思慕

京華と龍臣は、大広間の扉の前に並んだ代表選手の列の最後尾に並んだ。

「こんばんは、キョウカ。あなた、とっても──とっても綺麗よ」

前にいたハーマイオニー──彼女はダームストラングのビクトール・クラムのペアだった。クラムは女の子を見る目があるようだ──の言葉に、京華は頬を少し染めてはにかんだ。

「ありがとう、ハーマイオニー。あなたもとても素敵よ。ミスター・クラムとよくお似合いね」

クラムをちらっと見てから言うと、クラムも穏やかに微笑んでハーマイオニーを見つめた。
マクゴナガル副校長の引率で大広間に入ると、中の人達が拍手で選手を出迎えた。
ホグワーツの大広間は素晴らしい光景だった。壁は銀色に輝く霜で覆われ、魔法のかかった天井の下には、幾つものヤドリギや花の蔦が絡み合っていた。
ランタンの仄かな明かりに照らされた丸テーブルの間を進み、代表選手たちは奥の1番大きな丸テーブルに着席した。

そこで初めて、京華はセドリックの姿を捉えた。
彼はペアの淡い茶髪の少女と楽しげに話し込んでいた。
それを見た瞬間、勘違いではなくはっきりと京華の胸が傷んだ。
ズキリと刺すような──それでいて、じんわりとした苦しみをずっと残していくような痛みだった。
京華は2人から顔を背け、ダンブルドアとカルカロフ校長の会話に加わった。

「確かに、諸外国の校長先生方は自らの学校の領地を秘密にしていらっしゃいますね」
「おお、そうじゃ!ミス・ツチミカド、冬の鳳凰はどのような様子なのかね?」
「クリスマスは主にヨーロッパの宗教に基づいた文化ですから、鳳凰では正式なクリスマスの催しはありません。しかし、鎖国が終わってからは文明開化の流れに伴ってケーキは出るようになりましたね。あと、鳳凰も全寮制の学校なのですが、寮の同室者同士でプレゼントを交換することもあります。まあ、我々にはどちらかと言うと新年の方が大切なので、この時期は新しい年を迎える為の校舎の掃除で忙しいのですけれど」
「そんなのは使用人にでもやらせておけばいいだろう」
「ええ、私たちも授業がありますから、いつも校舎を自分たちで掃除している訳ではありません。ですが、年末には日頃私たちを世話して下さっている使用人の皆さんと、自分たちの学舎への感謝を込めて、生徒たちが自主的に掃除をするんです。1年の汚れを一掃し、さっぱりした気持ちで新年を迎えられるように」
「何と素晴らしい!そうやって感謝の心を育んでいく訳じゃな」

どこか小馬鹿にしたようなカルカロフの言葉にも微笑みを崩さず、京華が説明すると、ダンブルドアは目をキラキラと輝かせた。可愛らしい東洋系の女の子をパートナーに連れていたハリーが、自分たちまでホグワーツを掃除させられちゃ敵わないとでも言いたげにに頬を引きつらせているのを見て、京華は苦笑いした。

食事が終わると、ダンブルドアが作ったステージに、大きな拍手に迎えられて女性メンバーだけのバンドが登場した。『妖女シスターズ』だ。彼女たちの曲は鳳凰でも流行っていて、友人の琴美も熱狂的なファンだった。
京華は龍臣のエスコートを受けて立ち上がり、大広間の真ん中へ進み出た。
龍臣と最初の構えを取ると、向こうにいたセドリックとバチリと目が合ってしまった。お互い一瞬目を丸くしてから、すぐに気まずそうに視線を逸らした。

2曲ほどダンスを踊った後、京華は龍臣とガス入りのミネラルウォーターを手に椅子へ腰掛けた。流石に下駄で踊り続けるのは無理があったようだ。

「こんばんは、2人とも!」琴美だ。
「楽しんでる?」
「ええ、もちろん。あなたは?」
「私も楽しんでるわ。パートナーの人は飲み物を取りに行ってくれてるの。ホグワーツの人よ。こっちの人は素敵ね、ちゃんと女性に対する礼儀が身についてるんですもの!私、結婚するならイギリスの人がいいわ……噂だと、イギリスでは朝になると夫が妻にベッドまで朝食を運んで来てくれるんですって」

くすくすと笑いながら、琴美は楽しげに言う。
しかし、すぐに真剣な面持ちで京華に向き直った。

「そう言えば、あなた、あのハンサムなホグワーツの人とはどうなったの?代表選手の」

ちょうどミネラルウォーターを飲んでいた京華は、見事に気管へ飛び込んだそれのせいでゴホゴホとむせた。

「ど、どうって……。さ、誘ってくれたのは嬉しかったけど、規則だし……仕方ないよ」

そう言いながらみるみる落ち込んでいく京華の様子に、琴美と龍臣はそっと目配せしあった。一方でその時のことを思い出しているのか、耳は赤く染まっている。照れたり落ち込んだり、普段の京華らしからぬ忙しさだ。

「……何か軽食を取ってくるよ」
「うん、」

パートナーの迎えに立ち上がった琴美に合わせて、龍臣もひとまずその場を離れた。



「──キョウカ」

くる、と振り向いた彼女は、セドリックの姿を捉えると黒い瞳を丸く見開いた。

「セドリック、」
「あの……横、いいかな?」
「え……ええ、どうぞ」

隣の席に広がっていた細長い袖を引っ込めて、京華は隣の椅子を指し示した。
セドリックはありがとう、と呟いてそこに腰掛けると、緊張から急激に乾き始めた唇を舐めた。
口下手な自分が勇気を振り絞って彼女をダンスのパートナーに誘ったものの、それは規則で叶わなかった。だからお互い別々の人を誘って、それで少しぎこちなくなっている。
でも京華は1度はセドリックの誘いに頷いてくれたし、今だってどこか所在なさげに視線をさまよわせている。
これはひょっとすると、期待していいのかも、しれない。
せっかくのパーティなのに自分の肩を叩いて送り出してくれたペアの同級生に心の中でお礼を言って、セドリックは腰掛けたまま隣にいる彼女の目を真っ直ぐ見据えた。

「少し、外を歩かないかい?ここじゃほら……ちょっと騒がしいし。それに、」

頑張れ、セドリック・ディゴリー。好きな子の前で躊躇していたら、あと2つ残っている課題なんて到底やり遂げられないぞ。

「……今日の君は、すごく綺麗だから、人目を引いてしまうよ」

言った途端、あまりの気恥ずかしさに汗が噴き出して来た。
京華はセドリックの言葉に何度か長い睫毛を瞬かせた後、あっという間に顔を真っ赤に染め上げた。

「え……あの、でも、あなたのパートナーの方は?」
「彼女は……少し気疲れしてしまったみたいで。先に寮に戻ったよ」
「そう、なの」

京華はペアの龍臣を探して顔を上げて辺りを見回したが、どういう訳か軽食を取りに行くと言ったまま彼の姿は消え失せていた。
セドリックが躊躇う京華へすっと手を差し出した。
綺麗な長い指をしているが、クィディッチで出来た箒だこの跡があったり、手の甲には血管が浮き出ていて、少し隠れた部分に男らしさを感じさせる。
京華は俯いて視線を彷徨わせた後──透き通るような白い手を、そっと彼の手に重ねた。



龍臣は、通ったそばからひそひそと好奇に満ちた囁きが広まって行くのも構わずに、セドリックに連れられて大広間を突っ切る京華を見ながら大きく息を吐いた。
幼少期、龍臣と京華は対等だった。まだ土御門本邸の庭先で一緒に遊んでいた頃のことだ。2人はお互いに名前を呼び捨てで呼び合い、肩を並べて陰陽道を学んだ。
学校に入ると、京華は土御門本流の一人娘という肩書きを背負うようになった。周囲の人間が寄せる勝手な期待を背負いながら、それでも京華は淑やかな微笑みを浮かべていた。彼女が唯一心の底から安心出来るのが、龍臣の隣だった。
中等科に上がると、2人の間にある見えない違いがはっきりと現れ始めた。日本魔法界きっての名家に生まれた優秀な娘と、その家に使える庭師の息子。実際の所2人の評価はそんなもので、それでも京華は変わらず龍臣に接した。

ずっと、変わったのは京華だと思っていた。京華が変わったから、龍臣も同じ場所から1歩身を引かざるを得ないのだと。
でも違った。
変わったのは、彼女から距離を取ったのは、龍臣の方だ。
周りの目なんて気にせず、余計なことを考えず、彼女の横にいればよかったのだ。

そうしていれば、近い将来京華の隣にいたのは龍臣だったかもしれないのに。

──なんて。
考えた所で、もう遅い。
今更走り出した所で、彼女の取る手は決まっているのだから。
ならばせめて、彼女が心の底から安心出来る場所を得られるように。

自分に出来ることは、それだけなのだから。



バーバラ・アーウィンは、セドリック・ディゴリーと同い年のハッフルパフ生だ。
セドリックが生徒のいる所で代表選手の1人、才色兼備の日本人キョウカ・ツチミカドを誘って規則によりペアを組めなかった一件は記憶に新しいが、バーバラは(同級生の友人たちが言うには)幸運にもその代役として彼のパートナーになることが出来た。
しかし、バーバラに言わせればこんなのはちっとも幸運じゃなかった。そう、ちっとも。
誰が好き好んで他の女の子に想いを寄せる片想い相手とダンスするんだ、という話である。
バーバラは1年生の時からセドリックのことが好きだった。
彼の優しさや思慮深さ、決して思い上がらない所。温厚で勤勉で、まさにハッフルパフを絵に描いたような男の子。
もちろん目鼻立ちのはっきりとしたハンサムなかんばせにときめくことは多々あったけれど、バーバラはどちらかというとセドリックの内面に惹かれたのだ。彼がクィディッチのキャプテンになったり、監督生に就任して注目を集めるようになってから増えたファンとは違う。
必死に下心を隠して接したのが功を奏したのか、6年生になった時、バーバラはセドリックの対人関係の中で1位2位を争うぐらいには彼と親密になっていた。もちろん友達として、だが。
もしかしたら、今告白したらセドリックも少しぐらいは応えてくれるかもしれない──そんな淡い希望的観測を抱き始めた丁度その時、金と真紅の飛行船に乗って、1人の美しい少女が現れたのだ。

彼女の名はキョウカ・ツチミカド。
美しい女の姿をしていることで知られる妖怪・雪女の血を引き、先祖に龍を持つことから『先祖返り』として生まれつき龍に変身する力を持つ、日本で最も有名な魔法大家の令嬢である。
そんな規格外仕様の少女は、あろうことか既にセドリックと知り合いで──そして共に代表選手に選ばれたことによって、2人の距離は急速に縮まって行った。

バーバラは何も出来なかった。
分かってしまったから。セドリックが彼女に向ける、世界中の砂糖をかき集めてありったけ溶かしこんだような、甘やかで、熱のこもった視線を。それはきっと傍から見たら殆ど気付かれることのないものだったが、1年生の時から彼を見つめ続けて来たバーバラには容易く露呈した。

もしもバーバラがハッフルパフ生でなかったなら、彼女はそこまでセドリックと仲良くなることもなく、横からセドリックを振り向かせようと孤軍奮闘していたかもしれない。
しかしバーバラ・アーウィンはハッフルパフ生。忍耐と勤勉を謳う誠実な穴熊の寮の生徒である。
だから彼女は、自分が今更出しゃばって2人を困らせることよりも──6年かけて築き上げた、セドリックの友人としての気持ちを優先した。

初めの頃こそ、恋愛感情を理由に近付いたのは事実。
しかしすぐ、バーバラにとってセドリックは、好きな男の子である前に1人の素晴らしい友達となったのだ。
だから──

「あの人の所に行ってきたら?」
「…でも、それじゃ……」
「私のことは心配しないで。実を言うとね、もう結構疲れちゃったのよ。ほら、知ってるでしょ。私がこういうイベントとか得意じゃないの。私にはおめかししてダンスするより、図書館の窓際の席で日向ぼっこしながら読書するのが性に合ってるわ。だからほら」
「、バーバラ」
「ほら、早く行ってらっしゃい」

急いで彼の後ろに回って、背中を押して。
……すぐに顔を背けて、大広間を出た。

「…っく、」

こうしようと決めた時は、そこまで辛くなかった。
でも、でも──やっぱり、悲しい。
後から後から、涙が溢れて止まらない。
セドリックが好きだった。大好きだった。
もう今日は、我慢しないで思いっきり泣こう。どうせルームメイト達はパーティが終わるまで帰って来ないだろうし、戻って来たら笑顔で迎えて、遅くまでおしゃべりしよう。
今日が終わったら、私はただの友達になる。
だからせめて、今日ぐらいは。

「──さよなら、セド」

結局貴方のことは、愛称で呼べなかったわね。
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