すぐ死ぬ女
まただ。また助けられなかった。名前は死んだ。名前も知らない男に憂さ晴らしとして拐われ、殴られ、犯された。静かに眠る名前は見るも無惨な姿だ。そう認識した途端、強烈な嗚咽が喉に突き上げて来るのを感じた。
それをぐっと押し殺し部屋を後に歩き出す。通い慣れたはずの道のりが、ひどく長く感じる。名前の家のすぐ側、思い出が多すぎるこの公園で立ち止まった。彼はここにきっと居るはずだ。
「居るんだろ。にゃん丸」
みゃあと小さい声で鳴き、草陰から毛艶の良い漆黒に金色の瞳をした猫だった。名前はにゃん丸。名前が溺愛している猫だ。
「また守れなかった…すまない…」
抱き抱えるとぺろりと頬を舐められた。その時初めて自分が涙を流している事に気が付いた。やはり、何度目だろうと辛いものは辛い。彼女の死を実感する度に心が壊れそうになる。しかし、立ち止まっている暇は無い。やるべき事は山ほどあるのだ。半ば強引に気持ちを切り替えた事に気付いたのか、にゃん丸はじっと目を合わせ、俺の鼻へと自分のそれを押し付けた。
行ってくる。次こそは必ず。
♢
「じゃあ、また来るね」
ひらひらと手を振る綺麗に脱色した髪の女は、どこか懐かしい雰囲気だ。玄関のドアが閉まるのを確認してから歩き出す後ろ姿をじっと見ていた。
彼女は名前で間違いないと青宗は確信した。それと同時に、この世界の彼女は今までと毛色が違うとも感じた。
「名前」
呼ばれて振り返る彼女の髪の毛は揺れ、髪の隙間から大振りなピアスが輝くのが見える。
「せーちゃん?さっきまで赤音と話してたんだ」
変わらない笑顔で微笑む名前が居る。ちゃんと生きている。何も言わず、ただただ見つめる青宗に名前は少し話そうよと近所の公園へと誘った。
「なんか名前らしくない」
ミルクティーの様に綺麗に脱色した髪の毛、派手な化粧に長い爪。極め付けは右手に握られた煙草である。慣れた手つきでジッポで火を付ける姿に胸がちくりと痛んだ。
「そうかな?」
そのピアスも、煙草も教えたのは男だろう。一生残る形で名前に自分を残す男に怒りとも言えぬ形容し難い感情が湧く。
微かに香るバニラの香りが癪に触り、ゆらゆらと煙を上げるの手からソレを奪い取った。
「あ、せーちゃんは小学生だからダメだよ」
お前だって高校生だろうが。と言ってしまいたかった。奪い取った煙草を見様見真似で口へ運ぶ。息をする様に吸うと苦い煙が口内を犯した。
「あーあ、大丈夫?」
背中をさする手の心地良さとは真逆に、げほげほと咳が止まらない。甘そうな香りがしていたが、ただ苦いだけだ。苦くて苦しい。こんな物を何で名前は吸っているのか。
「返して」
するりと抜き取られた煙草は名前の手の中に戻っていた。ソレはゆっくり色の着いた名前の唇へと吸い寄せられていく。ふーっと吐き出される煙は変わらずどこか甘い香りがした。
「間接キスだね」
人の気も知らないでこの女は…と頭が痛くなる。
通知音が響く携帯をポケットから取り出すと、ふやけた顔で返事を返す姿も追い討ちだ。
「彼氏が呼んでるから行かなきゃ。せーちゃんも早く帰ろ」
促され、言葉のままに帰るんじゃなかった。他の男の元へ行かせるんじゃなかった。引き止めてその男と別れろと言えばよかった。
この日、名前は浮気相手の女に刺されて死んだ。
♢
アラーム1分前に目が覚めた。カーテンの隙間から差し込む朝日が眩しい。
顔を洗おうと鏡に移る自分の顔に違和感を覚えた。火傷の跡が無い。そして今までと比べると時が経っている。身長も伸び、身体もしっかりしている。成人している。
机の上のスケジュール帳をパラパラめくると○○商事入社式と書いてあった。どうやら社会人らしい。初日からサボるわけにはいかない。クローゼットからスーツを引っ張り出し、急いで着替えた。
お疲れ様ですと飛び交う言葉をBGMに自分のデスクを探す。ぽい机を探すも見つからず悩んでいると背後から声がした。
「君、襟が曲がってるよ。ちょっと失礼」
襟元を弄られる感覚よりも早く、その声に身体が反応した。捕まえた細い手首をぐいっと引き寄せた。
「えっ…」
目を見開き驚く彼女は間違いなく名前だ。この世界の彼女はスーツを着こなし、髪の毛を緩く巻き、綺麗に大人になっている。
「急に触られたら嫌だよね。ごめんなさい…えっと、初めまして」
辿々しく挨拶をする彼女はどうやら自分の上司になるらしい。反射的に掴んだ手を謝罪と共に離すと、少し気まずそうな顔をした。そんな顔をさせたいわけではないのに。
「私ね、占い師に言われたんだけど、前世で男絡みで7回も死んでるんだって。凄いよね。あ、笑っていいよ。ここ笑うとこ。こんな先輩だけど宜しくね」
ふにゃりとした顔はあの頃と変わらない。胸の奥から懐かしさが込み上げる。気を抜くと泣いてしまいそうな気がした。
「それは大変ですね。今世でも気を付けないといけませんね」
「そうだね。相手は慎重に選ばないといけないね」
ちらりと覗き見た名前の左手を飾るものは無い。言葉そのままの意味で捉えれば、今世はまだ誰のものでもないのだろう。
「じゃあ俺、立候補していいですか?死んでも守る自信あるんで」
「死んだら困るよ…あまり年上をからかわないでくれるかな」
とりあえず連絡先交換からと差し出されたスマホに、一瞬見えた黒猫は間違いなくにゃん丸だ。俺もアイツもよく耐えた。高級な差し入れでも持って、ついでに俺もお前の飼い主になると宣言しておこう。
「俺、本気ですから」
遠慮も我慢も何もかも無視して全力でいく。他の男を見る暇さえ与えるつもりはない。こんな感情を抱いている事を知る由もない彼女は頬を染め、眉を下げて笑った。