「ほんっっとに身に覚えはないんですね?」
「ほんとに無いです!!誓って本当!」
「も、もう良いよお妙、近藤さんも。関係無いのにごめんなさい」
あと少しで近藤さんの毛根が一部だけギブアップしまいそうになってたので、慌ててお妙の拷問に制止をかける。
せっかくのオフを消費してまで見たいシーンでは無かったのを察したのか、お妙はあっさりと手を放した。もう一度謝ろうと半分床下に体を残したまま横たわっている近藤さんの顔を見ると、思ったより幸せそうだったので、これはこれで良いと放っておくことにした。
「……近藤さんって本当に真選組の局長なの?」
「ふふ、そんな人がキャバ嬢にハマって床下でストーカーしてるなんて世も末よね」
本当に、と気合の入った相槌を打ってしまったのには勿論相応の理由がある。そんなことはどうでもいいと言わんばかりに、巷では歌舞伎町の女王とまで言われている(らしい)同僚のお妙は、すぐに話を切り替えた。その切り替えは流石としか言いようが無い。
「でも近藤さんじゃないとしたら、誰が佐々木さんと繋がってるのかしら?」
「うーん、それより、何での方が気になるけど」
悩むほどのことでは、無いのかもしれない。キャバ嬢としてはむしろ、嬉しいはずなのに。
というのも、見廻組の局長が、ある日を境に私の出勤日には必ず来店し、私を指名するだけでなく、高いお酒をどんどん買ってくれるようになったことが全ての発端だ。
おかげで、指名ランクは一気に跳ね上がるし、今まで雑な扱いしかしてこなかったボーイやマスターも何だかゴマを擦ってくる。
愛想も可愛げも胸も無いと、誰かのヘルプでしか呼ばれることのなかった落ちこぼれキャバ嬢の私が、何でこんなことになったのか。原因は勿論、佐々木さんにあるんだけど。
しかもそれだけではない。
というか、ここまでは疑問ではあるが、問題ではない。
佐々木さんには、ご贔屓ということもあって、仕事用のメールアドレスを教えていた。佐々木さんが極度のメール好きなのは、何度か話してわかっていたし、他にも本当に少数だけど、他のお客さんにアドレスを渡したこともある。
問題は、いざ来たメールが名刺に書いてある仕事用ではなく、プライベート用のアドレスに届いたということなのだ。
そこでようやく、一人の自己犠牲のおかげでランキングトップを守り続けているといっても過言ではないお妙に、相談することにしたのだ。そしてお妙は相談されるやいなや、自宅の床下からゴリラを召喚し、理不尽な拷問にかけ始めたというわけだ。
「そんな悩むことじゃないわよ。同じストーカーでもあっちはエリートだし、別に危ない事件とかに巻き込まれている訳じゃないんでしょう?」
「いや、だから怖いの。だってまず、私を選ぶメリットがないし」
「佐々木さんだって人間なんだから、損得勘定抜きで人を好きになったりもするわよ」
どうもそうとは思えないんだよなぁ。
一生懸命話しても、返事はしてくれるけど全然楽しそうじゃないし。買ってくれたお酒もあんまり飲まない。そのくせ、メールは親しげだけど、本人とのギャップが大きすぎるし……。
いつの間にか縁側に座っていたゴリラに意見を求めようとチラリと目線を向けてはみたけど、恐らく参考にならないだろう。これ以上、彼が怒られないためにとやめておいた。
いつまでもウジウジしている私に、お妙は相変わらず綺麗な笑顔を向けるから、私もこんな風に笑えたら悩まないのかなんて考えてしまう自分が自分でもどうしようもない。
「もうこうなったら聞くしかないわ」
「聞くって、誰に?」
「佐々木さんに」
「……何を?」
「何をってアンタねぇ……」
いや、分かる。分かってるの。
でも流石にそれは違うんじゃないの?
なんて相変わらず考えていると、あっという間にオフは潰れて出勤だ。出勤すれば当然、佐々木さんも来る。シミひとつない隊服で、興味無さそうな顔をして私の隣に座るのだ。
「あ、あの、ですね」
「なんでしょう? 注文はいつも通りでお願いします」
ヘルプの子がはーいと嬉しそうな声をあげる。適当にいなしているのを、隣のテーブルから目敏く見つけたお妙が気を利かせてか知らないが、よく通る声でヘルプの子を呼んだ。
角の席でお客さんと二人きりなんて初めてで、ただでさえ弱々しい決意が余計に消えそうになった、 折角の一番高い着物も、気合いのいれた化粧も、こんな時には何の役にも立たないんだなと痛感させられる。汗をかいたグラスの雫を拭き取りながら、目を伏せてしまう。なんと切り出したら良いか、わからない。お客さんの笑い声と、女の子達の楽しげな高い声が行き交う薄暗い店内で、私達2人の周りだけ、まるで隔離されたみたいに静かだ。
「今日は無理してお話ししてくれないんですね? まぁ、私にとってはどちらでもいいんですが」
「……っ」
「何か?」
「……佐々木さんには、私が無理してるように見えてたんですか? 」
相変わらずの毒舌も、今日はひときわ重く感じる。いつまで経ってもお客1人もいなせないどころか、のめり込むなんて馬鹿みたいだ。ほとほと不器用な自分が嫌になる。
「仕方ありませんよ。本来なら貴女みたいな凡人と気軽に声を交わすこともできないようなエリートですからね。萎縮や敬遠をされるのは慣れてます」
「、ごめんなさい」
無理してつくった笑顔を向けてはみたものの、相変わらずの仏頂面だ。どう返していいのかわからない。どうして、今まではちゃんとできていたはずなのに。それすらも思い上がりだったんだろうか。着物の上で動かなくなった両手が、小さく震えた。それを見てか、佐々木さんが大きめのため息を吐いた。それに我に返り、慌てていつも通り振る舞おうと口を開く。
「あ、すみません!! えっと、今日はのぶめさんは」
「もういいです」
「え……?」
「もう結構ですと言ったんですよ。想定していたよりも早かったですが、まぁ良いでしょう」
「すみません、何の話かよく……?」
私のことなど見えないように、お盆を片手に歩き回るボーイを呼び止める。それから相変わらずの抑揚のない声で「彼女がどうも具合が悪いようなので、連れて帰っても良いですか?」と尋ねる。その言葉の意味が測りきれていない私とは対照的に、ボーイは無表情な佐々木さんの顔を見てから、動揺で真っ白になった私の顔を見て、すぐに「どうぞ」と笑った。そこからは早かった。着替えも荷物も何もかもを置いたまま、いつもは見送りに立つのみの煌びやかな玄関から連れ出された。外には黒いリムジンが止まっていて、佐々木さんは迷いなくそこに乗り込んで、私の手を引いた。
どうして、こうなったの。
車窓を流れていくネオンは段々と減っていく。清潔感の溢れた車内の中で、白くないのは自分だけのように感じた。佐々木さんは口を開かない。しかし、待つしかない。きゅっと結んだ口を嘲るように、夜の底を走るリムジンは止まってはくれない。
「何も聞かないという事は、ある程度は覚悟していたようですね」
「いいえ、ただ、驚いて」
「何も聞けない、の間違いでした?」
「……はい」
どこに行くの、どうして連れ出したの。
どうして、私?
疑問は溢れて止まらない。その全部がこの恐ろしく腹の読めない男に仕組まれた事なのは分かっている。答えは与えられないんだろうか。赤信号に止まっていたエンジンが、再び加速した。
「ここまで萎縮されてしまうと、何だか悪いことしてるみたいですね」
「……すみません」
「仕方ないので、いくつか教えて差し上げましょう」
いつになく饒舌な佐々木さんと、頷くだけの私。普段と役割が逆なはずなのに、どうしてかこっちの方がしっくりとくるのは、最初から私達の間には高価なシャンパンもドンペリも必要なかったからなのか。
「私は貴女が水商売に足を突っ込むずっと前に、一度だけ会ったことがあります」
「ずっと前って……」
「覚えていないのも無理はありません。その時に名乗ったのは貴女だけでしたし、ろくに私の顔も見ていませんから」
「私から名乗ったんですか? 佐々木さんに?」
「はい、その時に連絡先も」
彼が話しているのは、一体誰の、何のことだろう? キャバクラ勤めは事業に失敗した親の借金が大変なことになってからだから、かれこれ3年になるだろうか。
3年以上前の私は、男の人とも今以上にマトモに話せない、典型的な箱入り娘だったはずだ。
いわゆる成金だった私達の家族は、そこそこ裕福な暮らしを送っていた。今となっては、どれも虚しい思い出でしかないけれど。
そんな私が見知らぬ男性に自分から名乗り、連絡先まで渡すなど有り得ない。自分のことは自分が一番分かっている。
申し訳ないですけど、と言いかけた瞬間、ある思い出がフラッシュバックする。
「……ひったくりの時の」
覚えているのは、取られていったどぎついショッキングピンクの鞄と、差し出す大きな手くらい。良い思い出では無いから、記憶から消していた。
佐々木さんがあの時の恩人だとしたら、私の印象は最悪だろう。一瞬の隙をつかれて無理矢理取られた鞄と、それごと腕を簡単に捻りあげる大柄な男性。ああ、思い出してきた。
「おや、覚えていましたか。しかし驚きましたよ。初見の態度から、男には不慣れだとばかり思ってたのですが、余程困られてるということなのか、或いは私の見当違いか……今となってはどうでもいいですけどね」
「いえ、あの時は大変な失礼を」
「普通なら一日経たずとして忘れるような事案でしたが、どうしてだか貴女の怯えた目が忘れられなかった」
きっと今の私も、同じ目をしているのだろう。鏡を見なくともわかった。彼の重たいな瞳はいつになく鋭く尖っており、口元は自然と持ち上げられていた。これ以上、説明することは無いのだろう。膝の上で俯いて押し黙っていた左の手の平が、冷たい手に攫われた。手術室のバットのように、その上で私の手はただの部分となり生きるのをやめた。
「ひとつ、思い出したんですが」
「なんでしょうか」
「……連絡先は、佐々木さんに聞かれた気がします」
「バレました? やはり嘘はつくもんじゃないですね」
悪びれもせず、そう言う薄い唇のどこまでが嘘なのかわからない。もしかしたら、今ここにいることすら、私の勝手な妄想に過ぎないのかもしれない。
「遅かれ早かれ、こうなる予定でしたから。予定を早めた理由は、貴女に警戒されて逃げられては面倒ですし、生憎待つのは好きじゃないので」
「どうして、そこまでして下さるんですか」
脈を捨てることを許さないと、私の手は簡単に冷たい手の平に閉じ込められた。ようやく聞くことができた質問に、佐々木さんが口を開こうとしてやめた。見計らったように車は停車し、窓から蜂蜜色の明かりが惜しみなく差し込まれた。目的地についたのだ。
外で待機していたボーイが扉を開けると、するりと手と手は離れた。少しだけ安堵してしまったのは、得体の知れない恐怖からの解放のせいか、それとも早くなっていく脈への動揺から目を離したいからなのか。車から恐る恐る降りた私の手を当たり前のように取ったのは、ドアを開けてくれたボーイではなかった。その後ろにそびえ立つ、名前しか知らない有名なホテルを仰ぎ見る私の耳元に用意されていた低音が注ぎ込まれる。この人は、本当にズルい。何もかもが。そう言う資格があるのは、きっと私だけだろう。
「先程の問いの答えは、ベッドで教えて差し上げます」