「露伴先生、本気ですか」
「君には、ぼくがふざけているように見えるのかね?」
「いや、まあその、私は止めましたからね」
「フン! 君はただ、ニコニコしてればイイんだよ」
タイミングを図ったように、玄関のチャイムが元気に鳴った。露伴先生は待ってましたと言わんばかりに仕事部屋から飛び出して、訪問客を手厚く招き入れる。春休みの初日から早速呼びつけた彼には、詳細は何も話していない。「君に相談したいことがあるんだ。君の他には誰にも聞かれたくないから、ひとりでぼくの家まで来てくれないか? たのむよ」とまるで誘拐犯のような口ぶりで、必死に高校生を誘う有名マンガ家の姿は見てる分には面白かったけど、その相談が私にまつわる話なのだから他人事だと笑ってはいられない。二人の距離感をまったく知らないとは言え、彼を、広瀬康一くんを最初に呼んでしまうのはあまり良い選択ではないと思う。詳しく言及はしないけれども。2人分の足音が階段を上ってくる。いよいよだと少し緊張しながら、ゆっくり開かれた扉の先に見えた同級生に、ぎこちなく笑顔で挨拶をする。
「え? ……名字、なまえさん……? だよね………… ここで一体何して」
「いや〜〜実は、たまたま昨日、露伴先生に人魚にされちゃってね〜〜!アハハ!」
「そういうことなんだよ康一くん!」
「ど、ど、どういうことですか!? って、うわぁーーー!! なまえさん、その姿は!? ほんとに、人魚になってるじゃあないですか!!」
びっくりしてる康一くんを嬉しそうにスケッチしてる場合ですか。フォローしてくださいよ! この状況のフォローを! 心の中でツッコミつつ視線を飛ばすが、悲しい哉まったく伝わる気配がない。しかしニコニコしてろとのご命令なので、とりあえず笑顔はキープしている。この2人は、本当に先生の言うように『親友』なのだろうか。疑わしくもあるが、スケッチ中の先生に期待しても仕方ないので対応は私がすることにした。
「そ、そうなんだよ〜! ほんとに偶然人魚になっちゃったっていうか、まあぶっちゃけよくわかんない感じなんだけど! 先生がどうしても人魚になった私のこと、仲良しの康一くんに見せたいって言うからさ〜〜!」
「そ、その、大丈夫なの? 昨日はフツーに、学校来てたよね? それより、一体いつから露伴先生と知り合いに」
「電話で話した通りなんだけどね。ひとつ、君に頼みたいことがあるんだよ」
康一くんが私に聞いてきたことが、私が聞きたいこととまったく同じだった。私には驚く間も与えられず、康一くんをひと通り描き終えた露伴先生が、今度は無理やり話に加わってくる。加わったというよりは、話の腰を折ったの方が正しいけれど、この際もうどうでもいい。昨日から、我ながらだいぶ寛容になったというか、人間としての器が大きくなったような気がする。
「彼女が人魚になってしまった理由は、まあおいおい話すとして…… まあ、そんな大した話じゃあないんだけど」
そういえば、どうして康一くんを呼ぶ流れになったんだったか。昨日は色んなことがありすぎて、ひとつひとつを脳が処理しきれなかった。康一くんの名前が出た瞬間から反対することに必死になりすぎて、どうして彼に声がかかったのか。その大元を覚えていない。頼れるのは彼だけなんだと先生が叫ぶ姿は、無駄に覚えてるけど。
「君には4つ上の姉が一人いたよね。名前は確か、綾那さんだったかな。お願いっていうのは、君のお姉さんの水着をこの女……いや、名字なまえに貸してやって欲しいんだ」
「は?」
「は?」
音程の違う疑問符が、ほぼ同時に露伴先生を挟んだ。康一くんは、制服ズブ濡れ問題の解決要員だったのか。たしかにそんな流れだった、そんな話もしたし失礼なことも言われた。言い返す隙も与えられず、イラっとしたのも覚えている。
「……なんで君まで驚いてんだよ。そういう話だったろ。君に友達がいなくてかわいそうだから、この露伴が代わりに信頼のおける友人に頼んでやるって」
「いや……そうでしたけど、なんで康一くんに? 普通こういうのって女の子に…………あっ、すみませんでした」
「オイ、今、失礼なこと考えただろ」
「たしかに、露伴先生に女の子の知り合いは居ないだろうなあ……。仮に居たとしてもなまえさんがこうなったことを説明せずに、水着を借りたいってお願いするのは…………」
「こっ! 康一くんっ!」
「その通りなんだよッ! まったく、やっぱり君は最高だ! 信頼できる! 誰かとは大違いだなァ」
今ので、どうして康一くんは株が上がるんだろう。
反対に下がってしまった私の評価は置いておこう。康一くんは露伴先生と並んで水槽の前に立ったまま、「うーん」と唸った。こんなお願い、誰だって困るだろうに。実の姉の水着を借りるなんて、どんな理由をつけたって弟には無理だろう。ましてや黙って持ってくるなんて、真面目で正義感の強い康一くんには更にできそうもない。
「姉の水着を借りるのは、多分無理……です。姉も春休みなんで友達と旅行に出かけてて、家にいないんです。沖縄に行くって話だから、水着も持ってっちゃったかも。その代わり、ぼくに考えがあるんですけど」
「考え?」
「さっき露伴先生、なまえさんに水着を貸してくれる友達なんていないって言ってましたけど、そりゃあ間違いですよ。彼女は由花子さんと仲が良いんです。たしか中学からずっと友達なんですよね? だから、由花子さんに事情を説明して、借してもらえばいいじゃあないですか!」
三人の間に、否、正しくは私と露伴先生の間に重い沈黙が流れる。恐らく二人の頭の中にあったその名前だけは、昨日から一度も会話に登場することはなかった。ということは恐らく、康一くんの友人を自称する露伴先生も少なからず由花子のことは知っているのだろう。
たしかに私は由花子と仲が良い。学校でも大体一緒にいるし、周りからも二人セットのように思われている。群れることが嫌いな由花子とグループに入ってない私は、性格はまるきり違うが意外と相性が良かった。私も由花子のことは友達だと思ってるし、由花子も私のことを少なからずは友達だと思ってくれているだろう。だから、由花子には借りることはできないのだ。
「康一くん…………呼びつけておいてあれだけど、由花子には私が人魚になったこと、秘密にしてほしいのね」
「えっ? どうして?」
「どうもこうもないさ、あの女にぼくが名字なまえを人魚にしたなんてバレてみろ。命より大事な君ですら、殺しかける女だぞ? それに最近じゃあ君と居るだけで、ぼくのこと憎々しげに睨みつけてくるんだぜ?」
「た、たしかに由花子さんはちょっと危ないところもありますけど、こういう不思議なことについては普通の人より理解があります。それになまえさんのお願いなら、きっと聞いてくれるよ! 水着を貸してもらうくらい、大したことないと思うけど」
「もちろん、頼めば水着くらい貸してくれるよ。けどね、由花子に理由をつけて借りたとして、少しでも怪しいと思ったらどんな手を使っても追求する。間違いなくする、絶対に。そして本当のことがバレたら多分、露伴先生は……」
由花子は、優しいが不器用なのだ。大きな愛情をどう振り分けて周りと接すれば良いのか、分からないんだと思う。でもそれが分かるから、私は由花子を応援してるし友達でいたいとおもってる。もちろん信頼してるし、悩みだって相談することばっかりだ。けれども今回のこればっかりは、例外。まず由花子の友人である私を人魚に変えたのが、岸辺露伴なのだから。考えてみなくても、この二人の相性が絶望的に悪いのは火を見るよりも明らかで。出会って即殴り合いに発展しても、なんら不思議はない。そんな展開になるくらいなら、このままずぶ濡れの制服を着てた方がマシだ。引き攣った顔になってきた私をよそに、露伴先生が「だいたいさあ」と口を開いた。
「考えてもみろよ康一くん、女用の水着ってのは下着みたいなもんで、要するにサイズが何種類もあるだろ? どう見たって山岸由花子の水着をこいつに着せるってのは、ちょっと可哀想なんじゃあないか?」
「ろ、露伴先生、」
「名字なまえのスリーサイズは真ん中以外、中学生女子の平均にも足りてないんだぜ? それをよりによって山岸由花子と比べるなんて、そんなヒドイ男だったのかい君」
「露伴先生!!」
「ム? どうした康一くん」
「その……なまえさんが、今まで見たことない顔になってます…………一刻も早く謝ってください…………!!」
「ぼくが? 謝るってったって、何を謝ればいいんだ? どちらかというと、貧相な体つきのこいつがぼくに謝るべきじゃあないか?」
「なまえさんごめんなさい! ぼく、由花子さんに絶対!言いませんから! 失礼します!」
「あっ! 康一くん!…………帰ってしまった。やれやれ、彼はまったく何をそんなに焦っていたんだ。仕方ない、彼の姉の水着は諦めるとするか。名案だと思ったんだがなァ。ところで君は、なんだってバケツなんか振り上げてるんだ?」
この後、水着は普通に通信販売で買ってもらいました。言わずもがな、露伴先生の全額負担で。