リコリスに誓う


「あ、見て。リコリスが咲いてます」

 田んぼ道を歩きながら赤い色をしたリコリスを指差せば、北さんが「ああ、もうそんな時期か」としみじみと言った。風に揺られてゆらゆらと揺れているその花が、私は好きだった。

「真っ赤で可愛いですねぇ」
「そぉか?」
「はい。秋が来た〜って感じがします」

 リコリスの前にしゃがみ込んだ私を見て、北さんは「そないに思うの、自分だけどちゃう」と肩を竦めた。

「彼岸花いうたら、普通あまりいいイメージないやろ」
「え、そうですか?」
「死者の前に咲く花とか言われてんねんで。毒もあるし。咲く時期も悪いわ」

 リコリスが花咲く時期は、暦でいうお彼岸に近い。リコリスには毒もあるし、ネットでW縁起の悪い花Wと書かれている記事を見かけたこともある。北さんの言うこともまあ、一理あるのだろう。

「でも何度見ても可愛え。周りは知らんけど、私はリコリス好きや」
「…女子の可愛いはよお分からんわ」

 そう言って呆れて笑った北さんに、私はなんと返したのだったか。薄れていく記憶の中、微睡だけが私の頭を支配していた。
 
 
△▼△


 大きくなった北さんの朝は早い。朝日が昇りきる前に起きていることが大体で、毎日眠る必要のない私はそんな北さんを眺めているのが日課だった。
 そんな1日の終わり、今日もキッチンではグツグツと煮立つ音と共にいい匂いがする。いつもは北さんの隣に可愛らしいおばあさんが並んでいるのだが、今日は北さん一人のようだ。そういえば、昨日の食卓で北さんのおばあさんがWお友達との旅行が楽しみやWと話していたっけ。

「いただきます」

 目の前で手を合わせた彼に、召し上がれと言葉を返すのも何度目だろう。幽体になってからというもの、彼に私の姿は見えないようで、いつしかこうして彼に話しかけるのが当たり前になってしまった。
 今日の北さんの家のご飯は、炊き立てのごはんにピリ辛きゅうり、里芋の煮物になめこの味噌汁。実家ではあまりなめこの味噌汁が出たことはないけれど、北さんの食卓にはよく秋になるとこのお味噌汁が並ぶのを見るに、どうやら彼自身は好んで飲んでいるようだった。

「北さん、美味しい?」
「……」
「今日はねぇ、暇だったんで宅急便のお兄さんにイタズラしてみたんやけど、やっぱ気づいてもらえへんかったわぁ」
「……」
「北さんに前やったことと同じことをしたんですけどね。首を傾げるだけで。北さんもいつもW風か?Wとか言うてますもんね。あの人もそう思うたんやろなぁ」

 彼は何をいうでもなく、味噌汁のお碗に口つけた。目の前で頬杖をつく私と北さんの視線が交わらないのはいつものこと。彼には私が見えていない。分かっている。だから、私が彼に話しかけているのはただの自己満足だ。
 北さんが高校を卒業して早五年。私が幽体になって北さんのそばにいるのも同じくらいになるだろうか。幽霊が成仏できないのは心残りがあるからだ、とはよく言ったもので。まあ私も、その類だったらしい。なので決して悪霊ではない。
 五年も彼のそばにいると、成仏しなければならないことを忘れそうになったりもする。返事がなくても好きな人のそばにいられるなら、それはそれでいいことなのでは。なんて、考えてしまう自分は愚かだろうか。

「北さん、好きですよ」
「……」
「あーあ。また黙りかあ。残念」

 ちぇ、と足を投げ出した私の目の前で、北さんは箸を置くとぴんと背筋を伸ばし両手を合わせた。

「ごちそうさまでした」

 おそまつさまでした、といつもの返事を返す。まあ、この料理作ったの全部北さんやけどな。なんでお前が言うねん、と心の中の尾白さんが突っ込んでいる気もするが気にしないでおこう。
 北さんは慣れた手つきで食器を重ねると、キッチンへと去っていく。パチリと部屋の電気が消えた。今日はもうこのまま寝るらしい。北さんが起きるまでまた暇な時間がやってきた。キッチンに去っていった北さんを追いかけて、後ろから彼の顔を覗き込む。首筋には変わらずシルバーのチェーンが付いていた。

 ああ、今日も貴方に私の愛してるが伝わらない。

△▼△


「みょうじは、俺が好きで付き合ったわけちゃうやろ」

 いつだったか、北さんが尾白さんにそう言っているのを聞いた。風鈴がチリンと鳴るいつかの夏の日だ。
 ぽけっと庭を眺めていた尾白さんが「はあ?」と北さんに顔を向ける。北さんの隣でぱたぱたと足を動かしていた私も、ぽかんと彼を見つめた。

「いや、なんでそうなんねん。お前ら好き同士で付き合うてたんやないんか?」
「俺はずっと好きやったで。でも、」

 焼けた肌を晒し庭を眺める北さんは、中途半端に言葉を止めるとどこか遠くを見つめた。小さく喉仏が上下する。北さんは、チラリと尾白さんに視線を向けて再び庭へと視線を戻すと、ようやく口を開いた。

「俺、みょうじに好きやって言われたこと、ないねん」
「……え、ほんまに?」
「こないなことで嘘つくか」
「え、ええ…」
 
 その場に、雷が落ちた。正確には、私と、尾白さんの頭上にだけやけど。「俺、どんな反応したらええねん」と視線を彷徨わせる尾白さんは、かなり狼狽えていた。
 一方で、そんな衝撃の事実を聞いた私は、自分の未練とやらを唐突に理解した。ああ、なるほど。私の心残りは、彼にW好きWを伝えられなかったことだったのか。

「最後に会った時、みょうじとどんな話したん」
「これといって特に。少なくとも転校の話は聞いてへんな」
「そうか、北が聞いてないんじゃ誰も聞いてへんよなぁ」
「…ただ、卒業の日の話はしたな」

 卒業?と首を傾げる尾白さんの横で、北さんが服で隠したネックレスを持ち上げた。ネックレスに通されたリングが夏の光の元にさらされキラリと光る。

「俺ら、同い年やないし、卒業したら一年離れるやんか。やから、これをあいつに渡したくて」
「そうやったんか。みょうじはなんて?」
「W何渡してくれるんやろ、楽しみですWって笑てたわ」

 そうそう、思い出した。いつもの帰り道で、北さんは私に「渡したいものがある」って言っていたっけ。何をくれるんですか、と聞いたら、秘密やって笑われて。なら聞かんとこって。楽しみや、って私はそう言った。
 尾白さんはネックレスだと伝えていなかったことを知ると、がっくりと肩を落としていたが、「北らしいな」と笑った。

「いつか渡せるとええな、そのネックレス」
「…え」
「えってなんや。いつでも渡せるようにそこにあるんやろ?」

 尾白さんはトントン、と自分の首を指さして北さんに言う。北さんは目を瞬かせると、困ったように笑って「そう、かもしれんなあ」と再びネックレスを服に隠してしまった。

「ネックレス渡した時になんぼでも好きって言うてもらったらええねん。俺らから見たら、みょうじだってちゃんとお前のこと好きやったぞ」
「そうだとええなあ」
「なんで不安気なん。自信持てや」
「せやけど、みょうじは先輩の顔を立てるために付き合うたんやろ」
「みょうじがそう言うたんか」
「直接は聞いてへん。でも、好きって言わないのはそう言うことやろ」

 北さんは、まっすぐと尾白さんを見て言った。尾白さんは「…北は相変わらずやな」と苦笑いをして、ええか?と人差し指を立てる。

「俺ら、もうすぐ卒業やったんやぞ?卒業する先輩の顔立てて何になんねん」
「…まあ、それも一理あるな」
「それに、みょうじの性格上、好きとか簡単に口に出すようなやつやないやろ。入部したてのあいつを忘れたんか。あいつは色々全部溜め込んでぶっ倒れるようなやつやぞ」
「……」
「まあ、なんというか。みょうじを信じてやったらどうや?で、次会うたらその不安を全部聞け」

 私の黒歴史をさらりと掘り返す尾白さんに、ないはずの体温が上がる。ぼっと顔が火を吹いたんじゃないかと錯覚するくらいだ。ぎゃー!と顔を覆い立ち上がる私とは裏腹に、彼らは静かにそこに座りこんでいた。

 
△▼△


「…彼岸花が咲いとる」

 たまたま着いて行った田んぼの端を見て、北さんがぽつりと呟いた。つられて視線を向ければ、そこには赤いリコリスが咲いていた。

「今年もこの時期が来たんやなあ」

 北さんは赤いリコリスをじっと見つめると、思い立ったようにスマホを撮り出し、パシャリと写真におさめる。昔はスマホに苦戦していたとは思えないほど手慣れた手つきが、彼らの年月が流れていることを知らしめているようだった。

「…みょうじは、白のが好きなんやったか」

 スマホの画面をじっと見つめながら、北さんはぽつりと呟いた。ええ、そうです。よく覚えていましたね。北さんとリコリスを見たあの日、私は貴方にそう伝えたんです。ニコニコと彼を見つめる。今はただ、なんてことない会話を覚えていてくれたことが嬉しかった。

「北さん、あっちの道には白いリコリスが咲いてるんですよ」
「みょうじ」
「はい」
「…なまえ」
「…はい」
「会いたいなぁ」
「私は毎日会うてますけどね。北さんが鈍ちんなんですよ」

 彼と私の視線はやっぱり交わらない。北さんは愛おしそうに赤いリコリスを見ると、「いつか、また会えたらええなぁ」と呟いた。そんなの、私もです。だって私は、ずっとあなたが好きなんです。

「北さん、好きです」
「…」
「いつかそのネックレス、くださいね」

 ネックレスを受け取ったその日には、尾白さんの言うとおり、彼にたくさんの好きを伝えよう。ああでも、今まで言えなかった好きも含めたらかなり重たいものになってしまうかも。
 くすくすと笑って北さんを見つめる。そうして今日も、私は貴方に愛を囁くのだ。

20231004