「なに?」
「第一の課題はドラゴンだよ」
京華は思わず飲んでいた紅茶を吹きそうになり、かろうじてそれは抑えこんだがおかげで盛大にむせ返った。
「ちょ、お、お祖父ちゃん!何ネタバラシしてるの!」
「ん?」
今日は11月17日、第一の課題まで残り1週間を切った所だった。京華は第一の課題の前に様子を見に来たジムと飛行船の自室で紅茶とジャムをたっぷり塗ったスコーンとで楽しいお茶会を催していたのだけれど、ジムが今日のお天気でも話すような口調で第一の課題を漏らしたのだ。
「選手はその時まで課題を知らない事になってるんだよ!?」
「でもねキョウカ、カンニングは三大魔法学校対抗試合の伝統なんだよ」
「……え?そ、そうなの?」
「うん。『未知のものに相対した時の勇気を試す』なんてのは建前だ。競技までには全員が大まかな内容を知っていることは暗黙の了解なんだよ」
「…それで、第一の課題がドラゴンだって?」
「ああ。5日後には禁じられた森の奥に4体のドラゴンが連れて来られる事になってる」
「ドラゴン、ねえ……」
京華は口元をナプキンで拭い、紅茶を1口飲んで落ち着いてから椅子に座り直した。ジムは綺麗に整えられた口髭にジャムをくっ付けずに上手いことスコーンを頬張っている。
「結構本意気なやつ出してきたなあ……」
「まあでも、ヌンドゥやバジリスクじゃないだけマシでしょ」
「この大会にそのどちらかが関わる時があれば、私は即刻辞退するよ。お祖父ちゃん私を殺したいの?」
「ジョークだってば」
京華がわざと冷気を発しながら冷ややかな目線で一瞥すると、ジムは慌てて手を振って否定した。
「それに、キョウカなら平気だろう、ドラゴンぐらい。影縫いや分身の術もあるし、いざとなれば鬼神の式神や口寄せの術もあるんだから」
「お祖父ちゃんは私を殺す気?そんな陰陽道の大技、本当の緊急時以外は使わないよ。そういう決まりなんだから。大体あんな技をドラゴン相手に使ったら、妖力がすっからかんになって私はただの餌になっちゃうじゃない」
「そうか、鬼神は魔力消費が激しいんだったね」
「まあでも、濫用は抑えるけど派手なパフォーマンスの為には忍術は格好のネームバリューにはなるからね。使わない手は無いよ」
「成程ね。流石は僕の孫」
「はいはい」
ジムと軽口を叩きあいながら、京華はケーキスタンドのマカロンに手を伸ばす。
「ん、このマカロン美味しい!」
「フランスで1番美味しいと評判の良い菓子店のものだよ。気に入ったかい?」
「うん、とっても」
「なら、今度清史郎にもフランス土産で買っていってあげよう」
ジムは自分もマカロンに手を伸ばしながら微笑んだ。
「で、ドラゴン対策案は練りあがったかい?」
「……あのねえお祖父ちゃん。私まだドラゴンが相手だって聞いてから5分ぐらいしか経ってないでしょう」
「なんだ、それだけあればキョウカには十分じゃないか」
「まあ、ね」
京華は先ほど胃に収めたマカロンの残り半分の欠片を口へ運んだ。既に京華の頭の中では、ドラゴンに有効な呪文と忍術のリストアップが済まされていた。伊達に幼い頃からそれらの英才教育を受けていた訳ではない。ドラゴンは目が弱点だが、全身を覆う分厚い鱗はかなり強力な呪文以外通さない。これらの事から考えて、恐らくドラゴンを殺す等という単純で野蛮な競技ではないだろう。恐らく何らかの形でドラゴンを出し抜くという内容の筈だ。その方がよりスリリングで、そしてその生首を取れというよりはまだ安全性が確保出来る。京華は別に、絹江から依頼された目的を忘れた訳ではない。現にダームストラングの生徒はクラムを含めて全員調査済みだ。第一の課題が終わる頃には、京華の命を受けてホグワーツ職員を調査している忍達からの中間報告書が手元に届くだろう。だが、それと競技の勝敗に興味が無いかと聞かれればまた別の問題だ。
「相手が誰であろうと、勝つのは私」
好戦的な笑みを浮かべた京華は、ティーカップから冷めたアールグレイを飲み干した。
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京華は、パンッと絹江が手を叩く音で我に返った。京華は第一の課題の選手控え室として建てられたテントの中で座禅を組み、瞑想で精神を落ち着けていた所だ。セドリックやハリーやクラムはスウェットやジャージを身に着けていたが、京華は如何にも動きにくそうな紺の袴と、袖をたすき掛けにした緑色の着物を着ていた。足は白い足袋と檜の下駄。基本的に陰陽道の訓練では袴と下駄を着用しているので、京華はこれで動き回ることには慣れっこだ。Tシャツとスニーカーの時に襲って来てくれるほど敵は親切ではない。
京華が待たせてしまった事に小さく謝罪を入れてから立ち上がり、バグマンの側に立つ選手の輪に加わった。後ろに絹江が立つ気配がした。
「では、選手諸君。諸君にはこれから、この袋の中からそれぞれミニチュアの模型を選び取ってもらう」
バグマンは紫の絹の袋を振って見せた。
「自分が取り出したものが、諸君の相手だ。諸君の課題は、自らが選び取った相手から金の卵を取って来る事だ」
やはりか、と京華は何処かで思った。だが、当然ながら油断は禁物だ。油断は大きな隙を生む、故に優れた者は敵を甘く見ず、自らの力に驕る事をしない、というのは絹江からの教えの1つであった。バグマンは袋の口を開け、京華の方へ差し出した。
「レディー・ファーストだ」
京華は一度深呼吸すると、袋の中に傷の無い滑らかな手を入れた。意を決して最初に手を触れたものを指先で掴み、袋から取り出した。
「ウクライナ・アイアンベリー種。世界最大と言われるドラゴンだ」
メタルグレーの大きなドラゴン(※ミニチュアサイズ)が、手の平の上でぎゃーと吠え、あろうことか指先に噛み付こうとしてきた。京華は慌てて尻尾を摘んでそれを回避し、ふうと息を吐いた。何故こう無駄に精巧なのだろうか。首に『3』の札が着いている事から、恐らくこれが競技に出る順番なのだろう。その後、クラムは『1』の付いた中国火の玉種を、セドリックは『2』の付いたスウェーデン・ショート‐スナウト種を、ハリーは『4』の付いたハンガリー・ホーンテール種(よりによって彼が1番凶暴な種類だった)を引いた。
「これでよし!」バグマンが言った。
「諸君は、それぞれが相対するドラゴンを選んだ。1番はクラム君だ。ホイッスルが聞こえたら、真っ直ぐ囲い地まで行くんだ、いいね?」
それからバグマンは、何故かハリーを連れてテントを出て行った。絹江は京華に向き直り、白い滑らかな頬を少し皺の寄った手で優しく包んだ。
「いい?京華ちゃん──1番大事なのは、貴女が生きて帰ってきてくれる事よ。危ないと思ったら棄権しても良いの。1番大切なのは、貴女の命なんだから」
「うん。ありがとう」
絹江は最後に京華の艶のある黒髪を撫でた後、意を決したようにテントを出て行った。直後ホイッスルが鳴り響き、クラムが出て行くのと入れ替わりでハリーがテントに戻ってきた。バグマンの解説が聞こえる。
「トップバッターはミスター・クラム!」
ドラゴンが吠えると、テントの布など鼻で嘲笑うかのように空気がびりびりと震えて中まで振動が伝わって来た。京華は床に座って座禅を組み直したが、瞑想に耽る事は止めた。代わりに杖の最終確認をしたり、使う予定の呪文を暗唱したり、忍術の印の組み方を思い浮かべた。
「なんと大胆な!いい度胸を見せました──そして──やった、卵を取りました!」
どうやらクラムは終わったようだ。そして──そして、次はセドリックだ。
そう考えた瞬間、何故か京華は急に冷や汗が噴き出して来るのを感じた。じとり、と手汗が滲む。一体、どうしたのだろう?
思わず自分の瞳が揺れているのを自覚したままセドリックを見遣ると、セドリックも丁度こちらを見たところだった。グレーの瞳と漆黒の瞳がかち合い、そして言葉を交わさぬままセドリックはテントを出て行った。ホイッスルはいつの間にか鳴っていた。京華は、自分の身体の中にある心臓がどくどくと音を立てて血液を送り出すのをはっきりと感じ取っていた。何故だ。一体私はどうしてしまったんだろう。やっぱり本当はドラゴンが怖かったのだろうか。きっとそうなのだろう。だが、胸の中に何かがつっかえたような異物感は消えない。こんな事初めてだ。どこか宙を浮いているようだった意識は、ホイッスルが鳴り響いた事で京華の身体へ戻ってきた。
「ミス・ツチミカド、どうぞ!」
京華は目を瞑って深く深呼吸をし、地面を踏みしめながらテントを出た。木立を過ぎ、京華は柵の切れ目から囲い地の中に入った。魔法で作り出されたスタンドから何千という顔が京華を見下ろし、興奮で沸き立っていた。囲い地の中はあちこちに大小の岩が転がされており、また真ん中にかけて窪んでいて、遠目に見るとまるで皿のような地形をしていた。そして──アイアンベリーは、そこにいた。メタリックシルバーの鱗をぎらつかせ、殺意の篭もった暗い赤色の瞳を京華に真っ直ぐ向けていた。先程までのおかしな動揺が嘘のように、京華は頭が冴え渡って行くのを感じた。金の卵の入った巣は、アイアンベリーの後ろ足の間にしっかり挟まれている。あの巨体では弱点である瞳に狙いを定める事は非常に難しく、また仮に成功させたとしても苦しむアイアンベリーが卵を潰してしまう可能性が大きい。京華は大半の魔法使いがドラゴンに対して最も有効だと思っている『結膜炎の呪い』を真っ先に選択肢から打ち消した。それに、これは競技だ。言うなればパフォーマンスである。やるならば、素早く、華麗に、確実に、そして派手にやる。それが点数を稼ぐ最も簡単なやり方だからだ。
京華は空を仰いだ。太陽が会場を照らし出し、アイアンベリーの影が地面にもう1つのドラゴンを作り出している。会場をぐるりと見渡した。スタンドを守るように立てられている鉄製の柵は、いざとなった時によく役に立つだろう。
そして京華は、素早く杖を帯から抜き取ると同時にアイアンベリーに向かって真っ直ぐ駆け出した。
「さあ、日本から参加のツチミカド選手、果たしてどんな魔法を見せてくれるのでしょうか!?」
京華はドラゴンに向かって走りながら杖を開き、頭の中で言霊を詠唱しながらアイアンベリーへ風を仰ぐように杖を横ざまに振り抜いた。
「今回、ツチミカド選手の競技に当たって、解説に鳳凰魔法学校校長のミセス・ツチミカドをお呼びしています。ミセス、あれは?」
「あれは吹雪を起こす魔法です。恐らくドラゴンの目くらましに使うのでしょう。雪や氷系統の魔法は京華の得意分野ですから」
京華の杖の動きから一拍遅れて、ドラゴンの眼前に突然大量の粉雪が現れた。それはまるで意思を持つかのようにアイアンベリーの顔の周りへ纏わりついて視界を妨げる。アイアンベリーは苛立ったように唸ると、息を吸い込んで炎を吐き出し、瞬く間に雪を吹き飛ばした。その火炎は、ドラゴンの前に構えていた京華までを一切の迷いなく包み込んだ。会場が大音量の悲鳴に包まれた。今頃京華は消し炭になり、燃え盛る炎の中で命を落としたに違いないのだ。
だがその時、完全にドラゴンと炎、その先にいる京華へ向いていた観衆の視線はある一点へ引き戻された。ドラゴンの背後だ。何かいる──
「あ、あれは!ツチミカド選手です!何と、生きています!しかし彼女は先ほど、確かに炎に呑まれた筈です……ミセス、これはどういう?」
「先ほど皆さんが京華だと思っていたのは、彼女が作り出した偽物です。忍術の一種で『分身の術』というものです。吹雪でアイアンベリーの目を眩ませた僅かな間に、手と指を使って印と呼ばれる忍術でいう呪文を組み、偽物をつくり、自分は『光芒の術』という高速移動を可能にする術でアイアンベリーの背後へ回り込んでいたのでしょう」
「な、なるほど……!つまりその一連の流れをあの一瞬でやってのけた訳ですね!」
実況と解説が鳴り響くその間にも、京華は音も無くアイアンベリーの背中へ飛び移り、鍛え上げた身体能力で瞬く間に上へ駆け上がった。翼の生えた辺りまで来ると、そのままの勢いで高く跳躍しながら再び杖を広げ、今度は短縮形ではあるがはっきりと言霊を詠唱する。
「『雪車』!」
京華が十二分に魔力を込めた状態で扇を力強く扇げば、魔力が風となり、京華の言霊に反応して練り上げた魔力を無数の純白の風車へと変えた。鳳凰では西洋の体系化された魔法とは別に自らの魔力の質・波長に合わせた魔力の扱い方、それに伴った自分固有の魔法の制作や習得も行う。というより、むしろ割合的にはそちらの方を学習する。この『雪車』も、やはり雪女の血を引く京華の魔力に合わせたオリジナル魔法ということだ。
先端の尖った切っ先が何本も背中に突き刺さり、アイアンベリーは頭を上げて大きく呻き声を上げ、そして背中の小さな敵を振り落とそうと大きく、そして素早く身を捩った。だがそれより早く京華の両脚はアイアンベリーの背中を蹴っており、京華は空中で印を組んで一時的な墨の模様が浮かんだ手の平から鎖を伸ばさせると、向こう側の柵に巻き付けてそのまま同化させた。そして遠心力で空中に弧を描きながらあっという間にドラゴンから距離を取る。アイアンベリーは背中に突き刺さっている無数の針が与える痛みに顔を歪ませて牙を剥いたが、それでも卵のそばから動こうとしなかった。それを見て京華は柵に足を引っ掛けて掴まりながら目を細める。ここまで時間にして1分程だろうか。一瞬でもドラゴンを卵から引き離せれば後は簡単だ。だが、その一瞬を作る事が難しい。しかし京華はやる。やらねばならないのだ、誰よりも速く。
「『縄蛇』!」
京華は地面に飛び降り、言霊と共に今度は閉じた状態の杖を逆さに持って地面に突き立てた。
同時に、地面の下から白い縄──否、白い縄で出来た大きな蛇が出現した。縄の大蛇はまるで意思を持つかのようにその太く長い体をくねらせ、ドラゴンを捕らえる。
そのまま大蛇はドラゴンを強い力で締め付け、アイアンベリーは大きな声で低く唸ると、巨体を大きく捩ってその捕縛から逃れようとした。あまりにも大きく暴れる為、ドラゴンを捕らえていた蛇の胴体、つまり縄からは、次第にあちこちでミシッという音が聞こえて来た。ブチ、と小さく繊維が千切れる音もする。このままではいずれ突き破られるのは時間の問題だろう。
「『オーキデウス、花よ』!」
それを見た京華は、ぐっと魔力を込め、開いた扇型の杖を力強く扇いだ。
風に乗って周囲へと撒かれた魔力は、たちまち岩と土で出来たフィールドに色とりどりの花を咲かせ、囲い地は芳しい甘い香りを放つ花畑へと変貌を遂げる。
「ミセス、これは一体…?」
「これは……、まあ、実際に見ていた方が分かり易いでしょうね」
絹江の苦笑混じりの声が聞こえた。事前にジムにも話していた通り、中級以上の忍術の濫用は控えるつもりだったが、まあ1回ぐらいは許されても良いだろう。
妖力、と呼ばれる忍術に必要な力を練り上げ、帯に杖を差し、素早く印を組んで、京華は言霊を唱えた。
「『
バッ、と京華が片手を空へ掲げると、辺り一面の花畑はその可愛らしい風景から一転、ボウ、と一輪に火が点いたかと思うと、それは連鎖的に他の花へも広がってゆき、辺りはたちまち火の海と化した。その光景に、観客達は悲鳴を上げたり、感嘆して目を見開いたり、思わず立ち上がって目の前の光景を凝視したりしている。
しかし炎の海はそれだけに留まらず、赤々と燃えるそれらが、バッ、と京華が横へ腕を振ったのに合わせて、今度は大きな波となってドラゴンへと襲い掛かった。おお!と観客達がどよめく。
ドラゴンは目を見開くと慌てて蹲り、体を丸めて卵を抱え込んだ。ドラゴンを縛り付けていた白い縄の蛇はいつの間にか消え失せており、灼熱の炎が荒れ狂う波となってドラゴンに容赦なく被さってきた。京華はそれを涼しい目で見つめている。
変だ、と誰かが思った。
これだけ目の前のフィールドに火が燃え盛っているなら、自分たちはそれ相応の熱を感じている筈だ。しかし、それは無い。感じるのは、元々の太陽光の発する熱のみ。
これだけ炎が渦巻いているなら、熱でこの鉄製の柵は溶けてしまう筈だ。しかし、それは無い。柵は依然として硬いままで、触ってみれば剰えひんやりとしている。
これだけの規模の火の海ならば、その熱で空気が歪み、チロチロと向こう側の景色が揺れて見える筈だ。しかし、それは無い。はっきりくっきり、曲がったり揺れたりすることなく正常に見えたまま。
まさか──
誰かが驚愕で零れ落ちそうなほど目を見開いたその時、炎に襲われドラゴンの丸焼きになった筈のアイアンベリーが、熱も痛みも感じないことを訝しんで翼を広げ、顔を上げて周囲を見渡した。
そう。あの火の海は、全て一面に咲かせた花の香りを媒介とした京華の幻影だ。
目的は、火が襲ってくること、更に感じる筈の熱や痛みが無いことにより、ドラゴンの意識をほんの一瞬でも卵から逸らすことであった。
そして、ドラゴンが思わず完全に翼を広げ、卵から目を逸らし、巣が無防備になったその時に、京華は光芒の術を発動し、アイアンベリーの目と鼻の先で金の卵を掠め取ったのだった。