朧月夜
世話役がついて三月が経った。お互いに必要以上に関わらねぇし、干渉もしねぇ。
だから、あの女自身について知っていることなんてそう多くはなくて。
…けど、毎日会話をするようになって…1つだけ、わかったことがある。
あの女の傍は、自分でも驚くくらいに落ち着いてしまう。
知り合って間もねぇのに、あいつが隣にいることが…何つーか、自然だと感じんだよな。小せぇ頃から傍にいたわけじゃねぇのに。
「…慣れねぇな。誰かが傍にいるっつーのは」
痛むこめかみを指で押しながら、しとしとと雨が降っている外に何気なく視線を向けた。
止むことのない雨が、延々と空から落ちて来る。
ここ最近は、ずっと雨が続いている。
それが関係しているのかはわかんねぇが、任務の数も減って…呼び出されたかと思えば、忍軍の仕事とは無関係の仕事が言い渡されることが増えた。
暇だから、と言って外に出ようと思っても、この雨だ。外に出る気が失せる。
自然と屋敷内にいることが増え、世話役の女と顔を合わせることも増えたように思う。…そりゃそうか。普段は女中として仕事をしているらしいしな。
「雨は、空が流した涙……んなことを、昔知世姫が言っていたな」
地上に雨が降るのは、天にいる誰かが泣いているから。だから、雨が降るのは少し嫌で、悲しくなるのだと…私は思うんです。
振り続ける雨を見つめながら、ボソリと呟かれた言葉。
あの頃はよくわからなかったが、今なら―――少しだけ、わかるような気がする。ほんの少しだけ、だがな。
「(…ダメだ。今日はくだらねぇことばかり考えちまう)」
全てを覆い尽くすような厚い雲。全てを洗い流してしまいそうな雨。
どうせなら、この朧気な記憶ごと消し去っちまってくれりゃあ良いんだがな。
思い出そうとすればするほど、頭が痛む。けど、早く思い出せと頭の奥で誰かが叫んでるような気がして落ち着かない。
更に落ち着かねぇのは…あの女の存在。
傍にいるのは落ち着くし、いねぇ時は何となく気になってしまう。干渉はしねぇし、呼ぶこともしねぇけど。
それなのに…心のどこかで"コイツじゃねぇ"と思ってる自分がいるのも本当だ。
何が違うのかはサッパリだし、別に探している誰かがいるわけでもない。それなのに求めてるのは、あの女じゃねぇと―――必死に訴える俺の中の"何か"。
全てが不確かで、あやふやで、何もかもがハッキリしねぇ。
この気持ちは果たして、俺自身のものなのか…それとも俺じゃない誰かのものなのか、それすらも曖昧で、朧気にふわふわと漂っている感覚だ。
「(何で…こんなにも焦ってる?時間がないわけでも、ねぇのに)」
落ち着こうとすればするほど、焦る気持ちは強くなる。
早く思い出せ、早く目を覚ませ。でないといつか―――――全て ヲ失う ゾ。
失う…?俺は一体、何を失うってんだよ。父上も、母上も、故郷も…何もかも失った俺が、これ以上失うものなんてねぇのに。
ぼんやりとそんなことを考えていた時、ふと気になった。何もかも、失ったって…何だ?
「俺は……いつ、父上達を失ったんだ―――?」
そうだ、俺の両親はいまだ健在だ。
父上はこの白鷺城の忍軍の総隊長で、母上はすげぇ力を持った巫女。それも姫巫女である知世姫に匹敵するほどの。
今では諏訪に2人で暮らしているが、前線を退くまでは白鷺城で暮らしていた。
それなのにどうして、一瞬でもあの2人がいないって思ってしまったのかわからねぇ。
ズキズキと痛み出す頭を抱え、俺はそのまま意識を手離した。
「僕も…負わなきゃいけないの。アイツと同じ罪を、同じ罰を。あの日から、ずっと待ってるんだ…殺してもらうのを―――」
生きることを自分から放棄する奴は、気に食わねぇ。
「許されないんだよ…僕が、"幸せ"になることなんて」
誰が決めた、んなこと。
「イヤ…此処にいて、離れていかないで………ごめんなさい、ごめんなさい…っ!」
離れねぇよ。…護るから、ずっと。
「皆、本気で心配してくれてるんだなぁっていうのがわかったからね…痛かったり、辛かったりするの…隠しちゃダメなんだって思ったの。その方が余計に心配させちゃうみたいだから。特に、姫さんは」
ようやく、前を向くようになったか。
「黒鋼さんは怪我を放っておくクセがあるんですから、ちゃんと治療しておかないと」
本心をひた隠しにする、その仮面が嫌いだった。
「もう迷わないよ。僕は―――キミ達と一緒にいたいから」
ようやく…聞けた。お前の本当の願い。
黒鋼くん…僕もキミのことが大好きだったよ
「お前は―――――誰なんだ?」
また沈み始める意識。もう少しで、何かを思い出せそうなのに…全てを闇が包みこんでいく。
名前も、顔も、声も…何一つ思い出せねぇ。あるのは愛しいという感情だけ。
どうして、知りもしない女に…こんな感情を抱いている?会ったことのないはずなのに、それなのにどうして―――
「こんなに…会いてぇんだ」