「佑さん! 一緒にケーキ食べましょう!」
次の日、やはりあまりよく眠れなかった私は、昨日鶴丸さんから渡された仕事を済ませてしまおうと机に向かっていた。精密に校閲された原稿は毎度のことながら見るのも嫌になってしまう。どうやら私は誤字が多いらしい。まあそんなことはさておき、今の状況だ。何故だか隣の家の粟田口家の…もう何番目の兄弟だとかは覚えていないが、前田と平野が部屋に押し掛けてきた。この二人は数多い粟田口家の兄弟の中でもそっくりな顔をしている双子だ。確か記憶している限りではもう一組双子がいたような気がするが、あっちはもう中学生だろうか。顔はそこそこ似ていたような気がする。
前田と平野は冒頭の台詞を言って、こっちの返事も聞かずに腕を引っ張り部屋から連れ出そうとしてくる。なんだ、何事だ。ケーキってなんだ。
こんがらがる頭で必死に考えているうちに、粟田口家へと着いてしまった。私がリビングに入った瞬間、入口近くに立っていた一期と一番に顔を合わせてしまって、私はこれでもかというほど驚いた。しかし一期のほうは驚いた顔をしたのも一瞬で、すぐにいつもの綺麗な笑みを浮かべてみせる。相変わらず、隙がない。
「いらっしゃい。ケーキ、食べましょう」
「え、っと……ケーキ、って」
「昨日の…佑のぶんも買っておいたと……あれ? 言っておきましたよね…?」
「え? ……あっ!」
そういえば、と昨日のことを思い出して、少し、居たたまれなくなる。そういえば帰り際にそんなことも言っていた。しかしまさか本気だなんて思わないじゃないか。
「えっと……ごめん、ありがとう。ケーキいくらだった?」
「………」
一期が少し、不機嫌そうな顔になった。一期がそんな顔をするなんて、長い付き合いの中でもあまり見たことがなくて、少し驚く。一期は溜息を吐き出して、私の頭をポンポン、と軽く叩くように撫でた。
「馬鹿ですね、お金なんて要りません。これは弟達と佑への土産です」
「え、あ、うん…」
一期が馬鹿って言った…と、軽くショックを受けながら、とりあえず一期の厚意に甘えさせてもらうことにする。軽く頷くと、グイッと腕を引っ張られてソファーへと導かれる。腕を引いたのは秋田だ。
「えへへ、佑さんが家に来るのは久し振りですね」
嬉しそうな顔をされて、悪い気はしない。ピンク色のふわふわした髪を撫でて、少し微笑んだ。一期と最後に会ったあの日を境に、そういえばここには一度も来ていなかった気がする。それどころか、薬研や厚なんかは除いて、秋田や平野たちなんかに会うのも久々かもしれない。仕事や私の気持ちの整理なんかが色々と重なって、会うことすら忘れていた。
今日全員は居ないようだが、できるだけ話ができるようにしよう。一期とも、また昔みたいに、何事もなかったかのように、話すことができるだろうか。
「お、佑じゃねえか」
一期からケーキを受け取って、小さい弟達に挟まれながらそれを食べていると、リビングに薬研が入ってきた。薬研は私を見つけると軽く笑って手を上げてきた。家の中だけで掛けているらしい眼鏡がよく似合っている。
「薬研もケーキ、食べるかい?」
「おう、ありがとないち兄」
一期とそんなやりとりをして、薬研は私の向かいのソファーに座った。「大人気だな」と私の両隣に座る幼い弟達に、薬研は微笑ましげにそういった。
「薬研兄さんも入りますか?」
平野が薬研に気を遣ったのか、そう提案してきた。どうやら先程の言葉が小さい弟達を羨んでいるように聞こえたのかもしれない。薬研は苦笑して、首を横に振った。まあ確かに四月から大学生になろうというのに、流石にそれは恥ずかしいだろう。
「それよか佑、クマとれてねえじゃねえか」
「…あー…」
がらっと変えられた話題に、思わず呻いた。バレたか、と小さく呟くと、「寧ろそれでなんでバレないと思ったんだよ」とご尤もな言葉が返ってくる。返す言葉もない。今日はまだ鏡を見ていないが、あれからほぼ睡眠をとれていないのでクマは消えるどころか濃くなっているだろう。薬研には何か言われると思った。
「寝不足なんですか?」
「、一期」
薬研のぶんのケーキを運んできた一期が、心配そうにそう尋ねてきた。しまった、一期に聞かれてしまった。内心焦って、「まあ、ちょっとね」と誤魔化すように笑う。
「きちんと寝ないといけませんよ」
「いや、なんか寝ようと思っても寝れないというか…」
「不眠症ですか?」
隣で、不思議そうに前田がそう言った。不眠症なんてよく知ってるな、と少し感心して頭を撫でて、首を横に振る。多分、そんなことはないと思うのだが。不眠症の症状を詳しく知っているわけではないが、突然なってしまうという場合も十二分にあるわけだ。とはいえ、まだそんなに問題視もしていない。原稿が終わったばかりで、頭がずっと起きている状態なだけかもしれない。きっとそのうち治るだろう。
「いーや、無理矢理にでも寝たほうがいいな」
「大丈夫だよ」
「徹夜常習犯の言葉は信用しねえ」
徹夜常習犯って、なんか悪いことしたみたいじゃないか。仕事柄そうってだけなのに。これ以上何を言われるか分からないので、とりあえずケーキを食べるのに集中することにする。一期が昨日食べていたケーキと同じものを買ってきてくれていた。好みを知られていると思うと、少し気恥ずかしい。
「徹夜常習犯? 何ですそれ?」
薬研の言葉に遅れて反応してきた一期に、ぎくりと背筋を伸ばした。まずい、反応されてしまった。
「ちょっとね」
誤魔化してみる。一期は眉を寄せて、薬研の方を見た。あ、まずい。
「聞いてくれや、いち兄。佑のやつ、高校卒業してから不規則な生活ばっかして…」
「や、薬研」
「そうなんですか?」
「まあうん……でも一期には関係ないよ」
言ってから、しまったと思った。一期に関係ないのはそうだけど、こんな言い方はなかったんじゃないか。罰が悪くなって、スッと目を逸らした。
一期はしばらく黙っていたが、やがてふ、と微笑んでみせた。
「…そうですね、すみませんでした」
「……あ」
悲しそうにも見える笑顔でそう言った一期は、「珈琲でも淹れましょうか」と立ち上がり、リビングを出て行った。一期を見送った一同は、私の方を見て、じとりとした視線を送ってきた。
「佑、お前なあ」
「…ごめんなさい」
「あんなこと佑さんに言われたら、いち兄ショックですよ」
「そうですよ、いち兄が可哀想です」
「うううごめんなさい……あんなこと言うつもりはなかったんです…」
前ほど深く考え込まず会話をするようになってから、まともに会話が出来るようになったのと同時に失言も増えた。だけど今まであまり大きな衝突も失言もなく、それほど深く考えたことがなかった。しかし、今のは私でもわかる。酷いことを言った。
薬研に呆れた目で見られ、両隣から秋田と前田に責められる。ごめんなさい。猛省しております。
薬研が私の名前を呼んで、クイ、と一期の出て行った方を親指で指した。行け、ということらしい。
「でも」
「行け」
言葉でも言われてしまった。はい、と頷くしかない。食べかけのケーキを置いて、立ち上がる。真っ直ぐ扉に向かって、部屋を出た。向かうべくは、キッチンだ。
「……一期…?」
重い足取りでキッチンに向かって、そろりと顔を出した。粟田口家を一人で動き回るのに、それほど抵抗はないがそこに一期が居ると思うとどうにも緊張してしまう。悪いことをしてしまったという気持ちがあるのも然ることながら、私が一期を好きだというのも大きい。諦めきれていないそれに、自嘲した。
名前を呼ぶと、私に気付いた一期が振り返った。いつもの笑みを向けてくる。
「佑。どうしました?」
「あ、いや…」
言葉に詰まる。やっぱり一期の目をまっすぐ見られずに、顔を伏せた。一期は言葉が出てくるまで待ってくれる。昔と変わらない。
「……あの、えっと。さっきの…」
「はい」
「えっと……さっきは、」
ごめんなさい。そう言葉を続けようとしたところで、一期の後ろで薬缶がピーッと鳴った。今更だけど、薬缶でお湯沸かしてたのか。すぐそこに電気ケトルが置いてあるのに。
一期は慌てて火を止めて、置いてあったカップにお湯を淹れた。そうしてその内の三つだけ、ミルクと砂糖をたっぷり入れて掻き混ぜた。きっと秋田たちのぶんだ。
「佑」
「え、あ、はい」
「薬研たちのぶんを持って行ってくるので、少し待っていてください。部屋で話しましょう。私も話があります」
「え、いや」
「良いですな?」
にこり、微笑まれて、私は口を噤んだ。こくりと、頷くしかない。粟田口家の言葉には、妙な強制力がある。
「どうぞ」
手渡されたカップには、湯気のたった珈琲が淹れられている。インスンタントだろうが、いい香りだ。ありがとうとお礼を言って、促されるままベッドに座った。珈琲を持ったままベッドに座るというのはとっても気が引ける。一口飲んで、近くのテーブルの上に置いた。
「えっと」
「はい」
「さっきは、ごめんなさい。言い過ぎました」
「…いえ。こちらこそ。ただ、心配だったんです」
その言葉に頷いて、もう一度謝った。一期は優しい。あんなことがあったのにまだ、こんなにも優しい。
一期は微笑んだまま、ゆっくりと目を伏せた。そんな小さな所作でさえ、絵になって見えた。そうして、ゆっくりと話し始める。
「…あなたは、この四年間で随分と変わりましたね」
「…そうかな」
「はい。以前より、はっきり、そしてすぐに言葉が返ってくるようになりました」
「………」
そういう話なら、確かに変わったのかもしれない、と内心で頷く。この四年間で、急速に、私は変化した。十八年間で成しえなかった��成長�≠�遂げた。この変化を厭う気持ちもあれば、良かったと安心する気持ちもある。一期はこの変化をどう思っているのか知らないがしかし、これが今の私である。
「その、変化は」
「、」
「鶴丸先輩の、影響でしょうか」
「……え?」
急に話が見えなくなって、思わず問い返す。何でここで鶴丸さんが出て来るんだ。一期は私の反応に多少怪訝そうな顔をしたが、すぐにまた話を続けた。
「確かにあの人の影響力は凄い。付き合っているというなら尚更、その変化は表に表れるものでしょう」
「え、ちょ、まって」
「ですがやはり寂しいものもあります。こうも四年の間に変わっているなんて」
「ちょっと」
「私は…」
「一期」
少し強く、名前を呼んだ。一期は驚いたような顔で、言葉を止める。
どうやら一期は、なにか変な誤解をしているらしかった。
「まって、私鶴丸さんと付き合ってないよ」
「え? しかし昨日」
「あれは、仕事で。それに、私が変わったのは、鶴丸さんの影響なんかじゃなくて…」
私が変わったのは。そこまで言い掛けて、言葉を詰まらせた。あの日の告白のせい、だなんて、この間忘れてくれと私が言ったばかりなのに、言えるはずもなかった。
口を噤んだ私に、一期が困ったように笑った。言えないことを察してくれたらしい。
「そうですか。何やら私は誤解をしていたようですな」
「…うん」
「お恥ずかしい。しかし、それで少し、安心しました」
「安心?」
首をひねった。なんだ、安心、とは。
「今度、一緒に出掛けてはくれませんか。お相手のいる方を誘うのは、少し気が引けると思っておったのです」
「え……一緒に…、そ、れは構わない、けど」
「良かった」
一期は綺麗に微笑んだ。どくり、と心臓が高鳴る。
「水族館のチケットを二枚もらったのですが、弟達を誘うには少ないし、かといって自分一人で一枚だけ消費するのも、と、持て余していたのです」
「ああ、なるほど」
納得して、また頷いた。水族館なんていつぶりだろうか。最近はあまり外にすら出ることも少なかったので、誰かと休日に出掛けるというのは久々だ。
一期と話していると段々と緊張が解けてきて、体の力が抜けてきた。そうして同時に、一気に眠気も押し寄せてくる。目を擦る。
「眠いですか」
軽く、頷いた。
「眠ってもいいですよ。起こしてあげます」
流石にそれは、と思ったが、一期の優しい声を聞いていると、段々と意識が薄れてきた。駄目だ、帰って寝ないと。すぐ隣。少し歩けば、そこに家がある。歩かないと。
しかし体は動いてくれない。
「……ね、む…」
意識が沈んでいく中、微睡みの中で「おやすみなさい」と一期の声が聞こえた気がした。
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