一.七海建人は講評する

 思えば、始まりは最悪だった。
 北欧とのハーフだかクォーターだかなんだか知らないけれど、とにかく腹立たしいほどに整ったその顔につい見惚れてしまったわたしに放たれた一言。それは、彼の第一印象を容易に限りなく最悪へと近付けた。

「別に邪魔さえしないでもらえれば結構ですが……惚れないでくださいね。色々と面倒なので」

 念願叶ってようやく掴んだ補助監督としての仕事の、記念すべき第一回目。その任務で一緒になった一級呪術師の男──七海建人は、巷で噂されていたはずの��紳士で大人�≠ニいう評判からはまるで程遠い、随分と自意識過剰で失礼極まりない男であると、このときのわたしは思う他なかった。


◇


「今日の現場ですが、高専から少々距離がありますので片道一時間程度は見ておいてください」

 わたしのその言葉に、七海さんはタブレットから顔を上げることなく「分かりました」とだけ呟いた。毎度変わることのない反応を見せるこの男と任務に出るのは、これで五度目になる。
 第一印象こそ悪かったものの、まあ何度か共に職務をこなせば少しはこんな態度にも慣れるか、もしくは彼が心を開いてくれるだろうと信じ込んでいたわたしの考えは、ここ数週間ですっかり諦めの色を濃厚にしていた。

 補助監督の仕事というのは、正直それなりに忙しい。一般企業でいうところの秘書と事務職を掛け合わせたようなもので、現場までの送迎はもちろん、報告書作成や帳を下ろすに至るまで、その業務内容は多岐に渡る。
 それでも常に戦いの最前線に立つ彼ら呪術師と比べれば命の危険が少ないのも事実で、あくまでサポートのために存在しているということは自明の理だ。

「この報告書、作成したのはアナタですか」
「……え? あ、はい。そうですが」

 何か不備でもありましたか、と聞くよりも前に、呆れたような溜息が耳に届いた。その溜息は特別わざとらしいものではなくて、七海さんが何かにつけて吐き出すいつものそれと同じだった。けれど、それにしたって自分の作ったものに対してそんな反応をされて気分が良い人間はいない。

「どこかおかしなところがありましたか」
「可笑しい、というわけではないですが。まず、作成者の名前と作成した日付が記載されていません」
「うそ、書き忘れてましたか」
「嘘をつく必要がない」

 別に今出た「うそ」は七海さんに対して言ったものではないけれど、もうわざわざ訂正するのも面倒だと思い、ひとまずスルーする。
 ここです、と人差し指で該当箇所を示してくる七海さんにお礼をひとつ言うと、彼は納得するように頷いてから車の後部座席へと乗り込んだ。

 慌ててわたしも運転席へ身を滑り込ませて、発車の準備を整える。
 悪い人ではない、のだと思う。いや、確実に常識も実力もあるし、変わり者の多い呪術師の中ではむしろ相当��まとも�≠ナ��良い人�≠ネのだろう。
 ちらりとバックミラーで様子を窺うが、その顔はいつも通りの無表情で心の内は知れない。それにしても、悔しいけれど何度見ても本当に綺麗な顔をしている。

「これから運転するんですから、ちゃんと前を見てもらえますか」
「えっ、あ、ごめんなさい!」

 こっそり見ていたつもりだったのに、しかも七海さんはこちらをちらりとも見ていないのに盗み見していたことがばっちりバレていて、内心やってしまったと心臓がばくばくする。
 これではまるで、怖い上司に当たってしまった新入社員のよう──……いや、まさにその状況と言っていい。そしてよくあるのと同じように、そういう上司の前ではつい萎縮してしまって失敗が重なりがちだ。

「あ、あれ。すみません、仕事用のスマホを部屋に置いてきてしまったみたいで……取りに行ってもよろしいでしょうか……」
「……ええ、どうぞ」

 想像通りのふう、という溜息がぐさりと胸に刺さり、車内に七海さんを残して少々泣きそうになりながら自室へ向かう。
 惚れないでくれ、だなんて。最初こそ好きにならないように気をつけようと思っていたけれど、今じゃその片鱗すらも見えやしない。
 七海さんは昨年まで一般企業に勤めていたらしいし、もしかすると女性関係で色々と辟易することがあったのかもしれない。眉目秀麗という言葉がぴったりな彼のことだから、顔だけで持て囃されるような事例も多々あったのだろう。
 とはいえ、わたしだって一般企業に勤めていただけの窓出身で、つい最近ようやく補助監督まで上り詰めた身だ。七海さんの人間性をほとんど何も知らない以上、彼からの接し方には正直苦手意識が強かった。

 目当てのものを手にして車内に戻ると、そこには七海さんが先ほどと同じような体勢のまま待っていた。
 一言謝罪を入れて、彼が「いえ」と返すのを聞き届けてから車を発進させる。補助監督としてはまだまだかもしれないけれど、運転技術だけは伊地知さんや五条さんのお墨付きだ。「君の運転、丁寧だから車内で資料読みやすくて助かるよ」と呪術師最強に言われた晩は、ひたすら頬の緩みがおさまらなかった。

「……」
「……」

 任務に向かう車内での時間は、毎度のことながら正直気まずい。七海さんは他の呪術師の方と比べて口数が多い方ではないし、つい先ほど運転に集中しろというようなことを言われたばかりなのだから、わたしからも話し掛けづらい。
 別に全ての任務が彼と一緒というわけではないけれど、近頃は「最初は七海との方が良いでしょ」という五条さんの鶴の一声──やぶへびとも言う──で、七海さんの案件に割り当てられることが増えていた。

「……失礼を承知で伺っても?」
「えっ?」

 いっそ早く現場に着かないかなあ、なんて考えながらぼんやりと赤信号を見つめていると、突然後部座席からそんな質問を投げ掛けられて、思わず素っ頓狂な声が出る。
 再びちらりとバックミラーに目をやると、七海さんが美しい翡翠の瞳で鏡越しにわたしを見つめていて、思わず心臓がどくりと跳ねる。それが苦手意識からくる緊張なのか、珍しく交わった視線に射抜かれたことによる脳の誤作動なのかは分からなかった。

「えっと……わたしにお答えできることであれば、どうぞ」
「伊地知君から、アナタは長らく一般企業に勤めていたと聞いています」
「あぁ、はい。そうですね」
「それから、私の一つ歳上だとも」
「仰る通りです」

 七海さんの言う通り、わたしは実のところ彼よりも一つ歳上だ。とはいえこの業界では年齢なんてあってないようなもので、仕事ができるか否かが物を言うし、そもそも呪いの世界において彼は大先輩なのだからさほどそれを重要と思ったことはない。

「元々高専生でもないアナタが、なぜわざわざこんな業界に?」
「……スカウト、して頂いたので」
「スカウト」
「はい、五条さんから。ただの窓にしておくには勿体ないと」

 またいつも通りのふう、という溜息。それが五条さんに向けられたものであるのだろうということは、なんとなく察しがついた。

「これまで四回、アナタと任務に出ての所感ですが」

 突然の講評に、ぎくりと体が固まる。
 それほどヘマをしたことはないと思うけれど、先述の通り萎縮して本領を発揮できていないというのも事実だ。そんなのは言い訳にしかならないと分かっていても、本当ならもう少しできるんです、とアピールしたくなるときも正直ある。
 おずおずと頷いて見せると、七海さんは腕を組んだまま滔々と言葉を紡ぐ。

「まず、一般企業勤めが長かっただけあって報告書が大変見やすくて助かっています」
「へ?」
「次に、運転が丁寧なので車内で落ち着いて過ごせる」
「あっ」
「それから、五条さんの言う通り素質もあると思います」
「わあ」

 聞き慣れない七海さんからの褒め言葉のオンパレードに、なんとも頭の悪そうな反応ばかり返してしまう。聞き慣れないどころか、彼からこんな風に言ってもらえるのは恐らく初めてではないだろうか。思っていたよりもしっかりと仕事振りを見ていてもらえたことに加えて、評価そのものも高かったことが嬉しくてつい頬が緩んでしまう。
 しかしそのすぐ後に発せられた「ただし」という言葉に、一気に眉間に力がこもる。

「向いているとは思いません」
「う……」
「以前から呪いを視認できていたにしては、現場に着くたび反応が鈍くなりすぎです」

 まあ、��しっかりと仕事振りを見てもらえる�≠ニいうことはつまり、良くないところも同様に見られているということに他ならない。だから七海さんのその言葉は最もで、言い返す余地など当然ありはしなかった。

「死と隣り合わせの仕事です、その恐怖心がとれないうちはあまり現場に出るべきではないかと」
「……回数をこなして慣れる、というのは良くないでしょうか」
「良くないとは言いません。しかしそれなら私とじゃない。もっと猪野くんや学生たちの任務に同行することを勧めます」

 あまりに的確な意見に、先ほど年齢など問題ではないと考えたばかりの脳がつい本当に彼は歳下なのかと疑問を呈する。
 それでいて、今更ながらに成程と納得した。多くの人が七海さんを��紳士で大人�≠ニ称する理由も、五条さんが最初は七海さんとの方が��良い�≠ニ言ったことも。
 ──それから、惚れるなとわざわざ釘を刺されたことも。

「七海さん、モテるわけですね」
「……はい?」
「正直、最初は見た目でたくさん女性に言い寄られるのかな、と思ってたんですけど……。誠実で仕事にも真摯に向き合ってらっしゃるんですね」

 尊敬します、と素直な気持ちを伝えてみると、七海さんは急に居心地が悪いといったように眉根を寄せて、「見る目も養うべきかと」と溜息混じりに言う。

「あ、でも好きにはなりませんので安心してください」
「そうしてもらえると助かります」
「ともあれ、ありがとうございました。自分の改善点が見えた気がします」
「それは何より」

 数十分前とは打って変わって雰囲気が良くなった車内で、窓の外を流れる風景を眺めながら考える。
 次以降はしばらく身の丈に合った任務に同行させてもらって、実力がついたら改めて七海さんと組ませてもらえるように頼んでみよう。そうして、いつかこの人に立派な補助監督として認められたい。
 彼のことを良く知らなかったとはいえ、一瞬で手のひらを返すような感想を抱く自分に自嘲めいた笑みを浮かべつつも、怖い上司とは往々にして尊敬できる上司と表裏一体であると思い出す。
 ふふ、と思わず声を上げると、七海さんが呆れたように言葉を漏らした。

「運転が丁寧だとは言いましたが、余所見をしがちなところは改善点に加えておいてください」

 変わらず顔を綻ばせたまま返事をすれば、やれやれといった風に溜息をつかれる。彼のそれは癖のようなものなのだろうけれど、その数が一度でも減る日が早く来れば良いと考えずにはいられなかった。


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