彼に掴まれなかった右腕がじくじくと痛む。それをわかっているとでも言うように、口元だけで笑う。ひとつしか見えない目は相変わらず、知らない色で揺らめいている。
「休憩に入る少し前に団子を二本注文した奴だ。お前の腕をやったのは」
「どうしてそのことを、貴方が知ってるんですか?」
「さァ、何でだろうな」
お盆を持つ度に痛む傷を誰にも悟られないように、包帯にくるんだ血が表へ滲まないように、気をつけていたはずなのに。出血が過ぎたせいか、甘味処を出た時に目眩がした。それを支えてくれたのは、最近フラリとあらわれる、少し変わったお客さんだった。
「あの、高杉さん」
教えてもらったばかりの名前を、おずおずと呼んでみる。男の人など上げたことのない六畳一間の私の部屋に、当たり前のように私の目の前に胡座をかいている彼もまた、当たり前のように私の名前を呼び返した。
「その怪我じゃ当分、働きには出られねェな」
「いや、そんな大した傷じゃ無いですし、平気ですよ」
「貧血で倒れかけてたのにか?」
「……その節は、大変お世話に」
「そう思ってるなら、俺と一緒に来てもらう」
昼休みに突然往来で斬りつけられ、顔しか知らない客に助けられ、共に来いと言われている。一日に起こる事件の量ではない。反射的に出かけた拒絶の言葉は、高杉さんのすかさず差し込まれた二の句に遮られる。
「次はどこを持ってかれるだろうなァ。いずれにせよ、身寄りも無いお前を守れるのは俺だけだってことは覚えときな」
「なんで知ってるんですか、私のこと……」
「知りたきゃついてこい」
沈黙が重すぎる。職場にも、この家にも未練は無い。しかし、ここですぐに返事ができるほど勇気があるわけではない。きっと、何もかも高杉さんのせいで、ここで首を横に振ってしまえば、私は。傷が包帯の下から、何度も返事を促してくる。
「ひとつ、聞きたいんですけど」
「何だ」
「どうして、私……?」
「そりゃ、お前の店の団子が美味ェからさね」
「で、でも、団子は私が作ってるわけじゃなくて!店長の奥さんが」
「まぁ恨むなら、俺に気に入られたテメェを恨みな」
高杉さんが笑った。おかしそうに笑った後で、今まで袂に入れていた右手で、私の左腕を掴んだ。どうしてだろう、斬りかかられたわけじゃないのに、痛い。きっともうここには帰れないんだろうなと思いながら見た高杉さんの後ろの窓には、ひどく甘そうな丸い月だけが浮かんでいた。