ある日の昼食時、クラムを追いかけ回していたセドリックと同級生の女の子達がカバンにサインをしてくれとセドリックにねだっているのを遠目に見つめていた京華は、女の子達が立ち去ると背中にそう声をかけた。
「見てたんなら、助けてくれれば良かったのに……」
「ごめんなさい。だって面白かったんだもの」
京華はくすくすと笑いながらセドリックの隣に腰掛け、オムライスの盛られた皿を引き寄せた。これは日本人が洋食を想像してつくった料理であるために分類としては和食にカテゴライズされるのだが、少し味が濃いぐらいでまあまあよく出来ていた。卵がとろとろなのが嬉しい。
「そう言う君だって、この前一緒に写真を撮ってくれってねだられていたじゃないか」
「え、」京華は耳を紅くした。
「見てたの!?」
「面白かったからね」
ニヤ、と笑ったセドリックは、京華が食べているオムライスを自分も皿によそい、スプーンで口に運んだ。(「うん、美味しいね」)
「次って何の授業だったっけ」
「次は僕達と一緒なのかい?」
「うん、そうだよ」
ホグワーツに来ている鳳凰生は、決められた時間に教室を借りて鳳凰での授業を受け、それが終わると基本ハッフルパフの6年生と一緒の授業を受けている。だが、6年生の授業を受けているのは大体進捗状況が同じというだけであるため、時に4年生の変身術を受講したり、7年生の呪文学を受けたりしているのだ。そこの辺りは割と融通が利くようになっている。
「次はー……あ、変身術だ」
「ほんと?やった、楽しみ!」
「好きなのかい?」
「だって、あのミネルバ・マクゴナガルに教えてもらえるなんて贅沢にも程があるでしょう?数少ない動物もどきで、先生の名前はこっちの教科書にも載ってるぐらいなんだから。こうしちゃいられない、早く図書館に行って予習しなくちゃ!」
「じゃあ、僕も付き合うよ」
「なら早く行こう!」
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「杖調べ?」
「うん」
後日、昼食にサンドイッチを食べていた京華は絹江に今日の用事を言伝られた。彼女の蝶の式神(式神は呼び出した人物によって姿かたちが変わる。ちなみに絹江の蝶は絹のように美しい白銀で、京華は黒に竜胆色の模様がついている)が突然ふわふわと現れたかと思うと、たちまち1枚の紙切れに姿を変えたのだ。そこには絹江の達筆な字で「今日は『杖調べ』の儀式があります。形式的なものではあるけれど、代表選手の杖に異常が無いかどうかを調べるためのものです。2時半に玄関ホール横の教室でありますから、遅れないように」と書いてあった。横で共にサンドイッチを頬張っていた龍臣は、サンドイッチを飲み込んで口の中を空にしてから何のことかと聞き返した。
「この大会をやる前には必ず行われているんだって」
かぼちゃジュースをゴブレットから喉に流し込んで、京華は言った。何でも、審査員立会いの元で杖の専門家を1人呼び、競技において最も重要な武器である杖に異常が無いかをチェックするらしい。大層な名前ではあるが、要は杖の点検だ。
「どうしよう、4年生の魔法薬学って受けたことないのに……。丁度杖調べの時間と被ってる」
「別に1回ぐらい良いんじゃない?それに4年生でしょ?京華さん、そこら辺はもう2年ぐらい前に済ませてるじゃないか」
「いや、そうなんだけどね……。まあいいや。行くだけ行って、触りだけ聞くことにしよう」
「遅れないようにね」
「うん、分かってる」
そのまま京華は席を立ち、同じ授業を受ける鳳凰生と連れ立って地下牢へ向かった。
階段を下りて廊下を進むと、地下牢の前辺りに人混みが出来ているのが見えた。なぜ中に入らないのだろう、と京華が不思議に思っていると「ほんとにお洒落だわ」と皮肉をたっぷり効かせたハーマイオニーの声が聞こえてきた。どうやら輪の中心にいるのはハリーとハーマイオニーのようだ。
「1つあげようか、グレンジャー?」
サラサラとした金髪の男の子が、何かのバッジをハーマイオニーに差し出している。確かワールドカップにいた子だな、と京華は目を細めた。
よく見るとグリーンとシルバーのネクタイ、つまりスリザリンの寮の生徒は揃って胸にお揃いの派手なバッジを付けている。更にそれには『汚いぞ、ポッター』と書かれていて、京華はその幼稚さにむしろ笑いが込み上げてきた。だが次に聞こえてきた言葉を聞いて、京華は思わず真顔で手に持っていた魔法薬の教材をドサッと取り落とすことになった。
「沢山あるんだ。だけど、僕の手に今触らないでくれ。手を洗ったばかりなんでね。『穢れた血』でベットリにされたくないんだよ」
ハリーは、そのマルフォイの台詞を聞いて溜まりに溜まっていた怒りの一端が堰を切ったように噴き出していくのを感じた。だがハリーが杖に手を伸ばすより早く、ドサドサと何かが落ちる物音が後ろから聞こえて、ハリーやスリザリン生は揃ってそちらに気を取られた。
振り返ると、唖然としたような表情で立っている京華が視界に入ってきた。その手は中途半端に開かれ、足元には他国の、恐らく日本の文字で書かれた教材が散らばっている。だが京華はそれには目もくれずに「何ですって?」と大声を上げた。今やその顔は怒りに染まっており、後ろにいる他の鳳凰生も軽蔑の篭もった冷ややかな眼差しをマルフォイやスリザリン生に注いでいた。ハリーはハーマイオニーとそっと顔を見合わせ、ちらりとマルフォイの顔を見た。その青白い頬には羞恥でピンク色が差している。
「貴方──貴方、今何て?穢れた血ですって?」
「あ──いや、これは、」
「ああそう!まさか──まさか、ホグワーツにはまだ純血で差別する気風が色づいていたなんて知らなかったわ」
流暢な英語で話された口調は丁寧だったが、声は酷く冷ややかだった。
「私たちに貴方達の文化を軽蔑することは出来ないし、するつもりもないわ。住んでいる国で考え方が違うのは当然のことだから。でもね──」
京華は革の学生鞄を肩に掛け直し、すたすたと歩いてマルフォイの前までやって来た。マルフォイは気まずさからか視線をあちこちに彷徨わせている。京華自身は冷ややかな視線以外はいつもと至って変わりなかったが、今はむしろその美貌が際立って真顔で見下ろされるのは相当の気迫だった。
「一言言わせていただくわ。今の言葉、とってもナンセンスよ。そして凄くみっともないわ。花が咲く場所を選べないのと同じように、子供も親や血筋を選ぶことはできないの。努力でどうにかなる問題でない点を馬鹿にするなんてお門違いというものよ。あまりに子供じみてるわ」
「あ、あなたには関係ないわっ!」
勇気があるのか、はたまた鈍感なのか、パンジー・パーキンソンがどもりながら京華へそう言い返した。
「ええ、そうね。これが私の介入すべきでない問題でないことは確かだわ。つまりこれはただの悪口よ。私はあなた達を馬鹿にしているの。お分かり?」
京華はパンジー・パーキンソンを見ながら淡々とそう言い放った。パンジー・パーキンソンはそれにぽかーんと口を開き、数秒経ってようやく意味を理解したのかすごすごと元の群れへ戻っていった。
京華は最後に小さくなっているスリザリン生をぐるりと見渡し「そのバッジ、とてもお洒落ね。どれだけ手が込んでるのかしら」と吐き捨てると、元の場所に戻って教材を拾い上げ、胸に抱え直した。
どうするの?という目線を送ってきた龍臣に京華は首を横に振った。
「授業を受ける気が失せたわ。この人達といると、先生の話の腰を折ってガミガミ言ってしまいそうだもの」
「そっか。僕達もあまり乗り気にはなれないし、他の所へ行くよ」
「そう?」
龍臣も珍しく憤りを感じているようだった。いくら生まれた国や文化が違うと分かってはいても、今のは日本人にとって到底見過ごせるようなものではなかったのだ。世界史の授業で純血主義について幾らか習っていたとは言え、実際に目にしたそれはあまりに度が過ぎたものだった。鳳凰生はスリザリン生達を冷ややかな目線で一瞥し、京華を先頭にして踵を返すと階段を駆け上がっていった。
玄関ホールまで辿りついたところで、京華は少し疲れたように息を吐き、目元を手で覆った。
「『花が咲く場所を選べないのと同じように、子もまた親を選べない』……。本当にその通りだよ」
先ほどはあまり面識のない人物相手だったからか、鳳凰生しかいない今は口調が少し砕けたいつもの調子に戻っていた。
「きっとあの子達も、心から純血主義を信じてる訳じゃないんだよね。それが正しいんだって大人達から教えられたからで、所詮は借り物思想なんだから。あの子達も普通の家に生まれてればこうやって差別用語をむやみに言うこともなかったんだろうし。そう考えるとちょっと言い過ぎたな……」
「そうかしら?」
未だ憤然とした様子でそう言ったのは琴美だ。
「でも流石にあれは言い過ぎだと思うわ。どういう神経してるのかしら!もう!」
「文化の違い、としか言わざるを得ないよ。仕方ないよ、あの子達が悪い訳じゃないんだから」
後でちゃんと謝っておかなくちゃね、と京華は眉を下げた。
京華はそのまま飛行船に戻るという他の生徒と別れ、指定された部屋に入った。中に入ると、絹江がおいでと手招きをしてきたので彼女に近付き、そして先程の出来事を話した。
「申し訳ありません、軽率でした」
「まあ、そんな事が……。でも、それは仕方ないと思うわ。確かにあんまりですもの。ちゃんとその子達のことも考えられたのだから、それだけで立派なものよ」
まあ、後で菓子折りは持っていかなくちゃね、と笑う絹江が怒った様子は無く、京華は密かに詰めていた息を吐いた。中はかなり狭い教室だった。机は大部分が四隅に押しやられて中央に大きな空間を形成しており、その黒板の前に机を3卓繋げて紫紺のビロードのカバーをかけた急ごしらえの台が設置されていた。その机の向こうには審査員用の椅子が5脚並べられており、そのうちの1つにルード・バグマン氏が座っていた。京華は絹江の隣に立っていたが、セドリックの目が合って合図されたのでそちらへ数歩近付き、セドリックがやって来るとにこりと微笑んだ。
「これから何をやるか、キョウカは知ってる?」
「うん。杖調べの儀式って言って、専門家の人に選手の杖を点検してもらうんだって。大会の前には必ず行われているみたい」
「そうなんだ、よかった。昨日ちゃんと磨いておいたからね」
「よく手入れしてるんだね」
「ああ、一応ね。キョウカのはとても変わった形をしてるよね」
「ああ、これ?」
京華は懐から自分の杖を取り出し、広げて見せた。日本では小学生の間は普通の小学生の行う勉強の傍ら、魔法の理論について少しずつ勉強して行き、本格的に魔術を勉強する中学校へ進学すると同時に杖を購入する事が義務付けられている。英国や西洋では既に作られた物の中から使い手に会う物を探すという方法もあるようだが、日本では専ら使い手に合わせた杖を作る、所謂オーダーメイドが主流だ。故に日本人の魔女、或いは魔法使いに武装解除術を掛けても、武器を取り上げるだけで杖の忠誠が変わることはない。初めから使い手専用に作られたとのなのだから、呪文1つでその忠誠心が揺るぐ事は無いのだ。近年では、元々用意された幾つもの型から使い手の魔力の質や癖に合わせたものを選んでおき、そこから調整を加えて行くという方法を取る所も増えてきたが、土御門家では遥か昔、安倍晴明の時代から杖を使い手に合うように1から作ることがしきたりとなっている。京華は魔力に目覚める時期が早かった為に、10歳の時には既にこの扇子の杖を与えられていた。材質は勿論のこと、扇子型の杖を使用する場合はその扇面の柄も使い手特有のものになる。黒で染められた地と通常では見えない透かし模様で刷り込まれた蝶は土御門家(土御門家の家紋は黒地に白で染め抜かれた蝶だ)を、白雪は京華の曾祖母であり、この杖へ自分の1部を提供した雪女を、竜胆色の桜は京華自身を現しているのだ。
京華とセドリックがお互いの杖について簡単に教え合っていると、バグマンが突然立ち上がった。どうやらハリーがやって来たようだ。
「ああ、来たな!4人目の代表選手!さあお入り、ハリー。なあに、心配することは無いさ。ほんの杖調べの儀式なんだから。他の審査員も追っつけ来る筈だ。専門家が今、上でダンブルドアと話している。それから、ちょっと写真を撮ることになる。こちらはリータ・スキーターさんだ」
バグマンは先ほどまで話し込んでいた赤紫のローブを着た魔女を紹介した。どうやら記者だったようだ。彼女の興味はハリーにしか無いようで、ハリーが抵抗する暇も無く真っ赤に染められた長い爪でハリーの腕をがっちり握り、向こうへ引っ張って行ってしまった。京華はセドリックと顔を見合わせ、お互いにそっと苦笑いした。
段々と審査員が椅子に揃って行き、絹江が椅子に腰掛けたのを見て京華もセドリックと一緒にドア近くの椅子に腰掛けた。程なくして、ダンブルドアが月のように淡い色の目をした老魔法使い(察する所に彼が杖の専門家だろう)と共に姿を現した。ダンブルドアは部屋を見回し、ハリーがいないことに気付いた。
「おや、ハリーはどこにいったのかね?」
「リータ・スキーターさんという記者の方に引っ張られて行きましたよ」
「おお、そうかの」
ダンブルドアは礼を言うかわりに京華ににこりと微笑むと足早に部屋を出て行き、そしてすぐにハリーと女史を連れて戻ってきた。ハリーは京華からセドリックを挟んだ隣の椅子に急いで腰掛けた。
「では、オリバンダーさんをご紹介しましょうかの?」
ダンブルドアは全員揃っていることを今一度確認し、そして自らも審査員席に腰掛けてから代表選手に話しかけた。
「ギャリック・オリバンダー氏じゃ。非常に優秀な杖職人で、ホグワーツにいる生徒の杖の殆どは彼の手によるものじゃ。試合に先立ち、皆の杖がよい状態かどうかを調べ、確認して下さる」
オリバンダー翁は紹介を受けて一礼し、音も無く部屋の中央の空間に進み出た。
「ではまず、ミス・ツチミカド。こちらに来て杖を渡して下さらんか?」
レディーファーストということだろう。京華は頷き、小さく会釈をしてからオリバンダー翁に杖を手渡した。異国の杖を目の前にしたからだろうか、京華にはその瞳が急にきらきらと輝きを帯びたように見えた。
「ほう、やはり日本の杖は非常に面白い。実に変わった形をしておる」
オリバンダー翁は扇子型のそれを慎重な手つきで開いた。ステッキ型以外の杖など目にしたのは初めてなのだろう、他の審査員が興味深そうに目を見開くのが見えた。
「32センチ……しなりやすい……これは雪柳の骨ですかな?」
「ええ、そうです。曾祖母の出身地の雪柳を骨組みに使っています」
「ほう、ということは、芯──いや、要と言いましたかな?これに使われている雪女の髪は……」
「ええ、私の曾祖母のものです」
「ふむ、なるほど。実に素晴らしい。まるで1つの芸術品のようじゃ……アヤスギ・ハチマンの作と見たが」
「はい、その通りです」
「なるほど……ふむ、儂の見たところ、雪や氷系統の魔法には特に力を発揮するようじゃな」
「ええ」
「なるほど。杖の振り方もこちらとは違うようじゃな?」
オリバンダーは扇子を畳むと「オーキデウス、花よ!」と唱えながら、手首を捻るようにして杖を振った。すると杖を振った場所の近くに美しい鈴蘭の花束が現れ、オリバンダー翁は「手入れも行き届いておる、上々じゃ」と微笑みながら宙に浮いた花束を摘み取り、杖と一緒に京華に渡した。
その後、セドリック、クラム、ハリーの順番で杖調べは進んで行き、全体写真を──スキーター女史が個別写真も撮ると聞かずに個別写真も──撮って、京華達が開放されたのは夕食前になってからだった。