『あまり積極的な性格ではない』と評価される事の多い私には「似合ってるね」と言われる趣味がある。 それは絵を描く事だ。
何歳の頃から描き始めたのかはよく覚えていないけれど、成人もして「大人です」と言える年齢になった今でも描き続けているんだから、少なくとも数十年単位で続けている計算になる。 しかも小、中、高と全て美術部に入っていて、挙句にはそれを仕事にまで選んでしまったくらいだから――学生時代につけられた『お絵描きバカ』なんてアダ名は、強ち間違いではなかったらしい。

このエピソードを聞いた他人は大体「すごい」だとか「立派」だとか褒めてくれるけれど、私が絵を描き続けてきた理由は、決して胸を張って言えるようなものじゃあない。それを裏付けるように、尋ねてきた人の反応はどれも『ああ、可哀想な子なんだな』という目をしていた。
でも、今はもう、違う。
この胸の内にある新しい理由・・・・・は誰にも言うつもりはない。その理由をくれた彼の事も。


彼に出会ったのは高校生のときだ。
当時の私は所謂スランプで、何を描いても納得出来なかった。それなのにコンクールが近いという事が尚更に私を焦らせて、ずっとイライラしていた。
悩みに悩んで(ヤケになったとも言えるけれど)『いっそ今までに描いた事の無いものを描けばいい』と題材探しも兼ねて、いつもより何時間も前に家を出た。
そんな日だった。

「ちょっと尋ねたい事があるんだが――」

画材を広げている背中に聞こえた声は明らかに私に向けられていた。人通りが殆ど無い中でのその出来事に良くない予感がして、不安から筆を強く握り締めた。おずおずと振り返れば見慣れない学生服の人物が立っていて、そんな彼の見た目が不良らしくなかった事で少しだけ不安は消えた。
ただ、丁寧な物言いではあったけれど続く言葉は『良いだろうか?』ではなく『構わないな?』と言い出しそうな雰囲気に、静かに息を呑んだのだ。

「空条承太郎、という人物について教えて欲しい」

私の予想に反して、斜め上を突き抜けていく質問だった。あまりにも漠然としすぎている内容に戸惑ってつい「え、えぇっと……?」なんて言ってしまった事まで覚えている。
「昨日転校してきたばかりなんだ」と付け足した彼に「ああ」と妙な納得を覚えた事も。

「超がつく程の有名人」と言っても過言ではない彼の事は勿論知っている。が、それは同じクラスだからだ。「同じクラスだから」それなりに見掛けるし、「同じクラスだから」彼を目当てに集まって来た女子達の噂話がやたらと聞こえて来る、というだけ。
私個人の意識では彼を目で追った事すら無い。だって、全く興味が無いのだから。

「君が受けた印象で良い。性格、クセ、嫌いなもの……どんな些細な事でも構わない」

せっかく具体的な事を言ってもらえたというのに、私は再び困惑した。まるで犯人を暴こうとする刑事のような質問に多少の訝しさも感じた。それは瞬く間に伝わってしまったようで、彼はサクランボのピアスを揺らしながら「ヘンに思うかも知れないけど、やはり男としては気になるんでね」と続けた。

『男として』なんて言われてしまったら、私にはもう「そうなんですね」としか返しようがない。男ではない私には、そういう性別特有の感情や思考までは気が回らない。今のように言われたなら『そうなのか』と思う事は出来るけども、その共感は所詮、上辺だけでしかないものだ。

ともあれ。
「他人に興味が無いので分かりません」と本音を言って、いつものように突き放してしまうのは簡単だった。
なのに何故か――彼の目を見ていると、そうするのは間違っている・・・・・・気がして、私は必死に言葉を考えたのだ。

「彼とは……空条くんとは話した事すら無いので、正確な事は分かりません。でも、多分、そんなに悪い人ではないんだと思います」
「そう思う根拠は?」
「よく『病院送りにした』と噂されている人は……少なくとも、私が聞いた事がある相手は、不良だけなので」

しかしそれはあくまでも噂であって、事実を確かめた訳じゃあない。その所為で妙に回りくどい言い方になってしまった事が気持ち悪かったけれど、分からない事まで断言してしまうのはもっと嫌だった。
直ぐに「役に立てなくてすみません」と続けたのは、それについての謝罪と『だからさようなら』の意味も込めて、この会話を締め括るつもりだったからなのだが――

「つまり、空条承太郎は物語でいうところの主人公・・・なわけか」
「――!」

つい見上げてしまった先にある彼の表情は、さっきとは違ってとても寂しげに見えた。
「ぼくとは大違いだな」という儚い声が聞こえてきた、気がした。

体の奥底から湧き上がってくる妙な興奮を受けて唖然としている私に、彼は「ぼくにも描かせてくれないか」と手付かずのキャンバスを指差して言った。
それに辿々しくも快諾して、直ぐに席を明け渡してから『今なら良いものが描ける気がする』という根拠の無い自信とやる気に駆られて、私は新しいキャンバスを取りに家へと走ったのだ。

登校時間になって賑わってしまった人の波を掻き分けながら戻って来た私が見たのは、草の上に投げ捨てられ、左足に赤い線を引かれた「空条承太郎の人物画」だった。

それを見た時に確信したのだ、「彼は私と同じ人種・・・・だ」と。誰と居ようと何をしていようと『自分はひとりなんだ』という感覚から逃げ続ける為に孤独を選んだ私が――そんな私が描き続けてきた絵と、よく似ていたから。
彼とは性別が違うけれど、それでも痛いほどに分かるという事は、この感情は性別特有のものではないと知って深く安堵した。


あの日。彼と出会って、私は変わった。
風景画しか描かなかった私が人物画をよく描くようになったのは、そうしたらコンクールで優勝出来たから、ではない。人の顔を見分ける為に、ちゃんと区別出来るように。
全ては、彼を探す為に始めた事だ。
彼とは、転校初日に会ったきりだった。更には家出までしてしまったようで、彼のご両親が何度も学校に来ていたらしい。

そこにある彼の絵だって、本当はご両親に渡すべきなのかもしれない。そうしたら少しは、心の拠り所になったかもしれない。だけど、私は黙っていた。だってこれを渡してしまえば。
私はまた、ひとりになってしまう気がしたから。




 るい色の しい 絵画



ふいに寂しくなって、アトリエの奥に足を進める。そこにある、布を被せられたイーゼルとキャンバスは、その足元に添えられた画材だって当時のままで、一度も使っていない。
ゆっくりと布を退かして、剥離してしまったキャンバスにそっと、触れてみた。
ボロボロと剥がれ落ちて情けない姿になっていくのに、それでも描かれた空条くんは――記憶の中に居るあの日の彼よりも、凛と立っていた。


2019.10.17 (サイト移転に伴い、手直し:2022.05.26)
まちこ様へ捧ぐ  あとがき