それでもやっぱり許せない!
※後輩名前あり:石川翠(いしかわすい)
なまえと付き合いはじめてから気づいたことがある。それは、彼女の話にあの侑と一悶着あった吹奏楽部の後輩の名前がよく出てくること。まあ、その後輩はなまえが兵庫に引っ越してから一番付き合いの長い後輩だというし、最初は「仲がいいんだな」くらいで特に気にしていなかった。
「ごめんね、倫太郎」
「ん。大丈夫」
昼休みに教室でなまえと昼食を取っていると、「なまえ先輩〜!」と例の後輩がやって来た。後輩に呼ばれたなまえは、申し訳なさそうに両手を合わせて席を立つ。それにひらりと手を振り、なまえを快く後輩の元へ送り出した。
自分たちが最高学年になってからというもの、なまえと一緒にいる時に、それぞれの部活の後輩に呼ばれることはよくあることだ。特になまえは副部長を務めているから、こうしてなまえのもとに後輩が訪ねてくることは珍しくない。ちょっと寂く感じることもあるが、逆に俺が部の後輩に呼ばれている時はなまえを一人にしてしまうのだから、これくらいで二人の時間がなくなるじゃんなんて文句も出ない。――でも。
俺は、スマホを弄るふりをしてチラリと教室のドア付近を見る。そこには、仲良さそうに話すなまえとその後輩の姿があった。生憎なまえはこちらに背を向けており、その表情は伺えない。でもきっと、彼女は優しく笑っているのだろう。こっち向かないかな、なんてなまえを見ていると、彼女の後輩とカチリと視線があった。
その、瞬間。フッ、と、そう聞こえて来そうなくらい勝ち誇った笑みで、彼女の後輩がこちらを見た。その表情は、「どや、私らの時間、邪魔できひんやろ?」とでも言いたげだ。ああ、なるほど。あの後輩、わざとこの時間を狙ってクラスに来てやがる。そう気づいた瞬間、俺のスマホがミシリと音を立てた。
△▼△
「角名は激怒した。必ず彼女の周りをうろちょろする邪魔くさい後輩を除かねばならぬと決意した」
「…何?変なナレーション入れないでくんない」
「いや?俺は昨日角名がリツイートした呟きを朗読してただけやで」
そんなことが数日続いたある日。部室のベンチに頭を突っ伏していると、俺の頭上から治の声が聞こえた。少しくぐもって聞こえるのはきっと治がおにぎり片手に喋っているからに違いない。てかなんだよ呟きって。そんなんリツイートした覚えは…あるわ。あるけど、それは流石にバカにしてんだろ。「それよりその態勢しんどくないん?」と言った治の声に続いてパシャリとシャッター音がしたので、俺は頭を突っ伏せたまま視線だけを治に向ける。案の定治は口をリスのように膨らませながらスマホ片手にこちらを見下ろしていた。
「角名が後輩に喧嘩売られとると聞いてー!」
「うわ、うっさいのが来よった」
バン!と勢いよく部室のドアを開けてやって来た侑は、俺の体勢を見るなり「うわガチやん」と笑いながら自分のロッカーの戸を開けた。その後ろからやって来た銀が申し訳なさそうに手を合わせている。いや情報回るの早。そう思ったが、どうせ目の前でめんどくさそうに顔を歪めている治がさっさとグループに写真を流したのだろう。
「なんでいんの」
「なんでも何も部活やからやろがい」
「いつもはもうちょっと遅いじゃん」
「いやあ、情けない面してる角名がどうしても見たくてなあ。走って来てしもた」
ニヤニヤ笑いながら、侑はうつ伏せで垂れている俺の前髪を器用に二つに分け、その割れ目から俺の顔を覗き込む。せめてもの抵抗に睨みつけるように侑を見ると、侑はあろうことか俺の顔の前でギャハハハ!と大声で笑った。いやうるさ。鼓膜破けるかと思ったんだけど。
「なんやえらい変な顔しとんなぁ倫太郎クン!いつものクールな顔が台無しやでぇ〜?」
「…なんか侑、いつもより数十倍うざくない?」
「どうせいつも喧嘩の時動画撮られてるから、その仕返しやろ」
一部始終を見ていた銀が呆れたように言って、自分のロッカーに脱いだブラウスを放り投げる。「やめてやれや」とため息を吐いた銀に、侑は詫びれる様子もなく「なにいうてんねん!こういう時に弱み握っとかな!」とうんこ座りでスマホを構え出した。座り方もうんこなら性格もうんこってか。パシャパシャと音の鳴るほうを睨みつけていると、侑はさらに面白がって「ブサイクな顔してんなあ!」とゲラゲラ笑う。
「大体、後輩に喧嘩売られるって何やねん」
「吹部の後輩に彼女取られたらしいわ」
「はあ?ダサ。相手女子やろ?そんなん力づくで負かせばええねん」
「俺は侑と違って人の心があるの。流石に後輩との時間を邪魔する彼氏にはなりたくないの」
「いや、それでへそ曲げてたら元も子もないやん」
何言うてんねんこいつ、と言いたげな瞳にぐうと押し黙る。それは、そうなんだけど。再び頭を垂れた俺を見て、侑はやれやれと立ち上がる。「なっさけないなあ」と呆れたように言うと、さっさとスマホをしまい、興味をなくしたようにジャージに着替え始めた。
「俺は角名は我慢して偉いと思うで」
「俺も俺も」
着替え終わった銀が、膝を立ててしゃがみ込む。ほらな、性格いい奴は座り方もきちんとしてんだよ。ぽんぽんと肩を叩く銀の後ろで、ついでに頷いている治は見なかったことにした。
「彼女の後輩まで大切にする角名、かっこいで!」
「銀…」
ようやく体を起こした俺に、銀がにかりと笑う。「ほれ、はよ着替えて練習しよや」と肩を叩いた銀に頷いて俺はよろよろとロッカーに向かった。
△▼△
それが数日前のこと。今目の前にはなぜか彼女の後輩が立っている。呼び出された中庭には人一人おらず、後輩と俺の間に強めの風が吹いた。
「角名先輩、突然呼び出してすみません」
すみません、という割には腕を組み、仁王立ちでこちらを見据える後輩に俺は「はあ」とため息のような相槌が出た。後輩はそんな俺の態度が気に食わなかったのか、顔をムッとさせる。それでも、俺の態度よりも先に言いたいことがあったのか後輩は大きく口を開けてこちらを睨みつけた。
「なまえ先輩はとても優しい先輩です。楽器に対する向き合い方だって尊敬してるし、その技術力に憧れもしてる。私はそんななまえ先輩が昔から大好きやねん」
「はあ」
「せやから、ほんまは先輩と付き合うのも反対や。バレー部治安悪いし」
「…ああ、そう」
「でも、アンタはなまえ先輩が選んだ人や。私はアンタとなまえ先輩が付き合うのを邪魔するつもりはあらへん。仕方ないから、アンタに彼氏の肩書きはくれてやります」
「……」
「せやけど、これだけはハッキリ言うときます」
いやどの口が言ってんの。そう思いながら話を聞いていると、とうとう呼び方が先輩からアンタになった。まあでも突っかかると後々面倒いし。ひとまず最後まで話を聞いてやろうと相手の言葉を待つ。口を挟まない俺を見て、後輩はクイッと顎を持ち上げると眉毛を吊り上げた。
「なまえ先輩の幼馴染は、私です」
「……は?」
自分でも驚くくらい低い声が出た。ドドン、と太鼓の音が聞こえて来そうなくらい堂々と言い放った後輩はフンっと鼻を鳴らす。
「聞こえなかったですかね?ならもう一度言います。なまえ先輩の幼馴染は、私です」
「…何それ、聞き捨てならないんだけど」
「やって、アンタとなまえちゃんが一緒にいたのなんてほんの数年やろ?私は小四からずっと一緒やし」
「いや、小四から今までだってそんなに変わんねえじゃん。それに、年数とか関係ないと思うけど」
「ほ〜?じゃあ何なら関係あるっていうんですか?」
後輩がなまえを呼ぶ呼び方が先輩からちゃんに変わっていることにも気づかないくらい、俺と彼女は睨みあう。
「じゃあ逆に聞くけど。アンタはなまえの何を知ってるっていうワケ」
「そりゃあ色々です。好きな食べ物からハマっていること、あんなことやこんなことまで!」
「そんなの俺だって知ってるけど。何、それでマウント取ってるつもり?」
「なら、言うてみてくださいよ。アンタはなまえちゃんの何を知ってるんですか」
後輩と俺の間でゴングが鳴る。なるほど、乗ってやろうじゃん、その勝負。俺は後輩を見下ろすように見つめると口を開いた。
「なまえは昔から暗いところが苦手」
「そんなん私かて知ってます。なまえちゃんは雷だって苦手やし!」
「はあ?そんなの常識。なまえはシャインマスカットが好き。期間限定のものはチェックしてる」
「なまえちゃんはスタバよりドトール派や。新作が出ると真っ先に買いに行く」
「犬より猫派。でも猫アレルギー」
「朝が弱い。アラームを分刻みでかけてる」
「枕を抱き枕にして寝てる。可愛い」
「前髪に癖がつきやすい。可愛い」
「肩甲骨の間に三点黒子がある」
「そんなん脇の下にも黒子は――って待てや!なんでそんなこと知ってんねん!」
「小さいころ一緒に風呂入ったからに決まってるだろ」
キー!と怒り出す後輩に、ふっと勝ち誇った笑みを向ける。「女子だけの特権やと思ってたのに!」と怒鳴った後輩を黙らせるべく口を開こうとしたところで、どこからともなく「倫太郎!翠!」となまえの呼ぶ声がした。二人でハッと振り返ると、そこには眉を吊り上げ怒るなまえが立っていた。あ、怒った顔ってちょっと新鮮かも。そう思っていると、彼女の後ろに見慣れた人影が3つ。
「なんや面白い話しとんなあ角名」
「安心しい、ちゃんと動画に撮っておいたで」
「というか、角名。その、ちょっと落ち着いて周り見た方がええと思うけど」
治、侑、銀と続いた言葉に、俺は首を傾げて周りを見渡した。そこではじめて、誰もいなかったはずの中庭にギャラリーができていることに気がつく。あれ、待って。勘違いじゃなければ、俺とこの後輩はこのギャラリーの中言い合いをしていたってこと?その事実に気づいた俺は、サッと表情を消して勢いよく視線を斜め下に向けなまえから目を逸らす。どうやら後輩も周りが見えていなかったようで、顔を青くしてなまえから目を逸らしていた。
「倫太郎、翠」
「はい」
「ハイ…」
「今日一日、私は2人と幼馴染を辞めます」
だから話しかけないでください。そう言ってなまえはくるりと踵を返した。慌てて追いかける俺と後輩の必死な様子は、瞬く間にギャラリーを笑いの渦へと包み込む。中庭の様子は侑によってすぐにバレー部のグループチャットに投げられ、稲荷崎幼馴染事変として拡散されたのはそれからすぐのことだった。
20230921