唐突に現れたと思えば、煙に巻かれたようにいなくなってしまう。
いつ、どこでも”食えない”奴だというのが初対面から今も続いているアカギへの印象だ。とはいえ、二人でしっかりとした会話をしたことは数えるほどしかなく、そこそこ長く続いている付き合いも奴の気まぐれ次第ではいつでも無に還るような、薄く浅い関係。男女としてでも友人としてでもなく、どこまでも知り合いの延長のような逢瀬が続いているどころか、他人に執着しそうにないアカギが私のことを覚えているということすら、私にとっては奇跡のように思える。
「アカギのこと、よくわかんない」
ため息まじりに一言こぼすのが、私と奴が顔を合わせたときのお決まりになったのは、一体いつからだったろう。
女の一人暮らしは、言うまでもなく寂しいもんだ。バラエティを見て笑っても一人、ドラマを見て泣いても一人。明日の仕事のために、せめて質の高い休息を取る手間すら惜しんでしまうのは、寂しさとは全く関係はないけれど。自分が女どころか、人か泥かわからなくなってしまうような最低な深夜を見計らうように、決まって奴は私の部屋を訪れる。
「あのさあ、何度も言ってるけど」
「うん、何度も聞いた」
「……まだ言ってない」
「でも、知ってる」
お世辞にも可愛いとはいえないルームウェア越しに腰をかきながら、玄関に座って靴を脱いでいるアカギの背中を見下ろす。薄い肩だ、相変わらず。さっきまで眠りの世界に旅立とうとしていたせいか、頭が重い。鍵が閉まっていることを確認して、ベッドに戻ろうと方向を変える。深夜の来訪者なんぞに手厚い歓迎は不要なはずだ。
「もう寝るの」「あたりまえ」
何時だと思ってるの、振り向きざまに時計を指差そうと構えた人差し指が、図らずして捕まってしまった。いつの間にそんな近くにいたんだ。じっとりとした目で見上げる私の眼を覗き込むようにぐっと顔を寄せてきたから、反射的に右足が一歩、後ずさった。
「寝る前に、ほうじ茶もらえる?」
「……冷蔵庫にありますけど」
「今日はずいぶんと反抗的じゃない」
私、年上なはずなんだけどな。言わなかった愚痴を腹に抱えたまま、途端に解放された人差し指を下ろす前に冷蔵庫に辿り着いてしまった。お茶のボトルを取り出した後、想定外に大きな音を立てて冷蔵庫を閉めてしまった。私の苛立ちがおかしいのかなんなのか、アカギはいつものようにクツクツと笑う。
「それは、俺のことがわからないせい?」
そういえば、今日はまだ言ってない。改めて拾われると恥ずかしい、率直すぎる疑問だ。奥の部屋は電気を消したままで、ダイニングから溢れる光を辿るようにベッドに向かう。
わかんない、というか、持ってない。アカギに対する言葉なんて、見つけられない。
グラスの中で氷が融けた音がした。アカギにも体温ってあるんだ。当たり前のようなことを今更思い返して、ついでに行き当たったさっき握られたばかりの右手首がじんわりと熱を帯びた。
「俺にとって、わからないのはアンタの方だ」
ダイニングの電気が消された。暗闇の中を、迷い無く私へと歩いてくる二本の白い足を、ベッドの縁に座ったまま探そうとした。途端に頭に、手のひらが乗った。誰の? なんて白々しく阿呆の真似が出来るほど、私は元気じゃない。わかんないのが私の方? 言葉遊びのような文字列の真意は実はひとつしか無くて、それがわからないんじゃなくて、わかりたくないのだと。手のひらの中に細々と流れる赤い血が私に諭した。そっと目を閉じる。暗闇で見えないはずなのに、女でも人でもなく、黒い輪郭でしかない私を、アカギは優しく抱きしめる。
「たった一言くれるだけで、俺はアンタのものになるって、まだわからない?」
暗闇に目が慣れるまえに、アカギの髪が窓の月を拾って微かにきらめいた。首筋にかかる吐息、肩に回された腕、確かに私に与えられたものなのに、脳がそれを拒むように痛む。この熱を待ちわびていたと言わんばかりに高鳴る浅ましい心臓を、絞め殺したくなった。
「わかりたく、ない」
息も絶え絶えに私が上げた降参の音を聞き、アカギは静かに笑みを浮かべた。月の明かりはもう陰ってしまい、残ったのは感情の無い瞳、ふたつきりだった。
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はんじろうさま「アカギ」
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理衣さま「溺愛」