桃水様リクエスト
『綾辻行人の甘く暗い御噺』


『      』

 彼女の、最期の言葉は何だったろう。


 ▽


「綾辻先生? 何見てるんですか?」
「………、」

 綾辻行人は、監視人である辻村深月の声に沈んでいた意識を浮上させた。綾辻の驚いたような顔に、声を掛けた辻村迄もが驚いたような顔を見せて、お互いに暫く沈黙していた。

「―――…え、あ、あれ? どうしたんですか、先生?」
「…………嗚呼―――いや」

 何でも無い。そう言い掛けて、綾辻は言葉を止めた。そうして、先程までじっと見つめていたもの――真新しい髪留めへとまた視線を戻して、少し考えるような素振りを見せた。

「………君よりも幾つか前に居た、監視人の一人の事を思い出していた」
「? 私よりも前……ですか? 確か先生が嫌になって辞めたり馘首(クビ)になったり……色々でしたよね」
「嗚呼。…そうだな、少し噺をしよう」

 綾辻は、もう一度髪留めを見つめ、ぽつりぽつりと話し出す。折角買った髪留めを、渡す事すら出来なかった、と或彼女の噺。


 ▽


 空木佑は、苦笑いと困り顔の貼り付いた、酷く冴えない女だった。頭の回転はあまり早いとは云えないし、強いかと云われても、そう云う訳でもない。顔は不細工と云う訳でもないが整っているかと云われればそうでもない。強いて云うなら、其の釣り目と死んだ目は、見る人が見れば不細工だと捉える人も居るかも知れない。空木佑は、そんな只々普通の、何処にでも居る冴えない女だった。

「綾辻先生〜…………報告書書いてくださいよ〜…」

 酷く頼りない其の声に、綾辻はピクリと眉を上げて、顔を上げた。遮光眼鏡越しに綾辻の冷たい目に射抜かれた空木は、ビクリと肩を震わせた。然し負けじと、報告書を書くよう、促してみた。

「ほ、報告書を、書いてくれないと、わ、私が怒られるんですが、えっとあの」
「………空木君。もう少しはっきり喋れないのか、君は」
「えっ、あ、す、済みません……」

 簡単に謝ってしまった空木に綾辻は大きく溜息を吐き出して、ゆるりと首を横に振った。直ぐに謝る事が悪い事だとは云わないが、如何せん彼女は少し自分の意志が弱すぎる、と綾辻は思う。呆れた様子の綾辻を目の前に、空木はビクビクと顔色を伺っている。若干泣きそうにも見える。
 綾辻は其れに少し苛ついてしまって、反抗する様にふいと顔を背けた。其れを空木は報告書を書く気がないと捉えたらしく、「あ、綾辻先生〜」と再度情けない声を上げた。

「……空木君、君は権力と云うものの使い方を知らないのか?」
「、………へ? け、権力? ですか?」

 余りにも情けない其の声を聞き兼ねて、綾辻は思わず口を出してしまっていた。空木はきょとん、と首を傾げて綾辻を見つめ返した。

「君は、今、言葉一つで俺を殺せる状況にあるんだぞ」
「………え…………? ……、っ! あっ! そ、そうかええと、だから………そうですよ綾辻先生! 報告書を書いてくれないなら貴方の命が―――」
「まあ、其れを行使した瞬間俺の君への信頼は零になるんだが」
「ええっ!」

 ガーン、と効果音付きで解り易く衝撃を受けて落ち込んでしまった空木の姿をチラ目で見遣りつつ、其の遣り取りの内に書き上げてしまった報告書をヒラリと落とした。其れを拾い上げた空木は、バッと顔を上げ、綾辻を見た。何時も死んでいる其の目は心無しか、キラキラと輝いている。

「綾辻先生…!」
「其れ以上その目を向けるなら、此れ以降報告書を書かなくなるぞ」
「えっ、あ、ハイ!」

 勢い良く視線を下に下げた空木を横目で見遣って、大きく嘆息。

「本当に君は不器用だな」

 空木は其れに、変わらない苦笑を貼り付けて応えた。


 ▽


「綾辻先生、事件の依頼なんですが……」

 と或日の事、酷く申し訳なさそうに、空木は依頼内容の記載された書類を差し出してきた。綾辻は変わらない其のオドオドとした態度に若干の苛つきを覚えつつも、其の紙を受け取り、目を通していく。どうやら此処から少し離れた所にある洋館で殺人事件が起きたらしい。

「………移動に時間が掛かるな」
「あ……えっと、電車を使って行く様になるんですが…」
「……電車? 空木君、君は運転も出来ないのか?」
「え………あ、はは……お恥ずかしながら……未だ未成年ですし…」
「………未成年?」

 ピクリ、綾辻の眉が上がった。

「空木君、君は幾つだ?」
「じ、十九歳……です」
「十九?」

 綾辻は不覚にも驚いて、思わず空木を凝視した。そうは見えないが――と改めて見てみると確かに、幼い顔立ちをしていた。然し十九と云う若さでエージェントになれる程の実力があるとも思えないが――と、其処迄考えて、ゆるりと首を横に振った。別にどうでもいい事だ。

「…十九でも車の免許位は取れるだろう」
「あ、えっと………云い訳では無いのですが、今迄取れる環境に居なくて……」
「………」

 先程から意味深な発言ばかりする空木をチラリと睨んで、思わず息を吐きだした。

「……もう佳い。疾く行くぞ空木君」
「え、あ、はいッ」


 ▽


 洋館での事件は滞り無く解決した。事件の真相を言い当てられた犯人は取り乱し、京極による教唆を仄めかす内容を口にして、綾辻の異能により��事故死�≠オた。空木は其れを辻村の様に止める事無く、注意もせず、じっと困り顔で見つめていた。きっと後で怒られるのは彼女なのだろうと綾辻は思うが、綾辻には関係のない事だった。

「綾辻先生、お疲れ様です。御美事でしたね」
「…あんなもの、初歩的なトリックだ。美事でも何でも無い」
「いいえ、あの場に居る全員が――犯人以外の全員が、分かっていなかったんですから、御美事ですよ、綾辻先生」
「………」

 ―――世辞では無かった。然し、綾辻は妙に苛々としてしまって、舌を打った。すると空木は「ええッ」と大袈裟な反応を返して、泣きついてくる。「な、何で舌打ちされたんですか私!?」と其れを無視して、スタスタと先を進んだ。

「あっ、綾辻先生〜」
「……そうだ空木君」
「、へ?」
「此の先に土産物屋があったな」
「え………あ、そ、そうですね…? ……え? い、いや駄目ですよ? 真っ直ぐ帰らないと怒られちゃいますし…あ、綾辻先生?」

 無視して先へと進む綾辻に、空木は泣きそうな声で綾辻の名前を呼んだ。止まる様子の無い綾辻の名前を暫く呼び続けていた空木だが、訊く気が無いのだと悟ったのか、諦めたように綾辻の後ろを付いて行く。前を歩く綾辻は、少しだけ微笑んでいた。


「綾辻先生、そんなに行きたい所があったんですか…?」
「………そう云う訳ではないが」
「えっ、違うんですか?」

 なら何で…と変わらず困った顔を見せる空木を横目で見遣り、近くにあった小物屋へと足を向けた。急に方向を変えた綾辻に遅れて、空木も其の店に足を向けた。

 其の店は、女物の髪飾りを主に売っている店の様で、ちらほらと女性客の姿が伺えた。お洒落な店だ。身嗜みに気を使うのが余り得意でないだろう空木はその店の雰囲気に気後れしたように若干後退りした。

「あ………わ、私外で待ってますね」

 そう云ってそそくさと店を出て行く空木の後ろ姿を見遣り、嘆息。彼奴は本当に女なのだろうか、綾辻は思う。

「何かお探しですか?」
「……、」

 空木が出て行き、若干綾辻も店内で浮き始めていた時、店員が声を掛けてきた。綾辻は其れに少し驚いて、然し直ぐに何時もの調子に戻り暫し考え込んだ。

「贈物(プレゼント)を、しようと思うんだが」
「贈物(プレゼント)ですか? でしたら…」

 店員から幾つか商品を進められるが、イマイチぴんとこなかった。抑々(そもそも)誰への贈物(プレゼント)だと云うのだ。自分で云った癖に分かっていなくて、思わず頭を抱えた。

「贈られるお相手は、どんな方なんですか?」
「どんな―――、」

 問われて、つい反射的に答えてしまっていた。

「余りお洒落に気を遣わない――興味の無い奴、だな」

 云ってしまってから、また頭を抱えた。完全に、空木の事だった。
 綾辻の口にした特徴に、店員は暫し考えるような素振りを見せ、「其れなら此れはどうでしょう?」と、一つの髪飾りを差し出してきた。
 酷く簡素(シンプル)で、然し控えめな可愛らしさがある。モチーフは鳥の様で、羽根の形をした装飾品がお洒落だ。

「余りお洒落をしない方でも気軽に付けられると思いますよ」
「………」

 如何でしょう、店員の言葉に、綾辻は暫し考え込んだ。


 ▽


「……あ、綾辻先生。御買物は終わったんですか?」
「買物も何も、抑も何も買っていない」
「えっ、そ、そうなんですか?」

 店を出ると、直ぐ脇に空木の姿があった。空木は出て来た綾辻の姿を確認すると、へらりと情けない笑顔を浮かべた。

「何か女性に贈物(プレゼント)でもされるのかと」
「………そんな相手は居ない。ずっと監視されているのに、居ると思うか?」
「え………あ、そ、そうですよね。なんかスミマセン」

 自分自身、と云う選択肢すらない空木に綾辻は呆れてしまう。
 左手を入れているポケットの中には、先程店員に薦められて買った髪飾りが入っている。つい��何も買っていない�≠ニ返してしまった手前空木の為に買ったと云い出し難い。
 ―――いや、待て。抑も空木に買った訳ではないのだから、別に悩まずとも……

「………煩わしい…」
「えっ、な、何か気に入らない事でも…!?」
「…煩い。一寸黙っていろ」
「え、あ、ハイ………?」


 苦笑と困り顔の貼り付いた、冴えない女。常に下手で周りの顔を伺い、従順な彼女だが、何処か其の距離は、遠い気がしていた。


 ▽


「………」

 綾辻は、つい先日買った髪飾りをジィと見つめ、何やら考え込んでいた。
 空木の為に買った髪飾り(もう面倒なので認めてやる事にする)だが、一向に渡す事が出来ないのは、綾辻の元々の性格と空木のへなちょこっぷりに因るものが大きい。空木と話しているとどうしても苛々としてしまう綾辻が、素直に髪飾りを渡せる筈も無かった。
 綾辻はふうと息を吐き出して、時計を見遣った。すると何時も空木の出勤してくる時刻は遠に過ぎていて、思わず眉を寄せた。上司に怒られて多少遅れて来る事は何度かあったものの、此処迄遅れて来ると云うのは珍しい事だった。綾辻が不審に思った丁度その時、電話が鳴った。

「………もしもし」
『、嗚呼、綾辻先生ですか? ご無沙汰しております』
「何だ、坂口君か。今は潜入中じゃあ無かったか?」
『ええ……そう、なんですが』

 珍しく、どうにも歯切れの悪い坂口に首を傾げ、綾辻は黙ったまま先を待った。

『空木君が………其方に行っていませんか?』
「……? 否……未だ来ていないが。俺も今不審に思っていたところだ。…真逆、居ないのか?」
『……実は』

 昨日の夜辺りから連絡が付かなくなっているらしいと、坂口は告げた。綾辻は大きく舌を打って、立ち上がる。そうして事務所を出ようとすると、電話越しに坂口が止めた。

『綾辻先生は動かないで下さい』
「! …何故だ」
『先生には今、監視役が居ないからです』
「………」

 正確には居るが、彼らは綾辻の不審な行動を感じ取った時点で綾辻を撃たなければならない。故に、綾辻は今、衝動的に動いてはならなかった。

「……君達に、空木君を見つけられるのか?」

 綾辻は、努めて冷静に、そう問うた。坂口は数拍黙った後、ふうと小さく息を吐き出した。

『綾辻先生は、其処から動かないで下さい』
「……坂口君」
『兎に角。空木君の事は此方で何とかしますので、御心配なさらずに』

 そう一方的に切られてしまった電話。綾辻は受話器を数秒眺めて、ガシャンとあるべき所に収めた。思わず、舌打ちが漏れた。
 矢張り、抜け出して探そうか。
 何故自分がそこまでしようとしているのか、綾辻には解らなかった。然し、空木を見つけなければならないと―――それだけ、只考えていた。
 チラリ、窓の外に目をやり、抜け出す算段を建てようとしていた時―――、不意に、また電話が鳴った。

「!」

 咄嗟に出て、応対する。もしもし。綾辻の声から少しして、聞き覚えのある声が、耳に届いた。

『…綾辻先生』
「! …空木君か?」
『はい。お早う御座います。ん? あれ? もう今日はですか? …あ、まだ午前ですね、良かった』

 何時もの、少しオドオドした、緊張感の無い声だった。綾辻は険しい表情のまま、低く、尋ねた。

「………今、何処に居る?」
『……え?』

 意表を突かれたような声だった。真逆そんな事を訊かれるとは思っていなかった、とでも云うような。

『坂口さんから、訊いてないですか?』
「……何?」
『今、実家に帰ってるんです。一応、前々から坂口さんには伝えていたんですけど』

 訳が分からなかった。坂口は確かに、空木とは昨日から連絡が取れておらず、行方が分からないと、そう云っていた。仮に其れが記憶違いだったとして、如何して綾辻に、その事を伝えようとしなかったのだろう。

「……訊いていないが」
『えー……おかしいですね………。あ、若しかして、気を遣ってくれたのかもしれませんね』
「…?」
『私、此れから死ぬんです』
「………、」

 思考が、停止した。余りにも、何時も通りの声に、いや何時もよりも何倍も穏やかな声に。まるで、今日の夕飯の話でもするような口調でそう告げた空木は、異常な程穏やかな声のまま、続けた。

『子供の頃から決まってたんです。私の村では今でも古臭い伝統みたいなものがあって、四年に一度、閏年に二十歳の娘を神様に捧げないといけないんです。其れが、今年は私で』
「………何を、」
『贄の子は、十歳から十八歳迄の八年間、地下に閉じ込められて、其れから二十歳までの二年間は、自由に、好きな事をして暮らす事が出来るんです。其れが私の場合、綾辻先生と一緒にいた二年間だったわけです』

 空木は、更に穏やかな声で続けた。

『私、あんまり人と接した事無くて、ずっとオドオドしてましたけど、先生と居るの、嫌いじゃなかったんです。出来るなら、此れからもずっと、一緒に居たいと思える位、先生と居るのが、楽しかったんです』
「………」
『…本当は、私の口からは何も云わずに、逝く心算だったんですけど』

 震えた声が、聞こえた。
 思えば、半泣きはあったが、本当に泣いている声を聞くのは、初めてかもしれない。

『……っ、綾辻、先生』
「、何だ」
『      』
「、」

 空木は其の儘電話を切った。ツー、ツー、と電話回線が切れた事を証明する電子音が耳に届いて、綾辻は何度も其の番号に掛けた。

 結局、其の電話が繋がる事は無く、空木佑は二度と、綾辻の元には帰って来なかった。


 ▽


「坂口君から後に訊いた噺だが、彼女の村の村長は特務科も世話になった人物で、云われるが儘紹介されるが儘に彼女を特務科に入れたらしい。厄介な奴が来たから厄介な俺の所へ放り込んでしまえと、上のお達しだったそうだ」
「………」

 辻村は凡てを聞き終え、茫然と綾辻を見つめていた。綾辻はその視線に気付き、眉を寄せる。

「何だ」
「い………イエ…………綾辻先生、其の人の事がお好きだったんだなあと………それで、綾辻先生って人を好きになれたんだと……驚いて、しまっ…痛っ!?」
「失礼な奴だな君は」

 デコピンをした構えのまま、綾辻は辻村を睨み付ける。

「俺を何だと思っている。…其れに、抑も俺はあんな冴えない笑顔の下手くそな奴に恋なんかしていない。勝手な妄想は止めてくれ」
「え、でも…」
「五月蝿い」

 ピシャリと言い放ち、ふいと顔を背ける。不満そうな顔をしている辻村を横目に、ふうと息を吐き出した。

『      』

 彼女の最後の言葉は、憶えていなかった。何と云うか、記憶から抹消されていた。それ以外の事なら鮮明に覚えているのに、最期の言葉だけ、綾辻の記憶から、すっぽりと抜けてしまっていた。

「(彼女は最期に、何と云ったんだったか)」

 彼女に渡せなかった髪飾りをぎゅうと握り締めながら、綾辻は大きく、息を吐き出した。

 矢張り記憶の中の彼女の笑顔は、ぎこちない。

最期の言葉はなんだっけな

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