「誰に抱かれたのですか」

じりっと後退りをすると背後に壁を感じた。鋭い目つきの七海の声は冷たく、その威圧感から背筋がひやりと凍える。

「昨日は五条さんと話をしていましたよね。まさか彼ですか」

抱かれただとか、五条だとか、七海が怒っている理由も分からない。静かに怒りの炎を燃やす瞳から逃げられるわけもなく、どうしていいものかと戸惑う。

「何を言ってるの?」

ドンと顔の横に伸びてきた腕にびくりと身体が跳ねた。壁と綺麗な顔に挟まれ、先程とは違う意味で心臓がどくりと跳ねる。

「何を惚けているのですか」

惚けるも何も分からないものは分からないのだ。いつもの様に任務をこなした七海を回収する為に現場に向かった。停車した場所へ先導していたらこれだ。それに、五条とはたわいもない世間話をしただけだ。それと身体を重ねる事に繋がるのが謎でしかない。

「ほら、言いなさい」

耳元で感じる七海の声は程よい低音で身体に響く。恋人の様な距離だと自覚した時には顔に熱が集まるのが分かった。どうか赤面していませんように。今だけはポーカーフェイスを貫ける自信がない。
身体はこわばり、ジャケットの裾をぎゅっと両手で握る。
そんな事は気にも止めず空いている手がするりと頬を撫で、ゆっくりと七海と対面させられる。こんな距離は今までに無い。背の高い七海の顔をこんなに間近で拝む事も、まるでキスしてしまいそうな距離も、何もかも心臓に悪い。かあっと耳が熱くなるのが分かり、もう無理だと白旗をあげてしまいたい。

「なっ……」

発した声は音にならず、七海と呼ぶ前に私の唇は彼に塞がれた。キスしていると理解した時には、唇をぬるりと割って侵入する舌に口内を犯されている。
七海とキスをしている。恋人同士でもないのに。入念に絡まる舌から逃れようともがいても逃さないと更に激しく絡め取られ、今度は距離を取ろうと厚い胸板を押してもびくりともしない。
こんな形でしたくなかった。密かに想いを寄せていた七海と、こんな形で繋がりたくなかった。
息継ぎもさせない激しいキスに意識がぼやけ、身体の力が奪われる。もやもやと霞む視界は、きっと泣いているのだろう。この涙は悲哀か快楽か。

「そうやって瞳を潤ませ男を誘うのですか」

私を支配していた唇の紡いだ言葉は、ぐさりと心を貫いた。それなのになぜ七海が傷付いた顔をしているのか。

「七海とこんな風に繋がりたくなかった」

いつか言える日が来ればと温めていた感情は、虚しく散った。それでも嫌いになる事は無いのだろうけれど。

「他の男に取られるくらいなら、最初から……」 

今にも泣きそうな顔をして、髪を撫でる七海の手は少し震えている。その姿を見て、無性に抱き締めたくなった。しかし、気になる点がある。

「他の男って?」

「痕を残す独占欲の強い男が居るのでしょう」

痕とは何だ。独占欲も何だ。身に覚えのない話に頭の中をフル稼働してみても、何一つヒットしない。

「首に、痕が」

黙りこくる私に諭すように七海は口を開いた。痕があるであろう場所を七海の指がするりと撫でた。うなじ付近にある痕は、自分では確認できない。もちろん、そのような行為はしていないし、痕にも見覚えがない。

「かゆい……」

痕を自覚してから途端に痒みが襲う。これはまるで……。優しく爪を立てると痒みは緩和されたものの、ぷくりと痕は主張した。

「虫刺され?」

ぽりぽりと掻いていると『傷になります』と七海にやんわりと止められた。その顔はとても気まずそうにしている。

「その、ぶん殴って下さい」

七海を殴れるわけがない。

「状況が理解できないの。全部話して欲しいな」

明後日の方を向き、ぽつぽつと七海は話し出した。

「貴女が痕なんて付けてくるものですから……」

もしかしてもしかするとと期待してしまう。目を合わせてくれない姿も、ほんのり色付く耳も、全てに釘付けになる。

「ですから、暴走した私をぶん殴って下さい」

視線を合わせ屈む七海に、平手でも拳でもない違うものをお見舞いしたらどうなるだろうか。

「いくよ」

ゆっくり瞳を閉じた七海の頬に両手を伸ばした。唇まであと5センチメートル。



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