軍人たちの悲憤
「軍人は忠節を尽くすを本分とすべし。軍人は礼儀を正しくすべし。軍人は武勇を貴ぶべし。軍人は信義を重んじるべし。軍人は質素を旨とすべし」「軍人たるもの、世論に惑わされず、政治に関わることなく、おのれの本分をただ忠実にこなすべし。義務は山より重く、死は羽毛より軽いと覚悟せよ」
片手を胸に当てながら鶴見中尉が諳んじているのは『軍人勅諭』の随所だ。軍隊に所属してから何度も教え込まれたそれが如何に素晴らしいものであるかを説くかのように
わざわざ口に出したことに違和感を覚えたが、それ自体への驚きはなかった。それは普段から異質な空気を纏っている鶴見中尉が相手だったからだろう。しかし、それ以上に『軍人勅諭』を体現している者が少ないことを知っていたからに違いない。
「私が思うに……軍隊にとって最も必要なものは、貴様のような存在だ」
「武器を持てば猛々しく敵を薙ぎ払い、見る者に鼓舞や畏怖を与える。権力に囚われず、決して深入りはせず、弱き者を守り、ときに自らが犠牲になることも厭わない」
親が子供に語って聞かせるような生温い洗脳にも似た口調で褒めそやす鶴見中尉は、穏やかな表情を浮かべながらも琺瑯製の額当てから覗く瞳をぎらつかせた。そうかと思えば今度は「まさに軍人の鑑だな」という皮肉を織り交ぜて、僕の肩に乗せた手を労うように動かす。そのちぐはぐな様子は鶴見中尉らしからぬ失態とも、鶴見中尉らしい対極性とも言い表すことが出来るが、どちらにせよ真意は定かではない。その不安定さも相俟ってか、生温く重たい圧迫感が冷たい空気に混ざって言い表しようのない不快感があった。
「だが、どれほど立派な性質を備えていようと聞く耳を持たない貴様は獣以下である。それに加え、記憶の混濁、幻聴、不眠、喘息といった障害まで抱えているとなれば上層部が『除隊させろ』と責付くのは当然だ」
「今度ばかりは誰が嘆願したところで相手にされないだろう」
「そして、貴様の信奉者たちが血書だけで引き下がるとも思えん」
あれはいつのことだったか。「結果に目を向けるあまり根本の問題に気付かないようでは本末転倒であり、反逆の種を見過ごしているのと同義ではないのですか」と猪又伍長に問い掛けたことがある。その結果として複数人による体罰の意味を持たない暴力を浴びせられた時、
僕を担ぎ上げる者たちに対しても同じことが言える。「僕に関わるな」と再三忠告しても無視する間抜けばかりだが、おかげで事無きを得た場面も多く、だからこそ互いに利用する関係を保ってきた。しかし勝手に「僕のため」と称して無駄に命を投げ捨てるのであれば、その先は僕の与かり知るところではない。にもかかわらず、鶴見中尉は何かを期待するように僕の目を覗き込んでくるのだから厭わしい。
「精神を磨り減らし、命を賭して戦った我々への仕打ちがこれでは……あまりにも救いがないと思わんか?」
「相浦維重 二等卒」
僕の耳朶を噛まんとする距離まで唇を近付けられたせいか、名前を呼ばれた途端に気味の悪さが体中を駆け巡った。それが不満だったとはいえ「俺にどうしろと言うんですか」と聞き返した声に怪訝な色が混ざってしまったことは反省すべきだろう。こういった小さな綻びでも破綻に繋がる可能性は捨て切れない。相手が鶴見中尉であれば尚更だ。
「追い詰められた者が選ぶ道の先には、必ず次の犠牲者が居る」
「この悲しみの連鎖を断ち切るために私と共に戦ってほしい」
奇行が目に付く鶴見中尉だが、やはり情報将校は伊達じゃないと再認識した。
確かに、造反者を集めるには今が絶好の機会だろう。第七師団が冷遇されてからというもの以前にも増して不穏な空気が漂っているのは明らかであり、誰の顔にも鬱屈とした感情が深く刻まれ、無理矢理に飲み下してきたそれがいつ爆発するのか本人も理解していないような危うさがある。
死を前にした鼠は猫や狸にすら噛み付いて抗うのだから、追い詰められた人間を集め、同じ人間に歯向かわせることは容易いはずだ。勿論、有象無象を纏め上げるだけの力があればの話だが。
「兵士の士気を下げ、その命を食い潰すだけの上層部にはもううんざりだ」
「仲間であるはずの戦友に扱き使われ、下士卒の憂さ晴らしに殴られる環境のせいで違反者が出るのではない。無能な指導者に付き従っているからそうなるのだと、奴らに知らしめてやろう」
反乱を唆しておきながら、なかなかどうして
「貴様の本当の望みを叶えてやれるのは私だけだ」という囁きが聞こえたと同時に、僅かに視界が揺れた。僕の何を知った上での発言なのか、それを聞いた僕がどんな顔をしていたのかは分からない。ただ、僕を見下す鶴見中尉の表情に差した
