―――しばらく会えない。繁忙期。
年上である彼女からそんな連絡がきたのは、今から2週間くらい前のことだった。社会人としてすでに働いているあの人は、定期的にやってくる繁忙期に忙殺され、家のことも自分のことも疎かにしてしまう。
それはまぁ、仕方ないことなのかもなと思う。忙しくてしんどい時に掃除とか洗濯とか、面倒になるのはどうにもならない。やろうと思っていても体がついていかない、と珍しくボロボロと涙を流しながらなまえさんが弱音を吐いたのは…いつのことだっただろうか。
side:綴
そっと合鍵で鍵を開けて家の中に入ると、カーテンを閉め切っているのか真っ暗だ。それはまだなまえさんがぐっすり夢の中、という確かな証拠でもある。少しでも長く眠らせてあげたいんだ、ようやく繁忙期を終えたお疲れのあんたのことを。なるべく音を立てないように歩いていると、何だか忍者とかにでもなった気分だよな。
ひとまず買い込んできた食材を冷蔵庫に詰め込み、まずは米を研いで水に浸らせている間に洗濯と掃除をやってしまおう。メシの準備はその後でも間に合うはずだ。飲み物の準備も起きてからでいいかな…まだしばらくは起きそうにないし。頭の中でやることをリスト化してから、俺は動き出した。
初めの頃はどこまで手をつけていいのかわからなくてあたふたしたけれど、それから何度も経験すれば慣れたものだと思う。いつまで経ってもあの人は、繁忙期明けに綺麗になっている部屋を見て申し訳なさそうな顔をするけれど。何度そんな顔をしなくてもいいんすよ、って言葉で伝えてもダメだった。嬉しい気持ち半分、年上なのに世話を焼かせてしまう情けなさ半分で複雑な気持ちになってしまうそうな。別に完璧超人じゃあるまいし、何事も完璧にこなす必要なんてないのに。
それに俺はこうして世話を焼くのが楽しい、と思っている節もあるしなぁ。普段は割としっかり者の彼女を甘やかせるこの立ち位置は、案外悪くないものだから。
「綴…?」
「あ、起きました?おはよ、なまえさん」
「うん…おはよう…」
洗濯も掃除も終わり、メシの下ごしらえまで終わらせた所で寝ぼけ眼のなまえさんが、目を擦りながら寝室から顔を出した。
「腹減ってます?米ももう少しで炊けるから、減ってるなら作っちゃいますけど」
「食べたいけど…」
「ん?」
「もーすこしくっついてたい…」
よろよろと近づいてきたなまえさんを受け止めると、そんな可愛いことを口にするもんだから思わずぎゅっと抱きしめてしまった。可愛すぎると思うんですよね、起き抜けの素直な彼女。普段が可愛くないとかそういうわけじゃないんすけど、余計に可愛さが増すっていうやつです。
繁忙期の間はもちろん会う暇と余裕なんてこの人にはなかったし、その前は俺が脚本の執筆とレポートに追われていた。LIMEのやり取りや、電話は時々していたけれど…会うのは久々なんだよな。だからくっついていたい、と思うのは、彼女だけではない。なまえさんがそのことに気がついているかはわからないけれど。
「もーあんまり可愛いこと言うと、なまえさんから食べちゃいますからね」
「……ぃけど、」
「へ?」
「い、いいけど、って言ったの……!」
俺のパーカーを握り込み、胸元に顔を埋めたままだから表情は見えないけれど、髪の隙間から見える耳や項はりんごか!ってくらい真っ赤に染まっていて。溜息をつきそうになったのを慌てて飲み込んだ。
言葉の破壊力をわかってて言ってんのかな、この人…そんな簡単に許しちゃったらダメなんすよ、本当に。本音を言うなら今すぐ触りたいし、この場に押し倒してしまいたいくらいだけれど。俺は今日、この人を労って甘やかしに来たんだ。それは後―――食後のデザートってことにさせてもらおう。
「つづる…?」
「ダメっすよ、そんなこと軽々しく言ったら」
「誰にでも言ってるわけじゃないわよ、ばぁか」
「そんなこと知ってますけど、俺はまずあんたを労いたいんす。それから甘やかしたい」
「うん……?」
「だから、」
しっかり食事をしてから、デザートにもらいますから。もう少しいい子で待ってて。
耳元でそう囁いてキスをひとつ落とせば、彼女の頬は更に真っ赤に染まっていく。まだまだ美味しくなりそうだなぁ、とほくそ笑んだ。