私は『本』が好きだ。飽き性のクセに、その趣味だけは昔から変わらない。
とはいっても、私がよく読むものは『マンガ』であって、一部の読書家からすれば嘲笑の対象になるのかもしれないけれど。それでも「『マンガ』だって立派な『本』だ」という認識を変えるつもりはない。
小説や専門書のように小難しくもなく、それでいて豊富な知識や役立つ知恵が散らばっていて。ページをめくるだけで、どんどんと話が進展していく。そしてそこにはいつも、時間を忘れさせるほどの『ドキドキ』と『ワクワク』が詰まっている。
それらを体験している登場人物を見ていると、自分もその世界や登場人物の一員のように思えるから好きだった。

「……あこがれるなぁ」

それは無意識に漏れ出た言葉で、だからこそ私の心情の全てなんだと思う。「羨ましい」なんて簡単な気持ちじゃない。それこそ喉から手が出るような感覚で、強く、恋焦がれている。
それほどの強い恋心は、あっという間にページを飲み込んでいって――やる事がなくなってしまった親指の感覚で、スッと現実に引き戻された。そこにあるのは魔法などのファンタジー溢れる世界ではなく、文明の利器に塗れた現実的な世界で。「ピコピコ」と鳴る電子音がまた、それを助長していた。
そんな電子音に混ざって「え? 何がっスか?」と、上の空ながらも絶妙なタイミングで問い掛けが返ってきた事は、少しばかり意外だったけれど。

「ついつい『もし魔法が使えたら、』って、考えちゃうんだ。そういう時って、あるでしょ?」
「はあ……まぁ、あるかも? しれないです――うおっ、あぶね!」
「……このやろう」

ソファの前に座り込んでいる人物の脳は、相変わらずテレビゲームの事しか考えられないらしい。人の家に遊びに来ておきながら、家主そっちのけでゲームに没頭して数十分は経つというのに。
その態度に少しだけ腹が立った私は、冗談めかしながらも「先輩の言う事が聞けないのか」と言うつもりでいた。それなのにテレビ画面に映っているキャラクターの動きに合わせて、肩や頭を動かす後ろ姿を見ていたら微笑ましくなって――いつも通り、そんな気は失せてしまった。

「あッ! ゲーム、オーバー……」
「あらま。惜しかったねぇ」
「くっそー、やっとあそこまでいけたのになああ……!」
「まっ、せっかくだし気分転換も兼ねて休憩しよーよ。なんか持ってくるからさ」

返ってきたのは何とも言えない呻き声だけだったけれど、それだけで充分だった。何故なら『ご自慢のヘアスタイルを掻き毟りそうになっている時の仗助くんは放っておくに限る』から。
親同士の付き合いの延長線とはいえ、私達は子供の頃から一緒に遊んでいる。そうして過ごしていく中で、私なりの最適な距離感を導き出したつもりだ。だから今回も、数年単位の裏付けがされた結果に従う事に対して、なんの違和感もなかった。
強いて違和感を感じた事と言えば、リビングに戻った時に見えた「私の読んでいたマンガを読んでいる仗助くんの姿」だった。

「……」

とはいえ、それは一瞬で。
今まで勧めても興味が無さそうな反応しかしなかったというのに、自らの意思でマンガを手に取っているなんて珍しい事もあるもんだ、という程度の本当に些細なものだった。寧ろ、それ以上に驚きや喜びの方が強かったせいで気にする事が出来なかったのかもしれない。
両腕に抱えて来たジュースやクッキーの箱を差し出すのも忘れて「興味あるなら貸してあげよっか?」と聞いた私とは裏腹に、仗助くんは何処か煮え切らない態度だった。

「いーや。興味ってほどでもねぇけどよぉ……こういうの、よく読んでるなぁと思って」
「だって魔法に満ちた異世界だよ? 行ってみたいじゃん。きっと毎日が楽しいだろうし」
「そりゃあ、急に知らねー世界に飛ばされたら退屈とは無縁かもなぁ……でも、先輩は怖くないんスか?」
「んー、全然。回復魔法があるんだから、何かあってもすぐに治せるじゃん」

そんなのは全部、私の妄想だ。心の奥底では「そんな甘いものじゃない」と思っていたし、それが現実になったとしたら怖くて何も出来ない筈だと分かっていた。それでも「手に入らないものだからこそ余計に手に入れてみたい」という思いが強まってしまうのは、私の性なんだろう。
「こことは違う世界なら、こんな私にもチャンスがあるかもしれない」――なんて。
稚拙過ぎる妄想と、現実逃避をしたい一心で、口から出まかせを言ってしまった。そして、その勢いを止める事も出来なかった。

「それにさ。例え死んじゃっても魔法で簡単に生き返らせられるし、――!」

息を呑んだ音が自分の喉から漏れたんだと気付いた時には、もう遅かった。それでも、両手で口を押えずにはいられなかった。
頭から氷水をかけられたような感覚がして、けれど全身の毛穴からは汗が噴き出していて。加害者のくせに、被害者のように震えた声で「ごめんね」と謝る事しか出来なくて。仗助くんのおじいさんが亡くなったと知らされた時の、何かを思い詰めたような――何処か遠い場所に行ってしまいそうな、決意に満ちた表情を忘れた訳じゃないのに。
普段通りの声で「大丈夫っスよ」と言われても、それが余計に怖くて。とてもじゃないけれど、顔を見る事なんて出来なかった。

「ねぇ、なまえ〜? お茶のおかわり持って来てぇ?」

普段であれば面倒臭いと感じる筈のお母さんの声は、まさに天の助けだった。
2階から聞こえた声に「分かったぁ」と返事をしながら、ソファから離れる時に見えた仗助くんの後ろ姿からは――少しだけ遠い存在になってしまったような距離感を感じて、なんだか寂しかったけれど。
でも、私の頭を冷やす為には丁度良かったんだとも思えた。

私達は子供の頃からの付き合いではあるけれど、蓋を開けてみれば何のことはない。ただ、親同士の付き合いで一緒に過ごす事が多かっただけ。その証拠に、仗助くんはいつもテレビゲームをやりたがった。周りの音が聞こえないくらい夢中になって遊ぶ仗助くんの後ろ姿と、その向こうにあるテレビ画面を見ている事は苦痛じゃなかったけれど。
とはいえ、もっと一緒に遊びたかったし、もっと仲良くなりたいとも思っていた。でも「恋人になりたい」と考えていた訳ではなくて。私はただ、一番近くに居た仗助くんに認めて欲しかった。

『母さんたちが仲が良いから、それでよく家にあそびに行くんだ』――

私達の関係を聞かれて、そう答えた小学生の頃の仗助くんに「友達だよ」と言って欲しかった。ただ、それだけ。
私という存在を何とか認めさせたくて、足掻き続けて。『親同士の付き合いの付き添い』から進展出来るかもしれないと舞い上がってしまった結果がこれでは、心だって折れたくもなる。

「仗助はねぇ……あれで結構、奥手なのよ。変に融通の利かないトコもあるけどさ、呆れないでやってね」

あわよくば、2階のテラスで優雅にお茶を飲んでいたお母さん達に混ざってしまおうと考えていた。けれど、朋子さんに手を振って見送られてしまった手前、何も言えなかった。そればかりか、最後に朋子さんが言った言葉の意味も分からなくて。重たい気持ちのまま、曖昧に笑って返してしまった。
だからこそ「ガラスのティーポッドを持っている」という理由以上の足取りで、時間を稼ぐつもりだったのに。

ふと、ガラスの割れる音がして。気が付けば、私の視界はいつも以上に低くなっていて。
階段から落ちたんだと実感した時でも、真っ先に「今だって魔法があれば全部、無かった事に出来るのに」と考えてしまう私には、やはりこの世界は合っていないのだろう。でもきっと、マンガのような世界に行ったとしても私は、名前すらないモブになる筈だ。読者の印象に残りもしないで、呆気なく死んでしまう役の一人に違いない。
そう思ったら、何もかもが怖くなった。
誰かがバタバタと走る音と「ちょっと、大丈夫!?」と騒ぐお母さん達の声を聞きながら、条件反射且つ冷静に「大丈夫、大丈夫」と答えている私は、他人のようで。逃げ出したい気持ちがそうさせるままに、思わず目を閉じた。

……だからこそ、分かったのかもしれない。
一瞬だったけれど、何か暖かいものが私の背中を撫でたような感覚がした。
それは奇妙で――でも、すごく優しくて。そして何故か、仗助くんの事が頭に浮かんだ。

「大丈夫っスか? どっか、痛むトコは?」

そうしたら当の本人が私の目の前に屈み込んでいたものだから、咄嗟に首を縦と横に振って返す事しか出来なかった。ただ不思議と、本当に何処も痛くはなかった。更に不思議な事に、ガラスのティーポットも割れていなかったらしい。ガラスが割れた音や衝撃を間近で感じた筈なのに、だ。

「大丈夫、だけど。なんか……いつもとは違う感じがする」
「気のせいじゃないっスか? オレにはいつもと同じように見えるけど」

「強く頭を打った所為で混乱しているのかも」だとか「これは本当は夢かもしれない」と思う方が自然だとすら感じるような違和感があるのに、そう感じているのはどうやら私だけらしい。ただでさえ混乱している私の頭を物理的に掻き乱してくる4本の手によって、思考までもが遮られたばかりか、私の髪はタンブルウィード(西部劇なんかでよく転がってるあの草)と化した。
「気を付けなさいよね」「ほんと、怪我がなくて良かった」と心配つつも笑いながら階段を上っていく犯人達とは違って、髪を手櫛で梳いていた私を馬鹿にするどころか「オレので良ければ、どーぞ」と学ランのポケットから櫛を取り出してくれた優しい仗助くんには感謝してもしきれない。

「なぁ、先輩」
「……ん?」
「そんなに退屈ならよぉ、これからは一緒にゲームやりましょーよ」

脈絡もなく告げられた言葉の意味が分からずに仗助くんを見上げたら、いつの間にか伸びて来ていた手が私の髪を撫でた。「ここ、まだ跳ねてるぜ」なんて言いながら。
それを妙に重苦しい雰囲気で言うものだから、必然的に「意味が分からないよ」と笑って誤魔化した。

「魔法なんかなくても――オレらの居る世界もおもしれーんだってトコ、見せますよ」

そう言いながら笑い返してくれた仗助くんは、物語の主人公のようだった。「これが『マンガ』なら、きっと『ニッ』というオノマトペがついているに違いない」と思えるくらいに、とても頼もしく見えたんだ。


』目線の19ページ
(この1話だけは、私の為に描かれていた)


私は『本』が好きだ。
そこにはいつも、時間を忘れさせるほどの『ドキドキ』と『ワクワク』が詰まっているから。
それらを体験している登場人物の多くが言葉を失っているのは、きっとこういう理由なんだね。