「あ、」
「あら、龍臣くん!おはようございます」
「おはようございます、」
京華と絹江の2人が母屋を出ると、使用人達の住む離れの方から1人の青年が姿を現した。土御門家に代々庭師として仕えてきた濱田家の長男、龍臣だ。
「あら、いけない!もうこんな時間だわ。京華ちゃん、龍臣くん、ごめんなさい。私先に行っているわね。2人はあとからゆっくり来なさい。打ち合わせの時間にはまだあるから」
「はい」
「お気を付けて」
「ふふ、ありがとう。まあ、すぐそこですけれど」
絹江は微笑むと、早い足取りで庭の向こうに姿を消した。
「おはよう、龍臣くん」
「おはよう、ございます」
龍臣はそう言って頭を下げた。向こうの方では、土御門家の庭師である龍臣の父が灌木の剪定をしている音が聞こえる。
京華はちらりと音が聞こえる方に目を向けてから、早く行こうとジェスチャーをした。
龍臣はそれに頷き、2人は飛び石を踏みながら庭を横切った。
土御門家の屋敷は、絹江が学院長を務める鳳凰魔法魔術学院の敷地内にある。表門から歩いて屋敷まで辿り着くのに15分はかかる広大な池泉回遊式庭園。そこにある木々や灌木は、まだ夏は終わっていないと告げるかのように未だ青々とした緑色の葉を茂らせていた。
道中、あちこちで庭の手入れをする庭師達に挨拶をする以外は、2人は押し黙ったまま黙々と庭を歩く。
15分も歩いて表門から出ると、門の前で箒を使って掃除をする使用人達の見えない所まで来て、京華はようやく口を開いた。
「はあ……やっとね」
「うん」
絹江や、父の同僚である庭師達の前では京華に対して堅苦しい言葉遣いで接していたが、2人きりになると龍臣も顔を綻ばせ、年相応の言葉遣いで京華に答えた。
「正臣さんったら厳しいんだから。龍臣と私は同い年なんだし、別に普段から敬語を使わずに話してたって問題無いよね?」
「うーん、まあでも、僕だって将来は京華さんの使用人になるんだから、仕方ないよ」
「そういうものかなあ」
「そういうものだよ」
2人は幼い頃から共にこの家で過ごした、所謂幼馴染みのようなもので、小さい頃はお互い呼び捨てで呼んでいた。だが、成長するにつれて何だか呼び捨てで呼ぶのがはばかられてしまって、今では2人きりの時には京華のことをさん付けで呼んでいた。だが、京華が2人でいる時は『使用人の息子』ではなく『幼馴染み』として接してくれることが、龍臣は嬉しかった。
「龍臣はやっぱり、機材の調整?」
「うん。放送委員だからね。始業式とか、こういうちょっと特別な式の時は、委員長の僕は当番にならなきゃいけないからさ」
「そっか。大変だね」
「僕なんか全然だよ。生徒会長なんだから京華さんの方がずっと忙しいでしょ?」
「うーん、どうだろう?まだ就任したばっかりだし、あんまり人に比べてとか考えたこと無いからなあ」
うーん、と首を傾げながら京華が考え込む。
確かに京華は、6月の選挙で生徒会長に選出されたばかりだ。だが『就任したばかり』とは言っても、京華は初等科で運営委員長、中等科でも生徒会長だったのだから、この手の仕事にはもう慣れっこなのである。
そうこうしている内に、2人は学校の正面玄関に辿りついた。高等科の入口から入り、1年朱雀寮の下駄箱の前で、それぞれローファーから上履きに履き変える。
「土御門さん、濱田くん、おはよう」
「おはようございます、先生」
「おはようございます」
すれ違う教師達に挨拶をしながら、木造校舎の中の教室までの道のりを歩く。
『朱雀寮』の札がかかった教室に着くと、龍臣が後ろの引き戸を開け、教室に入った。黒板の側にあるデスクに座っているのは、このクラスの担任、榊原だ。担当教科は言霊学である。
「おお、おはよう2人とも」
「「おはようございます」」
「ああ、そうか、始業式の準備な」
「はい」
「富岡先生はもう講堂に?」
「ああ、居るぞ」
「分かりました」
2人は鞄を机に置いて、京華は小さなメモ帳とボールペンを取り出してセーラー服の胸ポケットに入れる。
既に生徒会本部役員担当の教師が講堂にいるということは、恐らく放送委員担当の火口もいるのだろうな、と龍臣は考えた。
自動で前へと動く渡り廊下を進み、体育館より一回り小さい講堂に入る。
この講堂は3階建てになっており、1階が初等科、2階が中等科、3階が高等科という風に割り振られている。卒業式や全校朝会などの集まりで使うための建物だ。
階段を上がり、3階のホールに入ると、やはり生徒会担当の富岡の他に、四角い眼鏡をかけた放送委員会担当の火口もいた。富岡の担当教科は世界呪術史、火口は日本呪術史である。
「ああ、来ましたか!」
「おはようございます、土御門さん。濱口くんも、おはよう」
「おはようございます、富岡先生、火口先生」
「おはようございます。時間、まだ大丈夫ですよね?」
「ええ、大丈夫ですよ。むしろ早いぐらいです」
「さすがは土御門さん。もう生徒会長としての自覚をしっかりお持ちのようですね!」
龍臣は火口の言葉に密かに眉をひそめた。この男は京華が学院長の孫であるという理由から、何かにつけては媚びを売っているのだ。
「さあさあ、早いに越したことはありません。今日の始業式は時間配分が肝心です、早速取り掛かりましょう」
富岡がやんわりと言って場の空気を和ませる。
だが、時間配分が肝心だと言うのは事実だ。初等科、中等科、高等科それぞれの始業式で学院長である土御門絹江はスピーチをしなくてはならない。3つの式でそれぞれ話すことも違ってくるため、1つのスピーチを同時中継する訳にも行かず、始業式の開始時間と終了時間を3つの式それぞれ少しずつずらすことになっていた。
絹江が高等科で話すのは3つの中で一番最後なのだが、何にせよ初等科の運営委員会、中等科の生徒会本部と上手く連絡を取り合ってタイミングを合わせなくてはならなかった。
:
「では初めに、高等科生徒会長、土御門京華さんから挨拶をいただきたいと思います。土御門さん、お願いします」
自動的に講堂に響き渡った進行役の生徒の声の後、京華は壇上に上がって一礼し、中央に置かれた教卓に歩み寄り、再び一礼して前に立つ。京華が前に立つと、教卓の正面に彫られた学校のシンボルである鳳凰に命が吹き込まれ、閉じていた羽を広げた。
「おはようございます。夏休みが終わり、本日から新学期が始まります。夏休みはどうでしたか?楽しい休みが終わって惜しいと思いますが、久しぶりに友達と再会した人もたくさんいるでしょう。また明日から、皆で勉強に励みたいですね。私はかなり頭から知識が溶け出てますけれど」
講堂に笑いが起こった。京華は「頭から知識が溶け出た」と言っているが勿論嘘である。京華の頭は、夏休み前に習ったことをしっかりと記憶していた。
「皆さんは1日早く寮に戻ってきましたが、久しぶりに戻ってきてどうでしたか?『あーまた明日から学校かー』と思った人もたくさん居ると思います。きっと先生方から後で耳にたこが出来るぐらい沢山言われると思いますが、私から一番最初に言っておきますね。夏休み明けのこの時期は、やはり休みに戻りたいという気持ちの人が多くて、何かと問題が多発する時期です。『私は上手くやるから』と人事のように考えていても、そんなあなたももしかしたら問題を起こしてしまうかもしれません。今年も生徒会本部役員、及び各学級委員会、各種委員会の皆さんと一緒に対策をしていきますが、やはり私たちがいくら努力しても皆さんがアクションを起こさなくては始まりません。ぜひ皆さんも、人事と思わず、少し背筋を伸ばしてみてください。私からの長ーい話は以上です」
壇上から下りてくる京華を、龍臣は講堂の端から目で追っていた。
元からそういう力があるのだろう。壇上に立つ『生徒会長の土御門京華』は、生徒達の羨望を集め、惹き付けて止まない。
こんな人が自分の幼なじみだなんて、龍臣は15、6年ほど経っても未だに信じられていなかった。