冬とも春とも言えない、中途半端な季節。暦の上では立春も過ぎたから、春なのだろうが。
何枚も重なり厚くなった紙の束から、広く取られた窓に目線を寄越し、思わずため息を漏らす。いつの間にか部屋の隅でぼんやりテレビを見ていたのぶめさんはいなくなっており、ドーナツ屋の紙ナプキンとリモコンだけが机の上に取り残されていた。それを見ている内に自分が窮屈に作った局長室から抜け出したくなり、つけっぱなしだったテレビを主電源から落とした。
「そうこうしてたら、新ちゃんと神楽ちゃんが喧嘩始めちゃってね! で、逃げてきたってワケよ!」
大きなマスクで顔の大半を隠していても、口数が減らないのは彼女らしい。そうですか、と我ながらぶっきらぼうな相槌を打つと、意にも介さず、ニコニコと目元は楽しそうだ。
平日の昼下がりだというのに街は活気に溢れていて、その活気に自分も一役買っているということに嫌気が差し始めた頃に、偶然目に入ったのがチェーン店のカフェ。窓越しの席でパソコンを広げた社会人に挟まれているのは、白夜叉の連れだ。
相変わらずダルそうにスマホを触りながら、頬杖をついている。思わず立ち止まってしまった私に気付いたのか、欠伸でもしたのか涙目のままひらひらと手を振ってきた。
そして、今に至る。二人席に移動してからというもの、何のスイッチが入ったのか彼女がずっと話している。
「異三郎さんが頼んだのって、ココア?」
「ええ、ここのはあまり甘過ぎないので」
「ふぅん、意外」
そう言いつつ、彼女はマスクを顎の下まで下げて桃色の液体を飲んだ。恐らく春限定の桜味だろう、想像通りだ。
女らしくも可愛げも無いが、どうしてだか真選組や万事屋の面々に可愛がられているようで。確か今は万事屋に居候しているんだったか、以前あやふやに伝えられた情報を引き出しながら相変わらず続く話に頷く。
私の事もしれっと下の名前で呼ぶくらいには、親しいと思っているのだろう。残念ながらそれは否定できない。職務と見廻りの隙間に彼女に会うことは多く、こうして二人で居ることも珍しくはない。きっと彼女の取り巻きは、私と会っていることを良くは思わないだろうに。再びカップを持ち上げる左手をなんとなく見て、思わず目を見張ってしまった。
「あ、気付いた? 良いでしょうこれ〜、銀ちゃんが買ってくれたの」
「……指輪をそこにはめるのがどういう意味か、知って身につけているのですか?」
「当たり前じゃん! それも教えてもらったんだから」
左手の薬指にキラリと光るのは、贈り主にそっくりな安物の銀色。得意気な顔に何と言葉をかけていいものか、一瞬迷ってしまう。
私ならもっと良い指輪を買って差し上げるのに、言いかけた言葉に顔をしかめる。
「……参りましたね、NTRは燃えないはずなのですが」
「んん? ね、ねと? 何?」
「欲しくなってしまいました、不覚にも」
あまり動かされることのない感情が指輪一つで揺れるなんて、我ながら簡単な男だ。生まれも育ちも自分には遠く及ばない得体の知らない、他人の女だというのに。呆れたように浮かんでしまった笑みに、ぱちくりと瞬くアーモンド型の瞳。気付かないようにしていたのに、本当に不覚だ。
「え? 異三郎さんもこれ欲しいの?」
「私も、というのはどういうことでしょう」
「指輪つけてたら、みんな欲しいっていうんだよね。そんなに高い奴じゃ無いんだけどなぁ。それに、異三郎さんは強いから要らないと思うし」
「…………その指輪、特別なものだったりします?」
「うん、『つけてたら怪しい奴から身を守れる』んだって」
なるほど、ようやく話が理解できた。
いわばこれは、坂田銀時による"首輪"だ。
確かに薬指に指輪をはめている女に言いよる男は少ないだろう。しかし、彼女の口ぶりから察するに、恐らく私含め様々な男から”逆に”言い寄られでもしたんだろう。その動機も動揺も、嫌という位まるまる理解できるから何とも言えない。
最も、本人は一切気付いていないようだが。
「ケチくさい男だと前から思っていましたが、ここまでとは……私ならそんなものに頼らずとも、貴女を常にお守りできますけど」
「ほんとに?」
「ええ、なんならおまじないもかけてもいいですよ。その指輪よりもうんと高価な。ただ一つ条件があります」
「な、なに……?」
「貴女の指輪を欲しいと言った人を、全員教えなさい」
「見て見て銀ちゃーん! じゃーん!」
いつもの通りソファに寝転んでテレビを眺めている銀時は、明るい居候の声に釣られて頭だけ背もたれから覗かせた。そして振りかざされている、小さいながらも重厚な箱の中で確かに銀色に光る美しい指輪を見て目を白黒させた。おかしい、確か自分が買ってやったのは、露店で売っている安物のはずだ。真ん中に、こんなにきらめくダイヤにそっくりな石なんて、ついてなかったはず。
「お、お前これ……どうやって手に入れた?」
「え? なんかね、買ってもらっちゃった!」
ただの小娘だと思ってたが、いつの間にこんなキャバ嬢並に高価な貢ぎ物を手に入れられるようになったというのか。自分の思い付きが、思わぬ方向に展開して動揺が隠せない。震える手で受け取った小箱の中で七色に光るのは、恐らく、恐らくだが本物のダイヤモンドだ。
「こ、こんなもん、どこの誰に買ってもらったんだ!! つーかお前、俺があげた指輪はどうした?」
「どうしても欲しいって言われたから、これと交換してあげた」
「誰に」
「それは銀ちゃんに言っちゃダメって約束なの」
まさか厄介払いのためにつけさせていた指輪が、本物の婚約指輪に化けるなんて。あっという間に銀時の手からひったくられた小箱を、大事そうに抱える華奢な指にはもう、自分があげたはずの指輪ははまっていなかった。空っぽだった胸の中が、怒りに染められていくのに時間はかからなかった。
「ってか、新ちゃんと神楽ちゃんどうなった? 大丈夫になった?」
「ん? おお、それなら大したことねーよ。今頃三人でマズい飯でも食ってんだろ。いつものこった」
「そっかぁ、それは良かった。これで安心して寝れそう」
今までの話をぶったぎって、疲れた〜と言いながら伸びをするコイツの頭からはきっともう指輪のことなんて抜け落ちているんだろう。改めて、コイツの恐ろしさを目の当たりにして、追求したかったあれこれが腹の底でしぼんでいくのを感じた。
まったく、情けないこった。ただ居候させているだけで、勿論それ以上の特別な関係ではない。そういう感情を持っている訳でもない……はずなんだが、何故かこいつには変に独占欲をくすぐられてしまう。年甲斐もなく、指輪をつけさせたのもそのせいだろう。
「……俺は安心できねえってんだ」
「うん? 銀ちゃん、なに? なんか言った?」
「お前、明日から女らしい格好禁止な」
「えー、なにそれ変なのー!」
おかしそうに笑いながら着替えをひっつかむ手には、いつの間にか指輪がはめてあって、空箱になった紺色も当たり前だと口を開けて笑っている気がした。うるせえばーかと消えそうな声で言いながらソファーに沈んだ俺の頭には、まだぐちゃぐちゃと名前の知らない葛藤がつまっている。家主の苦悩を知らない居候は、どうせ明日も明後日も無自覚な魅力を知らない男に振りまくのだろう。次仕事が入ったら、もうちょっとマシな指輪を買ってやろう。石はついてなくても、左手の薬指にふさわしい理由を添えて。何度目かわからないため息を吐き、明日からの犯人と仕事探しへ備え、寝室に消えた。