「お手伝いさん、私ね、好きな人が出来たの」
この家に家政婦として仕えて半年、お嬢様はだいぶ心を開いたようで、ガールズトークをするまでなった。
「同じ学校の方ですか?」
お嬢様はエスカレーター式のいわゆるお金持ち学校に通っている。質のいいワンピースをひらりと翻して笑った。
「同級生とか子どもでしょ。もっと大人の男の人」
私が知っているとなれば範囲は限られてしまう。お嬢様の交友関係はほぼ知らないに等しい。この家に出入りするのは旦那様くらいだ。分かるわけがない。
「特別に教えてあげる。ママの愛人よ」
奥様の愛人……。予想外の回答に言葉を失う。お嬢様の年頃では年上の男性に憧れる事も分からなくはない。しかし、よりにもよって母親の愛人とは。
「ご馳走様。今度教えてね。年上の男の口説き方」
綺麗に飲み干されたカップとソーサーを片付ける。後は夕飯の支度をして今日の仕事は終わりだ。奥様もそろそろ休憩されるだろうか。それを確かめてから支度を始めるとしよう。
奥様の部屋の前で、違和感を感じた。叫び声の様な悲痛な声が聞こえる。何かあったんじゃなかろうかと駆け付けると扉が少し空いていた。
「奥様、大丈夫で……」
扉の隙間から見えた光景に絶句した。奥様が旦那様以外の男と身体を重ねている。この人がお嬢様の言っていた愛人なのだろうか。顔は見えないけれど、鍛え上げられた身体は美しい。見てはいけないものを見てしまった。二人に気付かれる前にこの場を去ろうと、静かに急いで部屋をあとにした。
「はぁ…」
先程から溜息しか出ない。お嬢様はあの人に恋をしているのだろう。アドバイスなんて出来るのだろうか。いや、無理だ。あまりにも衝撃的で明日から不安でしかない。
「うまい飯を作るのはあんただったのか」
急に横からかけられた声に驚き、握っていたジャガイモを床に落とした。ごろんと情けない音が響く。ゆっくり振り向くと上裸の男が立っていた。今まさに、悩んでいた人物が。
こちらに気にすること無く冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、がぶがぶと飲み始める。身体しか見ていなかったが、顔も整っていて美しい。
「ほい」
落としていたジャガイモは、いつの間にか男の手の中にある。
「ありがとうございます」
差し出されたジャガイモを受け取ると男は微笑んだ。ぽんぽんと頭に感じる優しい衝撃に撫でられているのだと気が付いた。
新しいミネラルウォーターを握って、奥様の部屋に戻るであろう後ろ姿を、何も言えず見つめることしか出来なかった。
♢♢♢
「聞いて、ガキは興味ないって言われたの」
私の知らないうちにお嬢様は、例の男に接触していたようで、軽くあしらわれた事に不貞腐れていた。
「いつの間に……」
「この間、ママが留守の時に偶然来ててね、その時に。お手伝いさんは買い出しに行ってたんじゃないかな」
それなら気付くわけもない。あの男に少しでも常識が合ってよかったと安堵する。母親と十代の娘まで手を出していると知った時には、私はもうここでは働く事は出来ないだろう。
「それにしても格好良かったな。ママが貢ぐのもわかる気がする。私もお金積めばチャンスないかしら」
諦める事を知らないのか、更に燃えている気がする。これは完璧に奥様の血を色濃く引いているのだろう。
ふと、お嬢様の肩に何か乗っているように見えて目を凝らした。魑魅魍魎のような、この世のものではないような、小さな化け物が見えた気がした。
「どうしたの?」
ごしごしと目を擦ってみても、瞬きをしてみても、先程見えた化け物は居なかった。
「いえ、気のせいでした」
「今日はもう上がったら?お手伝いさん疲れてるのよ。私からママに言ってあげるから」
「ありがとうございます。でも、きちんと働きますよ」
ティータイムの準備も終わり、後は奥様と旦那様が揃うのみとなった。
フィナンシェも綺麗に焼きあがっている。
「呼んでくるわね」
久々の家族水入らずのティータイムを始めるべく、お嬢様は旦那様と奥様を呼びに部屋をあとにした。
屋敷中に叫び声が響き渡った。きっと今の声はお嬢様だ。何かあったのだと急いで声のした方に向かう。
お嬢様の部屋でもなく、奥様の部屋でもない。扉が開いている旦那様の書斎に勢い良く入った。
「ひっ……」
辺りは血に塗れていた。奥様だったであろう人と、原型を留めていないものが視界に入る。膝は震えガチガチと歯が鳴る。びちゃりと音のする方を見ると、化け物と目が合った。身体の力が一気に抜けその場に座り込んだ。
「お嬢様……」
化け物の足元には、先程まで元気だったはずのお嬢様が転がっている。この状況に頭が回らない。化け物がにやりと笑った気がした。この場から動けるわけもなく、ゆっくりと寄ってくる化け物に為す術もない。この訳の分からない化け物に惨殺されて終わるのだ。恐怖で霞む視界の中、何故かあの男の笑顔が脳裏に浮かんだ。
「たすけて……」
勢い良く窓ガラスが砕け散る。音と共に化け物は壁を抜け、隣の部屋で肉片へと変化していた。
もう頭の回転が追いつかず、思考回路はショートしている。
ただ分かるのは死に際に思い浮かべた人物が目の前に居るということだけだ。
「あんた、俺と来るか?」
目線を合わせるようにしゃがみ込んだ男に、抱き着くようにしがみついた。背中に回された腕と体温を感じて、先程とは別の意味で視界が霞む。
「お願いします」
この胸の高鳴りは恐怖か、はたまた別の感情なのか、今はどうでもいい。
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