密偵

「おはよう、龍臣!」
「おはよう、京華さん。随分テンション高いね」
「だって、すっごくワクワクする!何だろう、小さい頃に遊園地行く前の日の夜みたいな感じ。ずっと全身がぞわぞわしてるの」

白いダッフルコートに赤いタータンチェックのマフラーを巻いて、京華は学ランに黒いダッフルコートを羽織った龍臣と連れ立って鳳凰を模した巨大な飛行船から下船した。2人の後から、他の鳳凰生も銘々に防寒対策を施してぞろぞろと着いてきている。最も、雪女の血を受け継ぐ京華には寒さなんて関係ないのだけれど。
日本では中々見られない一面に降り積もった雪の中を、点々と足跡を付けながらホグワーツに向かって歩いていく。銀世界の中に聳え立つホグワーツの古城は、さながらおとぎ話の世界のようだった。
正面玄関に着くと、鳳凰生はきちんと足元の雪を落とし、絹江の後に続いてマフラーやコートを脱ぎながら朝食を取りに大広間へ向かった。

「わあ、すごい!」

京華は大広間の飾り付けに目を見張った。生きた蝙蝠が、魔法のかかった天井(京華は上を見過ぎてこけそうになり、龍臣に注意された)の周りを飛び回っていたし、何百というくり抜き南瓜があちこちの隅でいかにもな感じで笑っていた。日本ではあまりハロウィーンを祝う習慣は無いが、とても楽しげな雰囲気だ。
ハッフルパフのテーブルに向かった龍臣に一言断りを入れると、京華はグリフィンドールのテーブルに並んで座っている3人の肩を叩いた。

「ハーイ、ハリー、ロン、ハーマイオニー!おはよう!」

ハリーもハーマイオニーも「おはよう」と挨拶を返し、ロンに至っては顔を赤くしてむせ込んだ挙句、やっとのことで「おはよう」とぼそぼそ言った。

「京華さんはもうゴブレットに名前を入れた?」
「ううん、まだよ。朝食を食べたら、鳳凰生は順番に入れることになってるんだ」
「そうなのね。頑張って!あなたが選ばれるといいな!」

京華は微笑んでお礼を言うと、美しい髪を靡かせて足早にハッフルパフのテーブルへ──龍臣の隣へ──戻った。

「友達?」
「うん。夏休みにワールドカップの会場で会ったんだ……あ、」京華は申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんね、誘えなくって……。チケットが足りなかったの、」
「いや、良いんだよ」

龍臣は微笑みながら首を横に振った。

「楽しめたみたいで良かった」

京華もほっとしたように微笑み、朝食を皿に取り分けた。

京華が『魔女かぼちゃジュース』という美味しいジュースをゴブレットから飲み干すと、セドリックが肩を叩いた。

「やあ!」セドリックは朗らかに言った。
「おはよう!」
「おはよう、セドリック」龍臣の目線を読み取り、京華は続けた。
「龍臣、こちらはセドリック・ディゴリー君。セドリックともワールドカップの会場で会ったの。セドリック、こちらは濱田龍臣。私の幼馴染みよ」
「初めまして」

龍臣は流暢な英語で語りかけた。

「初めまして。よろしく、タツオミ」
「こちらこそ、セドリック」
「セドリックは、ゴブレットに名前を入れた?」
「ああ、昨日の晩に。2人は?」
「私たちはこれから。朝食の後に鳳凰生で順番に入れるの」
「そうなんだ。じゃあ──」

セドリックは片手を差し出した。

「──もしもライバルになったら、その時はよろしく頼むよ」
「もちろん!正々堂々と行こうね」

セドリックは2人と握手すると、アレンと共に席に着いた。
間もなくして、朝食を食べ終えた絹江が鳳凰生の座っている辺りに現れた。

「さあ、皆もう食べ終わったかしら?」

絹江は穏やかに、見る物を安心させるように微笑んでいた。

「それじゃあ、行きましょうか。皆さんちゃんと紙は持ちましたね?」

15人がやや緊張気味な声で返事を返すと、大広間の視線が一気に集まった。
絹江と京華を先頭に、鳳凰生は2列になって炎のゴブレットまでの短い道のりを進んだ。
ゴブレットのある玄関ホールの周りには、きっと誰が名乗りを挙げるか気になるのだろう、ホグワーツの生徒がちらほらと見えた。
絹江は鳳凰生をゴブレットの前に並ばせ、京華に目配せした。

「では、まず生徒会長のあなたから」
「はい」

京華は1度深呼吸をすると、セーラー服諸共ニットの袖をぐっと両肘までまくり上げ、ポケットから折り畳んだメモを取り出すと、落ち着いた様子でゴブレットの周囲半径3メートルに引かれた白い線を踏み越えた。そして腕を伸ばし、青白い炎の中にメモを投じた。炎は一瞬赤く染まって火花を散らし、再び青白い輝きに戻った。
京華は、年齢線から出て次に名前を入れる龍臣とすれ違う時に「頑張って!」と耳元で囁いた。
その後、順番に年齢線の中へ入り、メモを投げ入れ、再び出るということを繰り返して、鳳凰生15名がゴブレットに名前を入れ終えた。

「よろしい」絹江が威厳たっぷりに言った。
「今日は夕方の代表選手発表の時間まで自由とします。折角異国の魔法学校に来たんですから、校内をちょっと歩いてみたり、他の学校の生徒さん達と交流を図るのも良いでしょう。但し、羽目を外しすぎないように。では、解散!」

パンパン、と絹江が手を叩くと、鳳凰生はその場から離れて興味深そうにホグワーツの中を歩き出した。

「京華ちゃん」

セドリックかあの3人に時間があれば龍臣とホグワーツを案内してもらおうと思っていた京華は、絹江に呼び止められて振り返った。

「何?お祖母ちゃん」

絹江の呼び方が変わったのを聞いて、自分も少し気を緩めながら絹江に問いかける。

「ちょっと時間あるかしら?──『例の件』でアルバスと話したいの」
「うん、いいよ」

ごめんなさいね、と絹江は眉を下げてから、京華と連れ立って再び大広間へ入った。

「アルバス?」
「おお、キヌエ!キョウカさんも。お時間を取らせてすまんのう。この話が終わったら、ぜひ儂にホグワーツを案内させていただきたい。色々と聞きたいこともあるのでな」

そう言ってウィンクしたダンブルドアを見て、京華は目を丸くした。まさか、アルバス・ダンブルドア自ら、ホグワーツを案内してくれるというのか?私に?
だが、絹江の目つきが真剣な輝きを帯びたのを見て、京華は1度その嬉しすぎる考えは頭の隅に置き、自分も鳳凰生ではなく、優秀な『くノ一』としての顔になった。

「『ゴキブリゴソゴソ豆板』」

何だか耳を塞ぎたくなるような言葉を言うと、ダンブルドアの前のガーゴイル像に命が吹き込まれた。まさかこれが合言葉だとでも言うのか?いや、まさか。…………え、まじで?
螺旋状のエスカレーターのようになっている石造りの階段に足を乗せると、それは3人を上へ上へと運んでいった。
どこまで行くんだ、まさかもう校長室は通り過ぎたんじゃあるまいな、と京華が心配になり始めたその時、ようやく扉が姿を現した。グリフィンというヨーロッパの魔法生物を模したノッカーがついた木の扉を開け、ダンブルドアは二人に中へ入るよう促した。
会釈をして中へ入り、2人は事務机の前に置かれた(恐らく来客用と思われる)ソファに腰掛けた。ダンブルドアはその向かいのソファに座り、杖を降って紅茶と、美味しそうな焼きたての茶菓子、更に何故かレモン・キャンデーを出した。『ガンプの元素変容の法則』の5つの例外の1つである食べ物も出してしまう辺り、やはりこの人は凄い。ウィンクなんてされるからすっかり忘れていた。

ダンブルドアが紅茶を飲むよう奨めて、紅茶のカップ2杯と茶菓子3個分、3人は談笑した。日本の魔法のこと。ホグワーツのこと。陰陽道のこと。英国魔法界のこと。
ティーカップに3杯目の熱いダージリンが満たされると、静かな沈黙が三人を包んだ。

「さて。興味深いことも色々聞けたことじゃし、詳しいことはまた後で伺うことにして──」

言いながらダンブルドアが京華を見て微笑んだので、京華は照れながらも微笑み返した。この数十分の間で、ダンブルドアとはかなり打ち解けることが出来た、と、思う。少なくとも言葉を交わす度に一々興奮で顔を紅くしない程度には。

「──もちろんお二人をここへお招きしたのは、昨年お話した例の件についてじゃ」

ダンブルドアの顔が、たちまち大魔法使いのそれになった。

「まだ代表選手すら選ばれておらぬが、それでも現時点でのお2人の考えをお聞きしたくての」

京華は絹江と顔を見合わせた。絹江の視線に促されるようにして京華は前に向き直ると、こほんと軽く咳払いをした。

「これは私の──というか、私と祖母の考えですが」

京華はそう前置きした。

「私たちは既に、ヴォルデモートの手先がホグワーツに潜り込んでいると考えています。今年は相手側にとって運が良すぎる。何せ衆目の関心は三大魔法学校対抗試合に逸らされ、外部から大量の人間がホグワーツにやって来るんですから。例えば、魔法省の人間。例えば、ダームストラングの教師と生徒。例えば、競技の準備のためにやって来る人々。そして例えば──」

京華は臆することなくきっぱりと言い切った。

「──新しく着任した教師」

京華はそこで一呼吸置いた。

「今のところ、私、祖母、他の鳳凰生は容疑者から除いて大丈夫です。鳳凰はまやかしや妖術の類いには強い学校ですし、現時点で誰も『気』に異変は見られませんから。更に、祖母の話ではクラウチさん、バグマンさん、カルカロフさん、ダンブルドアさんもです。突飛な考えかもしれませんが……」

京華はやや心配そうにダンブルドアを見たが、ダンブルドアは目を瞑って首を振った。

「いや、いや、そんなことはない。警戒は余念なく行った方がよいと、儂も考えておるでの」

京華は安心したような顔をしかけたが、すぐに表情を引き締めた。

「問題なのは」京華は深刻そうな顔で言った。
「デス・イーター……死喰い人が、誰かに化けてホグワーツへ潜り込んでいた場合です。先ほど言った『気』の変化は、私や祖母が元々彼らの『気』を知っていたからこそ判断出来たんです。ですが、例えばポリジュース薬などを使ってホグワーツの生徒や魔法省の人間の誰かに化けられていると、私たちはそれを見分けることが出来ません。見てくれは変わっていても、魔法には魂なども大きく関わりがあります。単純に体が変わっただけでは、魔力や『気』の質は変わらない。でも私たちは、それを知る術が無いんです」

京華は僅かに悔しそうに眉を下げた。

「何故なら、私も祖母も、その人が持つ『気』を知らないから──その人の『気』が、果たして本人のものなのか、それともその人に化けた別の誰かのものなのか、見分けがつかないんです」

申し訳ありません、と京華は頭を下げた。

「頭を上げなさい、ミス・ツチミカド」

ダンブルドアは静かに言った。

「お2人のお考えはよく分かった。とても有意義な意見を聞くことが出来た……。儂の方からも、警戒を怠らぬよう心掛けよう。お2人にこの話をして良かったと、心底思っておるよ」

京華は嬉しそうに目を輝かせた。英国魔法界最強の男に頼られて(というには少し語弊があるかもしれないが)嬉しくない訳がない。

「私の式神を……使い魔のような者をハリー君に着けさせることもできますが?そうすれば私たちは彼の状況を把握しやすいし、危険が迫れば直ぐに分かります」
「おお、そんな手があったとは!是非ともお願いしたい。有難い申し出じゃ」

ダンブルドアは立ち上がりながら微笑んだ。半月眼鏡の奥で、あの天色の瞳が輝いた。
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