鳳凰生の声が被った。そうです、と絹江は頷いた。
「三大魔法学校対抗試合の恒例行事なんです。素晴らしいご馳走と音楽で、生徒達はパートナーと共に、いつもより少しだけハメを外しても構わない一夜を過ごします。ホグワーツへ来る前に、皆さんでレッスンをしたでしょう?」
あのダンスレッスンはこの為だったか、と全員が思った。絹江は京華へ視線を向けた。
「そして代表選手とそのパートナーは、伝統として、パーティの最初に皆さんの前で踊ることが決まっています」
京華は思わず少しの間閉口した。
鳳凰生がダンスパーティの事を聞いたのは、午前中いっぱい飛行船での授業を受けた後だった。京華達が飛行船のタラップを降りて昼食を摂りにホグワーツ城へ入ると、既に全校生徒がパーティのことを知っていて、城の中は生徒達の興奮と期待で大変なことになっていた。鳳凰生はみな「どうしてそこまで乗り気になれるんだ」と首を傾げながら、一様に沈んだ様子でのろのろと食事をしていた。
京華は頭の中で、絹江にダンスパーティのことは伏せて持ってくるよう言われていた着物を思い浮かべた。琴美を含めて何人かの女子生徒は、西洋式のドレスローブを着て参加するらしい。郷に入っては郷に従えという言葉もあるし、それは構わないと思う。ふんわりとしたAラインのドレスなんて、滅多に着る機会は無いのだから。それに何より──そう、ステップが踏みやすいのだ。京華はお気に入りの振袖を持ってきたのだけれど、今考えてみると着物は長い丈のタイトスカートとでも言うべき形をしているので、西洋のダンスにはどう考えても不向きである。ちなみに、男子生徒はみな黒いジャケットと蝶ネクタイスタイルで出るらしい。個性は無いのか個性は。
京華はパートナーは龍臣にするつもりだった。幼馴染みで気心が知れているし、何より楽しく過ごすことが出来るからだ。
しかし、それも怪しいぞ、という事件がその日のうちに起きた。
京華がラテン系魔法の呪文についての考察を纏めようと大広間を出た時、向こうの方からセドリックが駆け寄って来たのだ。龍臣は訳知り顔で1歩後ろに下がり、近くを歩いていた琴美はハッと目を見開いて、彼女は何故か頬を染めながら2人を交互に見た。訳が分からない。
「あー、キョウカ。今空いてる?」
「ええ、特に用事は無いけど……」
セドリックが──何故か少しだけ頬を染めながら──コホンと咳払いし、改まって自分を見下ろして来るので、京華は首を傾げながらそう答えた。
すると、セドリックはもう1度咳払いし、そして何を思ったか京華の片手を取った。
「キョウカ。良かったら、僕と一緒にクリスマスのダンスパーティで踊ってくれないかな?」
頭の中で、ポクポクポクチーン、と木魚の音が響き、そして京華がようやく意味を理解したと同時に、首筋から頬にかけた辺りがカーッと熱をもった。
鏡を見なくても分かる。きっと今、私の顔は真っ赤だ。
「あ、えっと……私でよければ、是非?」
何だか疑問形になってしまったのは仕方ないと思う。それぐらい許してほしい。
そもそも、京華はこれまで告白というものをされたことがなかった。それは決して京華に欠点があったという訳ではない。ただ単に、奥手な日本男子には京華の浮世離れした美貌はハードルが高すぎたのである。
そういう訳なので、ただのダンスのお誘いとは言っても、ハンサムで、紳士なセドリックに誘われてしまって、京華はすっかり参っていた。
ちなみに、校内で「パートナーに誘うってことは君のこといいなって思ってるんだよ」みたいな空気が流れていることに、そういうのに疎い京華は全く気付くことが出来なかった。
しかし、2人はペアを組めなかった。
何故なら、その会話をたまたま近くを通りがかって耳にしたマクゴナガル教授が、とても申し訳なさそうな顔で、
「ミス・ツチミカド、ディゴリー、私もこんなことは言いたくないのですが……その、代表選手同士でのペアは禁止されているのです。少々事情があって……初めに言っておくべきでしたね」
と言ったからだ。
途端に、息を潜めて全く気にしていない振りをしながら全力で耳をそばだてていた周囲のホグワーツ生から大ブーイングが上がった。何故彼等が非難轟々なのかはよく分からないが、まあ、あの、きっと勇気を出して誘ってくれたであろうセドリックの気持ちを思うといたたまれない。
「そうなんですか、」
「……分かりました。仕方ない、ですね」
頭の後ろを掻きながら、セドリックは眉を下げて困ったように笑った。何となく──どうしてかは分からないが──彼と視線を合わせづらかった。
心臓が、ひどくうるさかった。
:
クリスマス当日の朝。
校内はとてもそわそわしていて、今にもホグワーツ城そのものが浮かれて踊り出しそうな雰囲気だった。
「京華、おはよう!」
「おはよう、琴美。プレゼント届いた?」
「ええ、勿論!素敵なコートをありがとう、今日着るわ」
「私からもありがとう。あの香水、今日振っていっても浮かないかな?」
「絶対大丈夫よ」
日本にとってクリスマスは正式行事ではないが、人々の間ではすっかりポピュラーな催しだ。京華は飛行船の自室から出るなり、明治時代の華族の屋敷をモデルにした広間に自分のプレゼントが山積みになっているのを見てこめかみを押さえた。
日本青少年魔法魔術団体会長、全日本陰陽師連盟最年少会員、鳳凰魔法魔術学院生徒会長云々、とこの歳にして色々な肩書きを持っている京華であるから、当然ながらプレゼントの量も半端ではない。
鳳凰生は午前中を飛行船の中で過ごし──京華は霧子に手伝ってもらいながらどうにか贈り物を処理した──お昼はホグワーツで100羽の七面鳥とクリスマス・プティングの素晴らしいご馳走を食べ、銘々が読書をしたり将棋を打ったりと落ち着いた時間を過ごした。
パーティの始まる8時の1時間ほど前になると、みな自室に引っ込み、四苦八苦しながら着慣れないドレスローブやジャケットを着込んだ。
京華は霧子に手伝ってもらって、黒地に雪の日の枝垂れ桜と美しい蝶を描いた京友禅の振袖を着た。
魔法のかけられたそれは、はらはらと控えめに舞う粉雪に、月光を浴びて煌めく枝垂れ桜が小さく揺れ、時折桜の花弁が吹いたり蝶が羽を動かす見事なものだった。
濡れ羽色の髪は耳と同じぐらいの高さでゆったりと結い上げ、艶やかな小粒の真珠が付いた簡素な銀の簪を差し、桜の髪留めを留めた。
お陰で、いつもなら長い髪に覆われた京華のほっそりした首の白すぎるほどに白い艶かしいうなじが露わになり、額全体を覆い隠している前髪を艶やかに整えているので、つるりとした額がちらりと見えていて、桜色に色付いた唇と相俟って、より一層京華の美貌を引き立て、普段はその純粋な笑顔で隠された色気をじんわりと醸し出していていた。
「……とてもよくお似合いです、お嬢様」
「本当?」
姿見の前で簪の位置を確認する京華を見ながら、霧子も思わず普段のポーカーフェイスを崩して、うっとりと目を細めながら彼女の姿に見入った。
8時5分前になると、京華は帯に杖を挿し、首に淡い茶色の毛皮の襟巻を巻いて、城へ入ってから姿をお披露目した方が良いのではという霧子の助言に従って、保温呪文を掛けた振袖が見えないぐらいの大きさの白いマントを纏い、フードを目深に被って、鳳凰生の列の最後尾に並んだ。
この日の生徒たちの仕度の為に駆り出された侍女や使用人たちが差す赤い番傘が、白い雪野原の上に咲く。
京華は龍臣の隣で、霧子の差す赤い番傘の下をしずしずと進んだ。
城の中は、銘々にドレスアップした少女たち、慣れない正装に身を包んだ居心地の悪そうな少年たちで溢れていた。
そんな彼女たちの喧騒は──京華がマントを脱ぎ去った時、一瞬で消え去った。
2人だけの世界に入り込んでいるカップルも、髪型をしきりに気にする女子生徒も、今日をきっかけに想いを寄せる相手との距離を縮めたいと願う男子生徒も、みな一様に息を呑み、淡く光を放つような京華の美しさに衝撃を受けて動きを止めた。京華の普段押し隠されて来た真の美しさを目の当たりにしてしまった以上、誰が彼女の姿を見て醜いと言えるだろう?きっとヴィーラもマーメイドも、この美しさは上回れまい──見る者に思わずそんなことを考えさせてしまうほどの美貌を放ちながらも、京華は淑やかな微笑を崩さず、龍臣と手のひらを重ねて静かに広間を奥へと進んで行った。
:
「──、」
セドリックは、硬直したまま動くことが出来なかった。
京華とダンスのペアを組めなかったのは勿論残念だが、それが決められたルールである以上どうこう言っても仕方ない。セドリックは思考を切り替えて、友人である同級生の女子生徒を誘った。そして、思いのほか手間取ってしまった支度を大急ぎで済ませ、パートナーと合流しようと大広間の前に足を踏み入れた瞬間──眩いばかりに輝いて見える京華を視界に捉えたのだ。
いつもは背中に下ろしている黒髪をシンプルに結い上げ、日本の伝統装束だろうか、変わった形のドレスローブを身に纏った京華は、セドリックにとってこの場の誰よりも美しく見えた。
そして悟った。
もう、この気持ちを誤魔化すことは出来ないのだと。
しかし、それと同時に──彼女が、龍臣と手を組んで笑い合うのを見て、心臓に重いパンチを食らわされたような気分になった。
1度は承諾されたとはいえ、最終的に京華の隣に立っているのは、セドリックではない。
その事実が、彼の目の前でもっと現実を突き付けてやろうと嗤っている。
セドリックはパートナーの友人から目の前で手を振られるまで、長いことそこに直立したままだった。