この想いは誰であっても奪うことは赦されない

昔、一人だけ愛した女子がいる。
武家生まれの病弱な姫君に贈られた色打掛に宿る付喪神
室には、俺が飾られた床の間と姫が一日の大半を過ごす褥
それと、彼の方、今で言う彼女が宿る濃紺の打掛が一つ。
話した事は数回しかないが、同じ室で過ごす内に惹かれた。
烏の濡れ羽色の髪に、濃紺の瞳
その容貌は誰が見ても精巧に作られた人形のよう。
武家の姫だからか、話し相手のいない姫の隣に寄り添うのは彼女だけ。
姫に言葉も、姿も、届かないのに彼女は寄り添い続ける。
生きている黒猫が姫の室に気軽に気兼ねなく入れる。
姫は俺達がいるのに気付いていない、見えない筈なのに話し掛ける。
まるで、見えているかのように。
ぽつりぽつり、と。

「私には貴方達を使う事が出来ないのです」

撫でられるのは俺の鞘、腕に抱くのは濃紺の打掛
黒猫が不満そうに声を上げる。
自分も撫でろと。
ふうわりと笑う姫は俺や彼女を手放し、黒猫を撫でる。

「そろそろ私は、自分の命が尽きるでしょう」

猫から庭へと目を移す。
姫は俺や彼女に気付いていない筈なのに、話し掛ける。

「一度でいいから、貴方達の事をこの目で見とう御座いました」

ゆるりと彼女に微笑んだ後、俺にだけ聞こえるように姫は囁く。

「どうか、寂しがりなあの子を頼みました」

悲し気に微笑んだ数日後、呆気なく姫は逝った。
その後を追うように、あの猫も逝ったらしい。
残された濃紺の打掛は、姫の兄君が引き取っていった。
姫が逝ってからの数日は、彼女と話す事はなかった。
交わした言葉は片手で足りる程だが、目が合えばゆうるりと微笑まれた。
姫に頼まれたが、俺は彼女とは全く縁のない場所へと。
戦場で振るわれ続けた。


あれから時は過ぎ、審神者と呼ばれる者に顕現され、人の姿を常に保つようになった。
まだ、彼女には会えていない。
付喪神同士、長い時のどこかで会えると思っていた。
だが、一向に会えずじまい。
会えると思っていたのは、ただの夢物語でしかないのかもしれない。
顕現されてからひと月、主の部屋の前を通り過ぎようと思えば、主は着物を掛けようとしている。
興味本位で覗いた俺の時間が止まる。
主が掛けようとしているのは、見覚えのありすぎる濃紺の打掛

「主、その打掛は」

たった今、諦め掛けていた。
濃紺の、色打掛に間違いない。
姫の部屋にあったあの打掛だ。
兄君に貰われ、行方知らずだったのに。

「三日月さん、驚かせないで下さいよ」

いきなり現れた俺に、大きく肩をびくつかせる。
打掛は、衣紋掛けにしっかりと掛けられている。

「先祖代々受け継がれている打掛です。
 何百年以上も経っているのに痛み一つない不思議な打掛で」

打掛について話し終えた主は、何も発しない俺に首を傾げる。
微かに感じる懐かしい神気に主へ振り返る。

「主、この打掛にちょいと力を込めてくれないだろうか」

訝し気な主に、彼女のようにゆるりと微笑む。
一瞬息を詰めた後、文句を言いながらも打掛に力を籠める。
数秒後、眩い光とともにふわりと現れた。
懐かしい姿、長く伸びた烏の濡れ羽色の髪と濃紺の瞳

「名前殿」

「貴方は、あの時の」

あの時の付喪神、改め、名前殿
俺の目を見て、あの時と同じようにふわりと微笑む。

「久方振りです」

主が呆けたようにこちらを見ている。
主の絶叫が本丸に響き渡った。


anyone can not forgive this feeling


まえ / つぎ
モドル?