ほたるこい


大学から少し遠く、あまり人通りのない路地裏にひっそりと佇む喫茶店。知る人ぞ知る、という言葉が頭に付くようなその場所は、同年代のきらきらしたざわめきからほど遠く、のんびりと読書をするのにぴったりでお気に入りの店である。マスターが淹れてくれるコーヒーもさることながらフレンチトーストがまた絶品で、甘すぎない絶妙な砂糖の具合がたまらない。
その日もいつものごとくコーヒーとフレンチトーストを目の前に、人がいないからと甘えて1人で4人掛けのテーブルを占領していた。常に変わらない甘くてふわふわの食感を噛み締めていると、唐突に通路から声をかけられたのだった。

「もしかして、まき・・・?」
「・・・え?」
「うっわー、俺おれ!勘右衛門!500年ぶりだなぁ!」
「・・・・・・は?」
「・・・ん?」

人懐こい笑顔を困惑へと変え、そのあと平謝りしてきた彼――尾浜勘右衛門との出会いは、今から約半年前の出来事である。



  *:;;;:*:;;;:*



「それにしてもあの時はビビったよ。急に知らない人が声かけてくるんだもん」
「いや〜ごめんごめん、ウケると思ってさ〜」
「新手のナンパかと思ったよ」
「もういいじゃん!あのあと飲み物奢ったので手を打っただろ?」
「・・・そういうのは奢られた側が言う台詞です〜」

えー?と文句を垂れる尾浜くんを意に介さず、コーヒーを一口飲んだ。うん、今日も美味しい。
半年前のファーストコンタクトにドン引きした私だが、直後の「あんまりからかうんじゃないよ、尾浜くん」というマスターの一言が、彼がこの喫茶店の常連でありマスターとも懇意にしていることを示しており、怪しい人間じゃないのだとわかって胸をなでおろしたのは記憶に新しい。さらにその一瞬を彼に見抜かれたのか、目の前に座られ、あろうことかコーヒーを頼んでいたのである。こちらをにこにこと見つめながら。
その後もこの喫茶店で何度も顔を合わせれば、お互いに同級生であるとか、彼はこの近くの大学に通っているだとか、私と同じで甘いものが好きであるとか、彼が意外とまともな人間であるとか、まあ、いやでもわかるわけで。
特に、甘いもの好きという共通点にはお互いとても食いついた。こうして会う約束をして、カフェ巡りを定期的に開催する程度には。

「まきちゃんや、今日はどこに行くのかね?」
「勘ちゃんや、今日はちょっと歩いて和風スイーツだよ」
「おっ、いいねぇ!」

早く行こう、とコーヒーを飲み干して2人して喫茶店を出る。15分ほど歩くが、程よく暖かいこの気候では苦にはならない。
他愛もなくお互いの大学生活についてぽつぽつと話しながら歩む。サークルの優柔不断な友達や、動物に好かれまくる友達、豆腐料理に並々ならぬ情熱を注ぐ友達など、一癖ありそうな彼の友人の話はいつ聞いても面白い。

「でもその・・・兵助くん?よくもまあそんなに豆腐ばっか食べれるね・・・」
「兵助は昔っから豆腐命だったからなぁ。今さら驚くも何もないよ」
「それでも自家製豆腐ってなんかもう色々と域を超えてない?」
「ははは!確かに!・・・っと、危ない」

ひゅ、と腕を掴まれて尾浜くんに引き寄せられる。たった3cmのヒールでよろめいて彼に手をついてしまうが、それくらいではびくともしなくて、細くとも男の人なんだと顔が熱くなった。

「ったく、こんな端っこをバイクが走んなよなー。ごめん、大丈夫だった?」
「う、うん・・・ありがと」
「お、まきちゃんが言ってたお店、ここじゃん?」

入ろー、と腕を離してにこにこと扉をくぐる尾浜くんは、何事もなかったかのようにさっさと進んでしまった。
最初に声をかけてきたのはそっちだったくせに、今では私ばかりが意識している気がする。くそう、と小さく呟いて彼の後を追いかけた。



  *:;;;:*:;;;:*



2人とも授業のない平日に来たためか、店内は特に混み合っていなかった。
尾浜くんはメニューとにらめっこしながら和風パフェを選んでいた。私はこの店を選んだ時からクリームあんみつを頼むと心に決めている。

「まきちゃんさぁ、本っ当にあんみつ好きだよね」
「うん、大好き。こんなにシンプルなのになんでこんなに美味しいんだろうねぇ・・・」

尾浜くんの言う通り、私はあんみつに目がない。あんみつがメニューにあろうものなら、何はともあれまずあんみつを選ぶ。どんなに美味しそうなケーキがあろうともきれいなパフェが並んでいようともとにかくあんみつである。あんこと寒天とお団子にあまーい蜜をかけただけのシンプルかつ洗練された甘みが大好きなのだ。そこにフルーツやクリームを添えた日には天国である。後はただただあんこが好きって理由もあるけれど。

「尾浜くんはなんでも食べるよね?」
「まあね〜。パフェ好きだけど、俺もあんことか和風の甘味が好きだな」
「和菓子いいよね、あんこの甘さってほっとしない?」
「わかる!ほっとするし、何か、帰ってきた〜って感じがする」
「何それ」

ふふ、と思わず笑えば、尾浜くんは存外真面目な顔で見返してきた。帰ってきたというか懐かしいというか、郷愁に駆られるっていうの?と言い返されたので、そんなに歳とってませんよと笑い返した。

「歳とか関係なく!は〜あ、まきちゃんには日本人の心ってもんがないのですかそうですか」
「れっきとした日本人ですけど〜。懐かしいとか言ってる尾浜くんこそ年齢詐欺ってるんじゃないのー?」
「ひっでーなぁ」

言葉と裏腹にけたけた笑う彼は、その表情通り楽しそうである。楽しいだけでなく嬉しいと思ってくれないかな、と余計な感情を隅に追いやる。これでなかなか尾浜くんは鋭いので、うっかり表情に出さないように注意しないといけない。
努力が実ったのか、特に何か突っ込まれることもなく無事にスイーツが運ばれてきた。私が頼んだクリームあんみつは、季節によってフルーツが変わるため飽きることなく一年中楽しめるこのお店の看板商品だ。さっそく一口、と手前のミカン・寒天・バニラアイスをまとめてすくう。かかっている黒蜜がまたたまらない。

「んー、おいし〜」

喫茶店のフレンチトーストよろしく味を噛み締めていれば、目の前の尾浜くんがじっとこちらを見つめていた。・・・自分で言うのもなんだけど、優しいまなざしと嬉しそうな口元に、思わずときめいてしまったのは内緒である。

「・・・相変わらず、あんみつ好きだねェ」
「え?」
「んーん、なんでもない!俺にも一口!」

パフェスプーンをこちらに伸ばしてくるので、取りやすいようにと器を出してあげる。じゃあ交換ね、と尾浜くんも自身のパフェをこちらへ寄せてきた。抹茶アイスときな粉と黒蜜が全部かかってる一番美味しいところを遠慮なくすくう。うん、美味しい。上に刺さってるのはウエハースじゃなくて最中だった。さすがに取らなかったけど。
再び自分のあんみつが手元に戻って来てしばらく味を楽しんでいれば、尾浜くんがスマホを取り出した。次回は何を食べに行こうか相談したいらしい。目の前のスイーツすら完食していないのに・・・と考えてはいけない。いつものことである。

「ここと、ここと・・・、ここだったら、まきちゃんどこがいい?」
「えーどれも美味しそう・・・でもこっちかな、パンケーキ食べたいかも」
「パンケーキな。俺さ、しょっぱいやつ食べてみたいんだよね」
「あれだ、カリカリのベーコンとバターのっけて、メープルかけるの。美味しいよ」
「え、結局メープルかけんの?甘くない?」
「甘じょっぱいのがクセになるの!」



  *:;;;:*:;;;:*



次回の日取りを決めて、今回はお店の前で解散となった。勘右衛門は駅までまきを送るつもりだったが、寄るところがあるから大丈夫と断られてしまったのである。そう言われては仕方がないので、駅から向かう予定だった友人の家を目指すことにした。意外と店から近く、あっけなく着いたその玄関を遠慮なしに開ける。あらかじめ行く事を伝えておいたため、鍵はかかっていない。

「おっじゃましまーす」
「おー。早いじゃん勘右衛門」
「向こうが用事あるからって店の前で解散してきた。・・・なあ三郎、」
「んー?」

こちらに一瞥もくれずスマホで何かを見ている三郎は、聞いてるんだか聞いてないんだかわからないテンションで返事だけくれた。

「まきってさ、本当に俺達のこと覚えてないんだよな・・・」
「何をいまさら。というか私に聞くな、こっちでは面識ないんだから」
「うーん」
「・・・まきに会う度にそれを私に言うけどな、覚えててほしかったのか?」

そう聞かれると返答に困る。確かにあの時代では同じ学園で切磋琢磨した仲(忍たまとくのたまで授業が同じことはあまりなかったが、同級生のよしみではその認識で間違いない)ではあるが、特に親しかったわけでもないし、卒業後に連絡を取り合ったこともない。なんなら彼女は地元の商家の後継と結婚していた。俺が入り込む隙なんてなかったし、結婚したと知って素直に祝いの言葉が浮かんだ事もよく覚えている。
“隙”とか“よく覚えている”とか訳の分からない感想に眉をひそめると、相変わらずスマホから視線を外さずに三郎が口を開いた。

「勘右衛門はどうしたいんだよ」
「どうしたい・・・んだろうな?」
「・・・・・・聞くな、私に」
「えー?でもとりあえずパンケーキ食いに行きたいな〜約束したし」

ふんふふん、と鼻歌交じりに約束した店のサイトを眺めていると、視界の端で三郎が顔を上げたのが見えた。片手にはひらひらと何か紙束をつまんでいる。よく見ると俺が休んだ授業のプリントで、そういえばそれを取りにこいつの家に来たんだったと当初の目的を思い出した。

「これ、いるんだろ?」
「いる!いるいる!いります欲しいです神様仏様鉢屋三郎様!!」
「へーへー」

三郎からプリントを受け取りテーブルの上に置いてあったノートも勝手に開いて、自分のバッグから筆記用具を取り出した。ノートを書き写さんと準備をしていれば、三郎がおもむろに立ち上がって玄関へと向かった。

「ちょっと電話してくる」
「ほーい」

ちゃちゃっと終わらせて、この前から読ませてもらってる漫画の続きを借りなければ。



  *:;;;:*:;;;:*



一方玄関の外へ出た三郎は、勘右衛門へ宣言した通り電話をかけていた。相手は3コールで出る。どうやら電話をかけることは事前に約束していたらしい。

『もしもーし。勘右衛門、なんだって?』
「さっきメッセージ送ったろ?だんまりだよ」
『そっちじゃなくてもう1個の方!』
「あぁ・・・パンケーキ食いに行きたいってさ。次の約束なんだろ?」
『なるほどパンケーキメインかぁ〜・・・もう一押しかな・・・』
「さてねぇ」

あれは一押しどころか無自覚にもう落ちてると思うけどな、とは言わずに三郎は沈黙を貫いた。彼女にそこまで教えてやる義理はない。
まだ電話口でもだもだと呟いてる彼女に、三郎はため息で注意をひく。

「こんだけ協力した見返りはもちろん期待していいんだよな?」
『うちの大学のミスコン準グランプリが友達なので期待して待ちなさい』
「へえ・・・やるじゃないか」
『いやいや三郎にはこれでも足りないくらいの恩があるからね。勘右衛門の行きつけのあの喫茶店も、相変わらず甘味好きなことも、忍術学園の同級生がみんなそっちにいることも教えてもらったし?』
「あの喫茶店いいだろ?私もたまに行くが、フレンチトーストが特にいい」
『おっしゃる通りで全くもって最高のお店でございますので合コン楽しみにお待ちください鉢屋様』
「苦しゅうない」

ニヤリと口の端を上げたところで、中から勘右衛門の声が響いた。ノートを写し終わったのか、前回三郎の家で読んでいた漫画の続きを催促してるらしい。三郎はそれに漫画の場所を叫ぶことで返した。ぼちぼち密談は終了だ。

『じゃあまた何かあれば。・・・“前”からほんとお世話になります、三郎』
「何をいまさら。この私が協力してるんだ、結果出せよ、まき」

通話を切った三郎は一息つく。狙った獲物を確実に捕え、与えられた忍務を完遂する・・・彼女は前世で優秀なくのたまだった。今世でも変わらぬその狡猾で隙のない振る舞いに狙われた獲物は、もはや彼女の術中から逃れる方法はない。

(勘右衛門よ・・・・・・ご愁傷さま)

三郎は玄関に向かって合掌してからドアを開けた。呑気に漫画を読んでいる友人にほんの少し同情しながら。



2020.07.10.

- 1 -

*前次#


ページ:




短編表紙
TOP