういえば、研磨とみょうじって似てるよな」
「あー、確かに。頭は研磨の方がいいだろうけどな」
「やっくん辛辣〜」
「てか、研磨に聞けば分かるんじゃね?」
確かに。同族なら何かわかるかもしれない。おーい、と遠くでサボり場所を探している研磨に声をかけると、研磨はこちらをチラリと見てから心底嫌そうに顔を歪めた。おいやめろその顔。泣いちゃうでしょうが。ちょいちょいと手招きすると、研磨はよろよろとこちらに近寄ってくる。
「なに、クロ」
「いやちょっと、是非とも研磨サンの意見を聞かせていただきたくてね」
にやりと笑った俺に、研磨はめんどくさいという顔を隠しもせずに「ヤダ」と首を振る。けれど、その場から去らないところを見るに、なんだかんだ話を聞いてくれるつもりではあるらしい。
一通り今日の出来事を聞いた研磨は、先ほどまでの顔を一瞬にして新種のものを見るような目つきに変える。どうやら他人を寝かせることのできる声に少しばかり興味を示したらしい。
「考えられるとしたら、その人がクロ専属のヒーラーか、もとからそういう声の持ち主かのどちらかじゃない?」
「専属ヒーラー?」
首を傾げた夜久に、研磨は頷いた。いや言いたいことは分かるけど。研磨はたまに、あたり前のようにゲームに例えてくることがある。ゲームしてない人からしたら意味がわからないからね?やっくん見てみろって。頭上にはてなマークいっぱいじゃねえか。海に至ってはかなり困惑した顔をしている。
「つまりどういうことだ?」
「ようはクロの好みの声ってこと。声は見た目と違って本能とか無意識の部分で好き嫌いを分けるらしいし」
本能、無意識。研磨の言葉になるほど、と思う。それならば俺だけが寝てしまう理由の答えになる。いやでもなんか、それってつまり。
「なんかそれって、黒尾がみょうじの事好きみたいだなー」
けらけらと夜久が笑った。「なんだそれ」と笑う俺の心臓はバクバクと煩く鳴っている。まさしく今、自分が考えていた事を夜久に指摘され、冷や汗が背中を伝った。いやいやいや、まさか。
「でも、本当にそんなそんな声の持ち主がいるんだとしたら、どんなリラックス法よりも効果覿面だと思う」
「あー、たしかに!試合の疲れも吹っ飛ぶかもな!」
こちらの動揺などまるで気づいていない夜久は「マネージャー誘ってみるか?」と嬉々と話す。まあ、確かに。マネージャーがいたらいいなと思っていたのはみんな同じだろう。けど、なあ。
「いやいや。みょうじって人見知りなんだろ?マネージャーは無理じゃね?」
「そうかあ?あいつ、ああ見えて人のことよく見てるし、一度やるって決めたらちゃんとやるぞ?」
まるでどこぞのセッターを思い出させる夜久の言葉に、海と俺の視線が研磨へと集まる。本人も自覚があったようで気まずそうにしながらも「なに」と口を尖らせた。
「なら、俺と研磨で勧誘行ってみるか?」
「え、やだ…」
「ほら見ろ。こんな同志が隣にいた方が話聞いてくれそうじゃねえ?」
ふ、と笑って研磨の肩に手を置いた。それを鬱陶しそうに払う研磨を見ながら、夜久も「確かに!」と言って笑った。
なんてことない日常の一コマ。それが、俺たちの青春を加速させるきっかけになるとは、この時の俺たちはまだ知らなかったのである。
20230920