多分、気のせいだったね

日課となりつつある毎日の夜の電話
他愛もない話から、巴榮が思い出したように言う。

「今度、家に遊びに来ない?」

これは俗に言うお家デートの誘いか?
それしか考えられないか。

「理一さん?」

俺の返事が遅いせいか、巴榮が声を掛けてくれる。

「巴榮がいいのなら、是非遊びに行くよ」

電話だから顔は見えないけど、巴榮が嬉しそうな顔をしているだろう事がわかる。
声が弾んでるから。

「嬉しい」

感情を表に出す彼女が可愛い。

「泊まって行く事は出来ないんだけど…」

おずおずと申し訳なさそうに言う巴榮が目の前に居たら、絶対に抱き締めている。
確かに泊まれたら嬉しい。
勿論、俺も男だし?
狼になる可能性もあるけど、巴榮の親に結婚の報告を済ませてから。
って考えがあるし、まぁ、泊まれない事については気にしない。

「大丈夫だけど、一つお願い聞いてもらってもいい?」

気にしないけど、俺も一つだけ巴榮にやって欲しい事がある。

「いいけど、料理とか?」

唸りながらも出された答えは違ったりする。
巴榮の手料理が食べたいのも事実だけど、今はそれより聴きたいものがある。

「ピアノ弾いてるところが見たいし、聴きたいんだ」

がたり、電話の向こう側で何かをぶつけた音がした。

「ぅ〜……」

先程とは違う唸り声
どうやら巴榮が何かにぶつけたらしい。

「大丈夫?」

「うん…、大丈夫…。
 結構痛かった…」

巴榮には不謹慎かもしれないけど笑みが溢れる。
笑い声が聞こえないように、細心の注意を払った筈だった。

「理一さん、笑ってるでしょ」

巴榮の方が上手だった。

「ばれた」

巴榮の言葉に、隠していた笑い声が出てくる。

「ピアノ、チェロより下手だから」

不機嫌な声を出す巴榮に、俺も笑いが収まる。

「巴榮の音が聴きたいんだ。
 駄目だった?」

本当に嫌だったら諦めるが、多分巴榮は許してくれる。

「理一さんの聞き方ずるい。
 下手でもいいなら…」

ほら、彼女は優し過ぎるから俺のお願いを聞いてくれる。

「下手でもいいから」

時計を見れば日付を超える少し前なので挨拶を。

「じゃぁ、また明日」
「うん、また明日」

ぷつり、何の変哲もない機械音が電話が切れた事を教えてくる。
大切なお姫様の機嫌をなおして貰う為にも、彼女の好きな物を持って行こうか。
予定が合った日に、俺は巴榮へのお土産片手に彼女のマンション前に立つ。
連絡をしようか、と思った時にエントランスのドアが開く。

「もしかして、待った?」

俺の姿を見ると、慌ててやって来る巴榮に笑う。

「今、来たところ」

俺の言葉にふわりと笑う巴榮

「気が合うね」

にこにこと笑い続ける巴榮が愛らしくて、巴榮がいるだけで俺の世界は色付く。
荷物を持たない手を取られ、歩き出す。
他愛もない話をしながらエレベーターに乗り、巴榮の部屋へ入って行く。

「何もないとこだけど、どうぞ」

案内されたソファに座る。
程なくして、巴榮が紅茶と渡したロールケーキの載った皿を持ってやって来る。

「ここのロールケーキ、食べたかったの覚えてたの?」

嬉しそうに笑いながら、紅茶をカップに注ぐ。
Cameliaにいた時、食べたいと言っていたのを思い出して買って来たものだ。
何度か行ったけれど、毎回売り切れで運が無い、と言っていたのを思い出す。

「今回の演奏のお礼」

笑いながら言うと、電話口で聞いた言葉が返って来るが気にしない。
俺は、あの高校2年の夏を忘れたりしていない。
チェロを弾く姿も、ピアノを奏でる姿も覚えている。
下手だから、俺の前では頑なにチェロしか弾かない彼女にお願いをした。

「これ食べ終わって一息ついてから、ね。
 ピアノはなぁ…」

まだぼやく巴榮に笑いが出て来るが、あの時の出来事は俺だけが知っていればいい。
食べ終わった巴榮が、準備の為に席を外す。
初めて来た巴榮の部屋に興味が湧き、辺りを見渡す。
飾られている写真は、幼い時から今の写真まで様々だ。
親族一同が揃った写真まである。
その中でも、祖父母と撮った写真が多い。
幼い頃から笑顔の綺麗な子だったみたいだな。

「お待たせ、理一さん」

巴榮に連れられて聴かせて貰ったピアノは、あの頃よりも確実に上手くなっていた。

多分、気のせいだったね



まえ / つぎ
モドル?