この人よく来る人だと意識したのは少し前だった。ぱりっとスーツを格好良く着こなした彼はいつものようにカスクートを持ってきた。

「お疲れですか。顔色がよくありませんね」

客と店員の立場で必要以上に会話をすることはしないのだけれど、この人は特別だ。世間話も彼となら楽しいと思える。

「そう見えますか」

目の下にはうっすら隈も浮かんでいる。

「はい。栄養のあるものと十分な睡眠を取ってくださいね。パンを買ってくださるのは大変有り難いですけれど」

お気に入りだと言ってくれたパンを袋に詰めると、彼は優しく微笑んだ気がした。

「もし、よろしければ」

ストックの栄養ドリンクを棚から取り出してカウンターに置くと、彼は不思議そうな顔でドリンクと私を交互に見た。

「これは?」

「私の常備しているドリンクです。美味しくないですけど効いてる気がします」

人参と強調されたドリンクは、普通のドリンクより美味しくない。泥のような漢方のような独特の味がする。

「良薬口に苦しですね。ありがたくいただきます」

初めて見た笑顔は想像以上で、整った容姿が心臓に悪い。美しいのは罪だと苦笑した。
 
♢♢♢

「七海健人……」

入力した番号を発信することが出来ず、削除する。時間のある時に連絡していいと言われても、向こうの都合も気になり出来ない。
メモの字は走り書きでも綺麗で、彼らしい。目鼻立ちがはっきりしているからハーフだと思っていたけれど、違ったのだろうか。今度来店したら聞いてみようか。仕事の楽しみがまた一つ増えた。

会話を楽しみにしていたけれど、メモを貰ってから七海は一ヶ月過ぎても来店する事はなかった。お元気ですか、うちのパン飽きましたか、と聞くにも聞けず入力した七海の番号を消す。電話帳に登録していない番号は、大切に手帳に保管している。取り出す度に七海の字を眺め、思い出にふける。入力しては消してを繰り返し、メモを見なくても番号を入力してしまえそうだ。
七海は何をしているのだろうか。元気に過ごしていると良いのだけれど、彼が気になって仕方ない。
この感情には名前がある。けれど今はそれに気付かないふりをする。もしかしたら妻子持ちの可能性もあるが、心の癒しとして彼に思いを寄せるくらいは許されるのではないだろうか。
明日に備え、メモを大切に仕舞い布団に入る。瞼を閉じれば綺麗な笑顔。明日は会えるだろうか、ささやかな期待を抱いて眠りに着いた。

「お久しぶりです」

久々に見た顔は相変わらず疲れているようだ。むしろ、前より悪化している気もする。

「お久しぶりです。やつれている気がしますが大丈夫ですか」

「なぜ連絡してこないんですか」

質問の返事とは違う問いかけに一瞬、戸惑う。

「あの、体調は」

「あなたから連絡が来るのを待っていました。ドリンクのお礼にご飯でもと思っていたのですが、なかなか連絡が来ないので」

こちらに伸びてきた手はカスクートを飛び越えて私の手を掴んだ。まるでエスコートされるかのように、カウンターからフロアへ飛び出した。

「な、七海さん」

急に恥ずかしくなった。繋がれたままの手から、ばくばくと胸の鼓動が伝わるのではと不安になる。

「今夜どうですか」

「その、私でよければ」

返事に満足したのか七海は頭を優しく撫で、カスクートの袋を握る。

「連絡待ってます」

心臓が口から飛び出すんじゃなかろうか。一連の流れで心臓はフル稼働。そろそろ過労死するかもしれない。期待してしまいそうになる自分に言い聞かせる。まだ分からないと。

「カスクートの人と先輩がくっ付いたら私は嬉しいです」

一部始終見ていた後輩は、楽しそうに笑った。

「結婚しても店は辞めないでくださいね」

「落ち着いて」


応援してくれる可愛い後輩の為にも、全力で恋愛してみようか。
久々に恋愛特集の雑誌買ってみようと思った夕暮れ時、閉店時間まで後輩のマシンガントークは続いた。




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