永久不滅の愛を (1/1)

色付き始めていた世界が、音を立てて崩れていくのを感じた。
靴底がきちんと地面を踏んでいるのかも分からない程、覚束ない足取りで愛しい彼が眠っているであろう、寝棺の側に寄る。


「……っ」

目の前が、真っ暗闇に包み込まれていった。
まるで暗い淵に引きずり込まれるような絶望感に苛まれ、黒雲のようなものに覆われる感覚を覚える。
呼吸の仕方さえ、ままならない。

生きてて欲しかった、あなたには。あなただけには。

太陽のように眩しい笑顔が、
明るくて張りのある声音が、
炎のように燃え盛る命の灯火が、

たった今、消えた。


「杏寿郎さん……っ」

刻子の心が、空っぽになっていく。

ーー私の傍に居ると、約束してくれたじゃないですか。一人にしないと、約束してくれたじゃないですか。
渇望するかのように手を伸ばし、氷のように冷えた頬にそっと手を添えた。

ポタポタと、杏寿郎の綺麗な顔が刻子の涙で濡れていく。


「……どうして、私を置いて行ったのですか……っ」

刻子の心情とは正反対に、幸せそうに眠る杏寿郎に問いかけずには居られなかった。


ねぇ、杏寿郎さん。
あなたの笑顔が、もう一度見たいです。
もう一度、あなたの声が聞きたいです……。

瞼を閉じれば、今でも鮮明に蘇ってくる。
あなたと過ごした、大切な日々が。



**



刻子は幼い頃から両親に無下に扱われ、襲ってきた鬼にまで自分を差し出し、自分達だけ助かろうとした最低な両親だった。
だが天は刻子に味方をし、運良く逃げることが出来た刻子とは正反対に、両親は呆気なくも殺された。正直清々した。やっと解放される、そう思って安堵の溜息が零れた程だった。
そこでその鬼を討伐すべく現れた鬼狩りの人に拾われ、剣技を教わり鬼殺隊に入った。
だが生い立ちが生い立ちなだけに、刻子は人間不信になり、拾ってくれた育手にすら心を開かず、人とはなるべく関わらないように生きてきた。

それなのに、あの人は。


「刻子!お腹空かないか?一緒にどこか食べに行こう!」
「……空いてません。私に構わないで下さい」
「むぅ。共に戦った同士ではないか。そう水臭いこと言わないでくれ」
「…同士?勘違いしないで下さい。私にとってはただ任された任務でたまたまあなたが居て、たまたま同じ鬼を倒した。ただそれだけのことです。勝手に仲間意識を持たれても困ります」

共同任務を終えた帰り道、そそくさと帰路に着く刻子の耳に、張りのある大きな声が流れ込んできた。
他人とは関わりを持ちたくない刻子は、冷めた目付きで杏寿郎を突き放す。


「わはは!面白い!だがそんなこと言われても、俺は簡単に引き下がったりはしないぞ!」
「!」
「俺は君を見放したりはしない!俺を突き放すことは諦めるんだな!」

刻子の瞳が、微かに揺らいだ。
行く手を阻む杏寿郎の閃光を宿した瞳に、パァッと打ち上げられた花火のように、心にあった暗黒が散らばっていくような感覚を覚えた。
この人は、何故こんなにも朗らかに笑うのか。
自分にはないその笑みに、そして全てを見透かしたような瞳に、吸い込まれそうになる。


「俺が君に教えよう。人という温もりを」

刹那、ふわりと温もりを感じた。
刻子は目を丸くし、時が止まったかのように動けないでいる。

鍛え上げられた腕が、刻子を強く抱きしめていた。


「人のありとあらゆる美しい感情を、俺が君に教えよう」

両親にすら愛されなかった刻子は、生まれてからたったの一度も言われたことのないような優しくて温かい言葉の数々に、刻子の視界が歪んでいく。
……温かい。言葉も、体温も、全てが。
母に愛されていたら、こんな感じだったのだろうかと思うと、ついに溢れた涙で杏寿郎の肩が濡れた。


「俺が君の面倒を見る。君を一人にはさせない。俺の家に来るといい」


ーーこの時、私は初めて人の温もりを知りました。優しさを知りました。
まるで赤子のように、わあわあ泣いていたことを、今でも鮮明に覚えています。



**



それからの刻子は、杏寿郎との距離を縮めるようになっていった。
杏寿郎の刻子を包み込む優しい眼差しが、刻子の冷えた心を癒していく。杏寿郎の真っ直ぐで熱い想いが、刻子の心を突き動かしていく。
色褪せていた世界は、明るく色付いていった。


「刻子!散歩でもしないか?」

縁側に座り、空を見上げる刻子の美しい横顔に、杏寿郎は問いかける。
よもや、何かあったのでは?と心配になったからだ。


「はい」

振り返った刻子の月夜に照らされた儚い表情に、何故か切なさで胸が締め付けられる。君にそんな表情はさせたくないと、杏寿郎は強く思った。


「繋いでもいいか?」
「……え?」
「手を、繋いでもいいか?」


刻子を放っておけないと思う気持ちが、どういう気持ちか分からないほど、俺は子供ではなかった。
明日をも生きられるかも分からない身で、この想いを告げることに今まで躊躇していたが……

どうやらもう、俺は。


「刻子」

君への想いを、抑えられそうにもない。
はぁ…と、杏寿郎の深い溜息が宵を揺らした。


「正直に話そう。俺は、君のことが好きだ」
「!……杏寿郎さん、」
「俺と共に生きて欲しい」

杏寿郎の熱を宿した瞳が、刻子を映し出す。
ドクンと、鼓動が跳ね上がった。
刻子の答えは、ただ一つ。


「はい、よろしくお願いします」

月の光の下、二人の唇は重なり合った。
離さないと言わんばかりに、強く抱き合いながら。


ーー私は、この上なく幸せでした。



**



今でも脳裏に焼き付いて消えないのは、あなたの笑った顔だった。

鬼殺隊に入った当初の遺言とは別に、私宛に書かれた遺言を手に、切なさや哀しみではなく、嬉しさと愛しさが込み上げてきた。


"これを読んでいるということは、俺はもうこの世にはいないのだろう。

明日をも約束されない身でありながら、己の欲に屈してしまい、君に口約束をしてしまったことをどうか許して欲しい。

だが俺は、本当に君を愛していた。
心から傍に居たいと思っていた。
君への想いは嘘偽りなく、真実であったことは忘れないで欲しい。
そしてこれからも、この想いは消えない。
例え君の傍に居られなくなったとしても、空から君を見守り続ける。

俺からはもう、君に教えることは何もない。
だからこれからも、強く、胸を張って生きろ。
心を燃やし続けろ。

長くなってしまったな。
俺は君と出逢えて本当に良かった。
これからもずっと、君を愛している。

来世でも必ず、君を見つけて愛すると誓おう"


「……杏寿郎さん」

全てを読み終えた後、刻子は遺言書を大切に抱きしめた。
そうすれば、杏寿郎が傍に居てくれているような気がした。


「私も愛してます、杏寿郎さん」

そう言って夜空を見上げれば、彼が微笑んでくれているような気がした。


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