「さあ、集中して……気を自分の身体から『護符』を展開するラインに向かって放出するようにして……」
京華は土御門家の所有地の1つである京都内の竹林にいた。
京華の前方、5メートルほどの距離を持った場所には真朱の着物をたすきがけにした絹江が立っている。京華は熟練の陰陽師である絹江から、陰陽道の指南を受けていた。
京華は目を瞑って集中し、自身の中の『気』を外に放出する。京華を中心として、周囲の竹や葉が風に煽られたようにざわめいた。
「──『守リノ護符』!」
不意に、パッ、と目を見開いた京華が、言霊と共に右手の指を2本揃えて立て、前に突き出す。
すると、京華を中心として勿忘草色の光が放出され、和紙に勿忘草色の絵の具で守りの言霊を書いた札が、京華の半径4メートル半ほどを守るように取り囲んだ。
強固な守りの術を広範囲で展開したにも関わらず涼しげな顔の京華を見て、絹江は愛弟子の成長ぶりに嬉しそうに目を細めた。
「よし、よし。完璧ね、よく出来てるわ」
「ありがとうございます、師匠」
京華は両手を太ももの横に揃えて絹江にお辞儀した。
「さあ、練習はもうお終い!帰ってシャワーを浴びて、かき氷でもいただきましょう」
絹江は着物の袖を縛っていたたすきをシュルッと解くと、それをクルクルと丸めながら言った。
すると、前方に薄緑色の光が出現し、その後に宙に浮かんだおかっぱ頭の少女が現れた。少女は薄緑色の着物を着て、ほんのりの着物と同色の光を纏っている。
「一葉様からの伝言です。ジム様が何かお話ししたいことがあるので、至急お屋敷にお戻り下さいとのことです」
これは一葉の式神である松だ。
「分かりました。ご苦労さま、マツ」
松はぺこりとお辞儀をすると、その場から溶けるように居なくなった。
「話したいことって何だろう?」
「さあ、何かしら?でもとにかく、お家に戻りましょうか」
「はい、お祖母ちゃん」
京華は絹江の肩に掴まり、その場から音を立てずに掻き消えた。
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「只今戻りましたー!」
屋敷の中に入ると、霧子とその他何人もの使用人達が出迎えに現れ、頭を下げてくる。
「お帰りなさいませ、お嬢様。訓練は如何でしたか?」
「ただいま、霧子さん。お祖母ちゃんからもお墨付きをもらえたよ」
「それはようございました──ジム様が、お嬢様にお話があるとのことで御座います」
「うん、松から聞いた。2人は?」
「居間にてお待ちになられております」
「分かった。シャワー浴びて着替えてから行くと伝えて」
「承知致しました」
京華は二階の自室へと入ると、訓練着を脱ぎ捨てて広々とした浴室に入った。裸になって頭からシャワーを被ると、誘惑に負けられず檜の浴槽に身を沈める。
「は〜……。気持ちー… 」
水面の上には、桔梗だろうか、香りの良い白い花が浮かべられており、魔法で閉じたり開いたりを繰り返していた。恐らくこうなることも見越して霧子が準備してくれていたに違いない。
(ああ、そういえばお祖父ちゃんに呼ばれてるんだった……)
人を待たせている以上、あまりうかうかしていられない。
京華はざぶりと湯槽から体を上げると、浴室を出て身体を拭き、着替えて髪を乾かすとジムのいる居間へと降りて行った。
「ああ、キョウカ!遅かったね!」
「うん、待たせてごめんなさい。それで、話って?」
「ああ、そうそう!」
居間に着くなり、ジムは興奮したように京華を呼んだ。それを一葉が困ったように見ている。
「実はイギリス魔法省時代の友人がチケットを手に入れてくれたんだ!」
「チケット?何の?」
「クィディッチだよ!しかも、イギリスで開催される今年のクィディッチ・ワールドカップ決勝戦、アイルランド対ブルガリアの!」
クィディッチと聞いて、京華は成程と納得が行った。道理でさっきからジムが興奮している訳だ。
日本ではまだイギリスやヨーロッパほど盛んではないけれど、でも充分人気がある魔法界のスポーツだ。京華もやったことはないが、幼い頃やはりそのワールドカップを見に行って酷く興奮したのを覚えている。
それが決勝戦ともなれば、世界中のクィディッチファン達が喉から手が出るほど欲しがるチケット。先ほどの言葉からするに、ジムは魔法省にかなり強力なコネがあるのだろう。
「決勝戦?凄いね!」
「ああ、だろう?ボックス席のチケットが6枚あるから、みんなで行こうと思ってね」
「ちなみに、いつなの?その決勝戦」
「ああ、えーと……イギリスで3日後に開催だね」
3日後とはまた随分急だな、と京華は驚いた。
だが、別に困るような予定が入っている訳でもない。心配なのは絹江と雪人の予定ぐらいだ。雪人は例によって政府の仕事があり、絹江は三大魔法学校対抗試合の最終調整に入っているらしくこちらも忙しくしている。
「うん、私は別に大丈夫だけど……他のみんなは?お父さんとかお祖母ちゃんは忙しいんじゃないかな?」
「ああ、さっき連絡してみたら大丈夫だったわ。お父さんも遅れるけど試合までには間に合うって」
「本当?良かった!」
その後やって来た清史郎にクィディッチのことを熱く語るジムを、京華と一葉は眉を下げた似たような顔で見ながら、つぶあんと抹茶味のかき氷を食べた。
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「す……凄い人……」
人の多さに呆気に取られながら、京華は人混みの中を進んだ。
京華は今、雪人を除いた他の4人と共にイギリスのとある森の近くのキャンプ場にいた。この森の反対側にはイギリス魔法省が500人を動員して建設したという立派な競技場が建てられており、京華はまず一晩過ごすテントを張るためにジムの予約した自分たちのスペースを探しているところだった。
「だってワールドカップですもの。しかもイギリスでの開催は、確か…」
「100年ぶりだよ、カズハ」
「そうそう、100年!盛り上がるのも無理ないわね」
「ここには一泊して行くんだっけ?」
「ええ、そうよ」
「本物のクラムを見れるんだ!すげー!」
京華の隣では、4月に中等科に進学した清史郎が興奮した面持ちで飛び跳ねている。
「クラム?」
「ビクトール・クラムだよ!ブルガリアのシーカーなんだ。確か姉ちゃんと同い年ぐらいだったんじゃないかなあ。すっごいんだよ!」
「ふーん。シーカーって、スニッチを取るポジションだっけ?」
「そう、それそれ」
あっという間にクィディッチ談義を始めた男性2人を、3人の女性陣が微笑んで眺める。こういうところは、やはり清史郎はジムの血を引いているのだろう。
「あ、着いたよ。ここだ」
そこから少し歩くと『レヴェリッジ』と書かれた看板の立った空き地に辿りついた。
絹江がハンドバッグから折り畳んだテントを取り出してジムに渡し、ジムがそれを杖で軽く叩くと、たちまちテントがぴんと張られた。
「さあ、入って。使うのは久しぶりだけど、快適に過ごせるはずだよ」
先を譲ってくれたジムの脇を通り抜けて京華がテントの中に入ると、京華は目をぱちくりさせた。
外は何の変哲もないただのテントだったのに、中は広々としたログハウスのような内装になっていた。すべすべした木の壁、吹き抜けになった天井の天窓からは、さんさんと太陽の光が降り注いでいる。剰えほんのりと木の香りまでした。まあ、魔法界のものが外見より大きかったり広かったりするのは何も今に始まったことではないのだけれど。
京華は階段を登って2階に上がり、空き部屋のベッドの側にキャリーケースを置いた。
「キョウカ、後で知り合いの人達に挨拶をしに行くんだが、着いてきてくれるかい?」
「ああ、もちろん。いいよ」
「京華、お昼までまだ時間あるし、外を見て回ったら?清史郎はもう行ってしまったわよ」
「本当?もう……。じゃあ、私もそうしようかな」
暗に一緒に挨拶回りをしてくれ、と頼まれた京華を気遣うように、一葉がそう声をかけた。挨拶回りなど、もう慣れっこだというのに。確かに息は詰まるが、でもこれは土御門家に生まれた以上は仕方のないことだ。
だが、異国の魔法使いや魔女たちを見る機会はあまり無い。京華は一葉の言葉に甘えることにして、キャリーケースから小さなショルダーバッグを取り出すと、必要なものだけを詰め込んでテントを出た。
「うわあ……凄い…」
何がって、熱気がもう物凄い。それに、あちこちに設置された様々なテントは眺めているだけでも楽しかった。不思議な魔法生物が繋がれていたり、庭付きのテントや、広々とした館を模したテントなどもあった。色とりどりのローブを着た魔法使いや魔女が行き交い、様々な言葉で会話をしていた。(皆一様に興奮した声色ではあったが)
「わっ!」
「きゃ!」
キャンプ場を一周し、そろそろテントに戻ろうとキョロキョロしながら歩いていたら、前方からやって来た誰かと思いっきりぶつかってしまった。反動でよろけてしまい、後ろに転びそうになる。
「っと!」
でも、幸い地面に転がって人々のブーツに踏まれる事態は免れた。ぶつかってしまった人が京華の腕を掴んで支えてくれていたのだ。
「す、すみません!」
「いいえ、お怪我はありませんか?」
「いえ、大丈夫です。ごめんなさい」
灰色の瞳の、背の高い青年だった。