「おっ、珍しい、佑が出てきてら」
「………」
最近はよく、隣の家の兄弟たちに出会す。隣に住んでいるのだから、決しておかしなことではないのだけど。またお母さんに頼まれて花の水遣りをやっていると、お隣の粟田口家の三男、粟田口厚が家から出てきた。確か薬研より二つ年下だったはずなので、今は高校一年生くらいか。厚とは最後に会ったのはいつだっただろうか。最後に見た時、学ランを着ていた気がするので恐らく一年は経っている。
「久し振りだな」
「そうだね」
「つーかクマひっでーな。ちゃんと寝てんのか?」
「薬研みたいなこと言うね」
「それ見たら薬研じゃなくても言うっつーの」
呆れた様子の厚に視線だけ寄越して、水を止める。「仕事上、仕方ないから」呟くようにそう言って、ホースの片付けを始めた。
考え込まずとも言葉を発せるようになったのは、いつからの事だったろうか。確か、一期に告白をしてしまったあの日からだ。誤解を恐れて言葉を選んでいた私だが、思いを告げてしまったあの日から、そんなこともどうでもいいと思ってしまうようになった。もう一期相手じゃなくたって、それなりに人と話が出来る。言葉は相変わらず少ないかもしれないが、昔ほど、言葉に詰まったりはしない。これを成長と言って良いのかは分からないが、時が経つにつれて訪れる変化をそう呼ぶのなら、これはきっと成長なのだろう。成長にはそれぞれきっかけが伴う。私の成長するためのきっかけは、皮肉にもあの日の、口を次いで出てしまったあの告白だったのだ。
「薬研心配してたぜ?」
「へえ、そっか」
「そっかってお前…」
「出来るだけ、寝るようにはしてるけど、なかなか上手くいかないんだよ。薬研にありがとうって言っといて」
「…はあ、分かったよ」
あしらうような形になってしまったが、なかなか眠れないのも本当だ。仕事のせいだというのは嘘だが、それとは関係なく、目を閉じて眠れたとしても二、三時間程度。眠たいのに、もう一度寝ようとしても寝付けない。お陰でクマは酷くなる一方だった。
「あ、そういやいち兄に会ったか?」
その名前に、僅かに反応した。きっと厚には気付かれていないが、ここまで顕著になると、自分で嫌気がさしてくる。厚には聞こえないよう息を吐いて、「会ったよ」とだけ返した。
昨日、久々に幼馴染の一期に会った。四年前とあまり変わらない――もちろん多少大人っぽくはなっていたが――その姿は、やはり幼い頃から変わらない、��王子様�≠セった。昨日は冷静に話が出来なかった。正直、これからもあの話を冷静に一期と話す事はできそうもないが。
「卒業直前からさ、二人とも忙しそうにして会ってなかったじゃん? まあ高校生の男女だし色々あるんだろうけどさ」
兄ちゃんと姉ちゃんは仲良くしてくれてるほうが嬉しいよな、とその言葉に、少しだけ笑いそうになった。厚から見れば、六つも年上の兄と、その兄とずっと一緒にいる私は姉弟のようなものなのだろう。厚も、きっと薬研や他の兄弟たちも、私と一期の仲が悪くなっていくことなんて望んでいない。だから、一期も私も、あの日のことなんて忘れてしまったほうがいい。私達はずっと幼馴染で、一期は他に大切な人を見つけて、幸せになる。そこにいるのは、私じゃない。
「男女の色々とか、ないよ。私と一期には」
「え」
「一期は幼馴染だからね」
厚は不思議そうな顔をしていたが、暫く黙って、最後には「ふうん」と興味のなさそうな返事を返した。
▽
突然だが、私の担当編集者は、とても若い。どれくらい若いかって言うと、私と年齢が二つほどしか変わらないくらい若い。とても仕事ができる人らしく、大学を卒業してすぐ出版社に就職して、一年で担当作家をもてるようになったのだという。まあその作家というのが私だったわけなのだが、新人だったとはいえ、そんなすぐに担当を任せてもらえるのは凄いことなのだと思う。よく知らないし、分からないが。まあとにかく、私の担当さんはとても若く、そしてとても綺麗な顔をしている。黙っていれば儚げな美青年で、まるで本の中から出てきたような、一期とはまた違った感じの王子様だ。そう、あくまでも黙っていればの話だが。まあそれはさて置き、最近私はあまりよく眠れていない。つまり目と頭が疲れているのだ。だというのに、こうして容赦なく眩しいもので視界を攻撃されるのはとても辛い。
「目が痛い」
「こりゃ驚いた。人を見るなり、随分なご挨拶じゃないか? 空木」
私の担当編集者――鶴丸国永は、出会頭に悪態を吐き出した私に苦笑を浮かべてみせた。そんな姿も絵になる。ああ本当に眩しい。寝不足の目には辛いものがある。
「眩しい。視覚の暴力です」
「散々な言われようだな。それにしても君、凄いクマだな。寝たんじゃないのか」
「寝ました。トータルで五、六時間くらい」
「締切終わってから、三日は経っていると記憶しているんだが、俺の記憶に間違いはないか?」
「ないですね、ちょうど三日です」
「なんだってそんなに寝てないんだ」
「はあ、なんででしょうね」
曖昧な返事を返して、私は鶴丸さんの前の椅子に座った。今日は打ち合わせで、近くの喫茶店に来ていた。全体的に白くて目に優しくない上、彼といると周りからの視線も痛い。一期もそれなりに視線を集めていたが、まあ一期とはこういう場所に二人で出かけたことがないので経験がない。だからこの人と外での打ち合わせは嫌なのだ、と軽く息を吐き出した。
「今度は溜息か」
難儀だなあ、と、彼は笑った。彼はこういったことで怒らないタチだ。だからまあ、仕事をする上でも話をする上でも、楽ではある。ただ、今日のコンディションでは彼の容姿がとっても最悪だというだけで。
「すみません、ちょっと色々ありまして」
「色々?」
「色々です。大まかに言うと一つしかないんですが、県外の大学に行っていた幼馴染が帰ってきました」
「ほう、そうなのか。奇遇だなあ、俺もつい最近、県外の大学から後輩が帰ってきた」
「まあそういう時期ですよね」
「そうだなあ」
しかし鶴丸さんの後輩とは、また苦労しそうな位置にいる。可哀想に、と少しその後輩さんに同情したが、今日ここに来たのはそんな話をするためではない。話が逸れましたね、と軽く謝罪して、仕事の話に戻った。
「そうだな、とりあえず今日は校閲した原稿を渡すだけにしておくよ。あんまり体調もよくなさそうだし」
「はあ、お気遣いどうも」
軽く会釈をして、封筒に入った原稿を受け取る。かなりギリギリで書いて送ったので、誤字やら色々沢山ありそうだ。見るのが恐ろしい。
「で、まあこれで用事は終わったわけなんだが」
「そうですね」
「すぐ帰るなんて野暮だし、とりあえず、なんか頼んでいったらどうだ? 経費で落ちるぜ」
「…そうですね。お言葉に甘えることにします」
原稿を鞄の中にしまって、メニューを開いた。彼が選んだ喫茶店なだけあって、とても充実した内容だ。適当にコーヒーとケーキを注文して、そのまま黙ってケーキを食べるなんてわけにもいかないので、話題を探してみる。しかし彼の方が、それを見つけるのは早かったようだった。
「君、彼氏とかはいないのか?」
まったく野暮な質問だ、と思った。分かりやすく顔を歪めると、鶴丸さんはからからと笑った。
「予想通りの反応だな、驚きの欠片もない」
悪かったな、とは心の中で返して、口に出すぶんには「プライベートなことなので」と定型文を返した。鶴丸さんは何がおかしいのか、変わらず笑っている。
「さっきはプライベートなことを話してくれたじゃないか」
「幼馴染のことだったら、これ以上は話しませんよ」
「そうか、そりゃあ残念だ」
残念になんか思っていない様子で、鶴丸さんは肩を竦めた。なんだか悔しくなったので、先ほどの質問に答えてやることにした。
「彼氏なんかいませんよ」
「お、答えてくれるのかい」
「よく考えたら隠すことでもないですし」
「へえ、じゃあ今までいたことは?」
「ないです」
「好きな人は?」
「…なんでさっきから恋愛の質問ばっかなんですか」
流石に嫌気が差してきて、私は顔を顰めて鶴丸さんを見た。鶴丸さんはそんな私の問いにきょとんとした顔をして、「女の子は恋愛の話が大好きじゃないか」とのたまった。
「ひと括りにしないでください」
「ひと括りにっていうか、君恋愛小説をよく書くし」
「書きやすいってだけです。そもそも私の小説、悲恋ばかりでしょう」
「まあそうだなあ」
私の作品は、大方が悲恋ものだ。今回はハッピーエンドの話を書いてほしいと言われたのでそうしたが、基本的に普段書くのは叶わない恋だ。今回締切ギリギリで作品を完成させたのも、恋の叶う様子、その時の心情なんかがなかなか上手く書けなかったせいだ。一期に告白して逃げてしまった私に、ハッピーエンドの小説をそう簡単に書けるはずもなかった。
「人に恋愛の話をするのは、得意じゃないです」
「恋愛作家の言葉とは思えないな。…まあ、いいさ。分かった、この話はここで終わろう」
この人のこういうところが好きだ。嫌な理由だとか、意志だとかを明確に示せば、それ以上は踏み込んで来ない。嫌な顔をせず引き下がる。だから私も遠慮無く嫌な理由を言うことができて、こうして円満に仕事を進められている。
運ばれてきたケーキを食べた。クラシックのチョコレートケーキだ。甘いが、どこかほろ苦い味が口の中に広がる。美味しいですね、と口を開こうと思ったところで、ふと、鶴丸さんが誰かに気づいたように私の後ろを見て、「おっ」と声を上げた。
「え?」
「一期? 一期じゃないか?」
嬉しそうに片手を上げて、私の後ろにいる、知り合いらしい誰かに呼びかける鶴丸さん。私はといえば、たった今鶴丸さんの発した��誰か�≠フ名前に、間抜けにも固まってしまっていた。
「鶴丸先輩?」
後ろから聞こえてきた声に、更に身を固くした。同名の違う人だったら、という願いは、どうやら叶わないらしい。耳触りのいいその声は、私がよく知っている人物のものだ。
「なんだ、奇遇だなあ。一人か?」
「ええ、ここはケーキのテイクアウトもしているでしょう? 弟達にお土産でも、と思いましてな。…鶴丸殿は、デート……ですか?」
「いや……ああそうだ、空木。こいつがさっき言ってた、県外の大学から帰ってきた後輩なんだ。粟田口一期という」
私は何も答えられないまま、ただ俯いていた。さっきの鶴丸さんの話に出てきた後輩が彼――一期だということは、先ほど私たちは同一人物の話をしていたのか。おかしな話だ。しかし笑う気力なんてものもなく、むしろ泣きそうになりながら、どう乗り切るか、頭を働かせていた。
頭上で、一期が息を呑むのが分かった。どうやら私に気付いたらしい。
「佑?」
ビク、と肩を震わせた。恐る恐る前を向くと、一期と目が合う。一期と目を合わせるのは、いつ振りだろう。相変わらず、綺麗な金の瞳をしている。見ていられなくて、またすぐに俯いた。
「どうして鶴丸先輩と…」
「なんだ? 君ら知り合いなのか?」
「ええと、幼馴染…ですが…」
「幼馴染? じゃあさっき君が言ってた幼馴染って一期の事だったのか? お互い同じやつの話をしてたなんて、こりゃあ驚きだな」
さっき私が思ったことを、鶴丸さんがそのまま言葉にする。まったくだ。世間というものは本当に狭い。
「もしかして、鶴丸先輩が……」
一期のその呟きが妙に気になって、私は顔を上げた。もしかして、とはなんだ。一期はそんな私の視線から逃げるように、ふい、と目を逸らした。一期らしくない仕草だと、思った。
「ええと、お邪魔しては申し訳ないですね。弟達も待っていますし、私はこれで」
一期はそう言って、踵を返した。しかしふと、何か思い出したように立ち止まって、私の方を見る。
「佑」
「……、え」
「ケーキ、佑のぶんもありますから。明日にでも、一緒に食べましょう」
一期はそう言って微笑むと、今度こそ帰っていった。
「いやあ、驚いた。本当に君ら、幼馴染なのか?」
「…一応」
「一応ってなんだ」
「特に意味はないです」
「ふうん?」
鶴丸さんは机に肘をついて、不思議そうに相槌を打った。
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